第29話

渡海屋の先代、清蔵は幼い頃から人にものをねだるのが上手かった。欲しい物は手に入れ、店の者や友達、親までも自分の意のままに使うことが出来た。長じては、仕事相手も清蔵の望むままに取引してくれる。二束三文で商品を仕入れては、高値で買わせる。渡海屋はどんどん大きくなって、押しも押されぬ大店となっていった。嫁をとる時も幼馴染の許嫁をいとも簡単に自分の者とした。何をしても上手くゆく、周囲からは清蔵さんには、福の神が付いているとか噂されていた。だが当の清蔵は自分には、人と違う力があるのだと気が付いていた。人を意のままに操れる。福の神などではない、自分自身が神ではないか。そして、その思いは大きくなるにつけ、強くなっていった。

そんなある日、清蔵は商用で一人で旅に出ることになった。あと少しで京に戻れるところで大雨に遭って、町はずれの小さな旅籠に泊まる事になった。普段泊まる事のないような粗末な宿は一杯で、しかも相部屋を申し出られた。

「よろしいですとも、困った時はお互いさまです」

気のいい顔で応じて、腹の中では直ぐにこの部屋から追い出せば良いと考えていた。そして、女中に案内されてきた男は、年老いた僧だった。

「ご一緒させて頂きます」

僧は、丁寧に挨拶をすると座敷の隅に腰を下ろした。清蔵は、女中が姿を消すと男に向かって呟いた。

「今すぐ出ていけ」

低く腹にしみるような声で呟くと男が、部屋を出て行くのを待っていた。しかし、老僧は知らぬ顔で、旅装をといてくつろぎだした。清蔵は、聞こえぬのかと思い

先程よりも大きな声でもう一度言った。

「はよう出ていけ」

しかし老僧は、その声を聴いて清蔵の顔を見ながらニタリと笑った。

「ほー、落ち穂の者か。初めて会うた」

老僧は、先程までのつましい顔を脱ぎ捨ててさも馬鹿にしたように清蔵の方を見ていた。清蔵は驚いた。初めてだった、子供の頃から周りは自分のこの邪な考えに気付く者もなく、思った通りの事を皆してくれた。しかも、それが清蔵の望みであた事など誰一人覚えていなかった。それなのに、ここにいる見るからに貧しい男が

自分のこの力を知って嘲っている。

「お前さまは、私の力を知っているのですか」

「力な。それ程のものでもなかろうが、里にはその位の者は山ほどおったわ」

老僧が何を話しているのかよく分からなかったが、老いぼれが自分の事を馬鹿にしていることだけは、はっきりとわかった。そしてこの男が、なぜ自分のことを馬鹿にするか理由が知りたいと思った。

「教えてくれぬか、その里とやらの事を・・・」

「儂を思い通りに操るつもりか、止めておけ。お前の力では、儂を操る事など出来んわ」

清蔵は、思い出した。確かに今までも言う事を聞かん者がいた。そんな時は、酒を飲まして心を緩めてやるとそんな者でも最後は思い通りにする事が出来た。

「いや、そんな事は出来んと、ようわかりました。が自分の出自に関わる事のような気がして、知りたいと思うたのです」

「まあ、そうやなこんな事が出来る理由を知りたいと思うのは、人の常やな。じゃが簡単には、教える事は出来んのや」

「わかりました。しかし、ここでお会いできたのも御縁と言うもの、お近づきのしるしにお酒、いや般若湯でも如何ですか」

「いや、それはまずかろう・・・が、是非にと言うなら少し頂きましょうかな」

老僧は、満面の笑みでその申し出を受けた。老僧の名は寛英といった、そしてタリキと言うもう一つの名を持っていた。もともと、酒を飲みすぎて仕事をしくじり里に居ずらくなって里抜けをした過去を持つ男であった。清蔵の申し出を聞いて、喜ばぬわけがない。注がれるままに酒を飲み聞かれもせぬのに、八咫の事をはなしだした。

「大和の国に小さな隠れ里があってな。そこの里人は皆、お前さまのように不可思議な力を持っておるんじゃ」

「皆・・・」

「おうよ。子供から儂のような老いぼれまでな。皆、わけの分からぬ力を持っておるんや」

「そうでおましたか、しかしその様な話を聞いたことはございませんでした」

「それはそうじゃ。皆だれにも知られぬようにひっそりとしておるわ。お前のように大して強くもない力を使って、正体をばらす事などせんのじゃ。たまに、里の外で仕事をしても絶対にばれる事はない」

清蔵の心がまたチリチリと痛んだが、寛英はそんな事などお構いなしに話を続けた。里がどれ程住みよいところであったか、年老いた身になってやはりあの場所が自分にとってどれだけ大事な所であったかをぐちぐちと語った。

「八咫の里がどれ程良いところかは、よう解りました。で御坊はどのような力をお持ちでございますか。もしよければ、お聞かせ願えませんか」

思いっきり下手にでて清蔵は、寛英に聞いてみた。もし、何か特異な力であればそれこそ普通に酒と金で思い通りに使うのも面白いと興味をもったからであった。

「儂の力か・・・物をな手を使わずに動かす力じゃ」

「それは凄い。見せて頂けませんかね。ぜひにもお願い致します。」

寛英は、驚いた。見せろと言われる事くらい少し考えればわかる事なのに、散々飲み食いして調子にのった。今さらそんな事は出来ないとは言えない。実のところ老いて、碌に鍛錬もしてこなかった今の寛英には、膳に置かれた箸を動かすのも覚束ないでいた。

「酒をすごしすぎたので、上手く出来ん。明日の朝にでもやってくれるわ」

少し偉そうに言い切って、ここを過ごして明け方にでもコッソリ出て行けばよいだろう。そうすれば二度と会う事もない男だどうにでもなる。だが、清蔵は許してはくれなかった。

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