第40話

八咫は、官軍に囲まれていても落ち着いていた。この位の囲みであれば逃げること位は、簡単なこと。それに上手くいけば逆にこれは、好機になる。願ってもないことや。それに四人と別れるええ機会になるやろう。ただ気がかりなのは、自分の思惑を知らぬ四人が勝手をせぬかと言うこと・・・。

そう思っていた矢先に芳一が走りだしてしまった。それでもまだ、余裕はあったが、黒衣の男が鞘を払った瞬間に自分の考えが甘かった事に気が付いた。止めねば殺られる。今まで感じた事もない恐怖だった、芳一を捕まえるには、既に遅い。二口をみると口を抑えられ、手も拘束されているので、神付もつかえない。が、乙とキクの周りの囲みは緩かった。乙の方を見て大声を上げる。

「乙、そこの天水桶を投げい」

町中に置いてある天水桶、水が満々と満ちていた。到底ひとりで担げる物ではないだろう。周りの者は、何を言っているのか分からないが、乙にとっては、違っていた。何かしら感じる処があったのか、捕り手を振り切ると戒めを引きちぎり、天水桶に手をかけると芳一めがけて投げつけた。桶は芳一と男の間に落ちると周囲に水しぶきを上げて砕け散った。芳一は頭から水浸し、男は少年を庇うように身を動かし、二人の間にあった殺意は、天水桶の水で流れていった。そして八咫も他の三人も、今の出来事に気を散らした男達をかいくぐり、芳一の側に身を寄せた。芳一が叫ぶ。

「俺は、もう世話役やない。そやから、このまま放っておいて下さい」

それでも八咫は、直ぐに芳一を押さえて、少年の前に膝を着き、他の三人にも目配せをした。

「ご無礼をお許しください。この者、我が一座の者にて、お叱りはすべて座頭の私めが、お受けいたします。何卒お許し下さいますようお願い申し上げます」

八咫が、許しを請うている間、四人は頭を下げながら訳も分からずにいた。少年は、さも楽しそうに笑いながら

「かまへん。そんな事、気にもかけておらん。それよりも席をかえよか」

側に控えていた官軍の制服を着た男が慌てて、少年の腕にふれた。

「お待ちください。勝手をして頂いては、困ります。このような下賤の者と口をきかれるのも、如何なものかと」

そちらの方に目をやる事もなく、少年は手にした扇でそれを払った。側に使える黒衣の男がゆっくりした口調で一言呟くように言った。

「汚い手で触るやない」

腹から冷えるようなその声に、制服の男は口もきけずに立ち尽くしてしまった。追いすがろうとしても、黒衣の男が、もうそれを許すことはないだろう。少年は、そんな事などお構いなしに歩きだし、最初から決まっていたように近くの神社の鳥居をくぐった。八咫達もそれについて歩いていると、参道に羽織袴の見知った顔を見つけた。

「嘉平、上々じゃあ」

くだけた調子で少年が、嘉平に声をかけた。嘉平は、何も応えずただ深く頭を下げていた。八咫は、一切合切目もくれず、ただ前の少年の背中を見ていた。が、他の四人は、嘉平の姿を捉えた時から怒りと軽蔑を含んだ視線を外す事はなかった。皆、その時はじめて、周囲を囲まれた事に気付くのが遅れた事や、敵が直ぐに、二口の口を塞ぎ拘束した事もなぜであったか合点した。裏切者が居ったんや。四人はこの場で、なければ命をとっている程の殺気を含んで通り過ぎた。嘉平は、そうやって皆が、自分の前を通り過ぎると少し離れてその列に付いて歩いた。

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