第30話
先程まで慇懃に接していた清蔵が、急に手のひらを返したように横柄に寛英を罵りだした。
「ふふ、そんな事を言って、本当はそんな事出来んのだろう。たまたま、俺の力が及ばなかっただけ・・・術にかからんかったをいい事に嘘ばかりつきおったな。俺も馬鹿をしたものだ。この老いぼれの言う事を信じかけて、飲み食いさせるとは」
寛英は、それを聞きながら今すぐここを出て、どこぞの納屋に入り込み夜を過ごすしかないなと腹を括った。括った、その時
「・・・八咫者だと、なんだそれは,そんな者どもがどこにいる。居ったとしてもただの騙りの集団だろう。ろくでもない奴らの事を八咫者とでも言うのか、ははは・・・」
清蔵の高笑いが聞こえてきた。寛英は、年を取って身寄りも金もなく、根無し草のような生活を送っている。人に憐みをうけ、馬鹿にもされるがそれでも何とか生きていけるのは、八咫者であると言う誇りがあればこそであった。なにがあっても心の中で「自分の力を使えばこんな奴等は、一捻りじゃ」「ここの主人も大した事は無いな、頭の方が、ずっと人品出来た男じゃ」といつも嘯いていた。その思いが寛英をやっと活かしていた。その事を笑われた。自分の卑しい行いが発端であったかも知れぬがそんな事は、もうどうでもよい。怒りで頭が真っ白になった寛英は、一族の秘であり、己もよく知る事のない八咫の鏡の話をしてしまった。
「小僧、何を笑っている。どうせお前は自分の力に酔っていたのだろう。そんな糞のような力にな。八咫の頭は、お前のように自分の力に奢ったりはせん。それはな人外を超えた神の力を持っているからじゃ」
「神の力・・・」
「そうじゃ、八咫の鏡を持つ者は、この世の全てのもんの殺生与奪を左右できるのじゃ。やろうと思えば天下も取れる。八咫の鏡はそういうものや、それを持ちながらも己を律する事ができる、それが我が頭、八咫さまじゃ。それに使える我ら八咫者をお前のようなそこらの落ち穂如きが口をきくのもおこがましいのじゃ」
「天下も・・・」
清蔵は、絶句した。自分自身も神とも思っていた力を持っていたので、普通の者が聞けば酔っ払いの戯言のようなこの話が、本当の事だと確信できた。確信した所で、怒りを感じたのだ。殺生与奪、天下取りそんな事が容易く出来る力をもつ者がいる。八咫の鏡を持つことだけで・・・自分は八咫者のような力がありながら、ただ八咫の里に、鏡の側に産まれなかったそれだけで、その力を手にする事ができない。そこにいれば、自分がきっと頭になってその力を思う存分使っていたのに相違ない。天下を取り、この国の全てを自分の思い通りにする。でも、それが出来ない、こんな理不尽があってよいのか。自分なら・・・次から次へと湧いてくる夢のような考えと鏡に対する渇望は、やがて寛英への怒りにとってかわっていった。寛英は、そんな清蔵の気持も知らずに八咫の自慢話を清蔵を貶める言葉と共に吐き出し続けていたが、やがて里に帰ることが出来ぬぐらいなら死んだほうがましだと泣き出した。
「そんなに言うなら死ねばいい」
先ほど言った時には、何の反応も見せなかった寛英の身体がぴくりと動いた。今まで意味を持たなかった清蔵の言葉が、寛英の心に届いた。酒で酩酊した身であったからだろうか、清蔵の怒りが届いたのだろうか。先にためした時には、何の力も持たなかった清蔵の言葉に寛英が反応した。清蔵は、それを見てニヤリとわらうと
「そうだな、宿の庖丁でも借りて死んではどうだ」
寛英は、その言葉を聞くといきなり座敷を飛び出して行った。清蔵は、布団を敷きなおすと何事もなかったようにそのまま休んだ。翌朝、清蔵が眼を覚ます頃、宿の中は大変なことになっていた。女中が朝餉の用意をしようと台所に入ると、老僧が喉元に庖丁を突き立てて死んでいた。それからは、地場の役人を呼びに行き、泊まりの客に食事が出来ない事を詫びてまわる。野次馬も入りこみ宿全体が大騒ぎとなっていた。やがて清蔵の所には、相部屋であったことで役人が現れた。清蔵は役人など、お構いなしに出立の用意をしながら
「こちらには、関係のない話。自害としてそこらに埋めればかたがつくだろ」
役人はその言葉をを聞くと、直ぐに寛英の亡骸を戸板に載せて帰っていった。
その後、清蔵は、まだまだ落着かぬ宿の帳場にいって直ぐに出立してしまった。その荷の中に寛英の荷物も詰め込んで・・・
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