第22話
芳一は、他の者には内緒で里の外で剣術の稽古を受けている。里者は武器を持って闘う事を極力しない。悟りの者はもちろんだが、剛の者も自分の能力一つで何とかなると言う過信があって武術を習う気がうすい。まして、外の人間から何かを習うなど考える者はいない。だが、芳一は一度仕事の失敗で捕らえられ大怪我をした事があって、そこから自分の身は自分で守ろうと思った。が、里者でその方法を悟りの自分に教えてくれる者は、里中捜してもいなかった。それで、こっそり里を出ては、片っ端から道場に出向いて稽古をつけてもらっていた。こっそりのつもりでいるが、上が気付いていないはずがない。いつか咎めを受けるとしても止めることは考えていなかった。今日も稽古を終えて里にかえる途中で異変に気づいた。山が異様に静かであった。獣も鳥も虫でさえ息を潜めて何かをやり過ごそうとしている。今まで耳に頼って、他の事で異変を感じる事はなかったが、稽古のお陰か今の芳一は、得体のしれない危険を感じることが出来た。逃げる事は考えない。が、無暗に突っ込むことはせず道を外れて獣道を伝い里の中に入る事にした。そして、しばらく獣道をたどって里が襲われている事に気が付いた。今頃は夕餉の用意に話声や笑い声がするはずが、山際に立つ家の庭に出た時、突然に頬を大きな岩が掠めた。飛んできた方を見ると背の高い女が岩を投げ、丸太を抱えて物言わぬ者を相手に戦っている。この切迫している時に、相手の返り血で染まった着物が着くずれ、髪振り乱すその姿がこの世のものとも思えぬ程に美しくぼんやりと見とれてしまった。この里に年頃の娘はいない・・・
「乙、大丈夫か」
呼ばれた本人が、声の方に顔を向けた。乙は、剛の者で細い身体ではあるが里一番の怪力の持ち主だった。
「芳一さん・・・」
乙は、泣いていた。悪鬼羅刹のように累々とその周りに死体を積み上げていく張本人がまるで少女のように大泣きしている。芳一も場違いな言葉がでた。
「乙、泣くな。俺も悲しくなるやろ」
一瞬、乙は驚いたような顔をして頬を染めて、涙をぬぐった。
「芳一さん、いややわ。泣いてないよ。でもどうしょう」
「・・・お館に行こう」
行って助かる保証はないが、ここにいるよりその確率はあがるだろう。ここから表の道を行くとかなりの距離があるが、裏から田にでて畦道伝えに行けばさほどでもないはずだ。
「乙、裏に回るぞ」
家の裏には、昨日今日と田植えの終わったばかりの田に苗が静かに並んでいる。田には満々の水が、ため池から引いてある。子供の頃から作物を作るのには、水が大事で、それ故このため池が里にとってどれ程大事なものかと教えられていた。ため池と田を分ける石組は、この里で生きて来た先人の知恵の塊だ。だがもはやそんな事を言っている時ではないようだった。
「乙、あそこの石組の繋ぎ目にこの杭を投げ込んでくれ」
「えっ、そんな事したら田が水浸しに・・・」
乙は、野良仕事を嫌がってサボってばかりの俺とはちがって、きっと昨日も今日も田植えに精を出していたのだろう。きっとみんなと一緒に笑い合って、秋の収穫を楽しみに田に苗を植えていたんだろう。悲しいだろう、辛いだろうでも生きねばならんやろ。また、泣くのかと見ていると唇を噛んで俺の顔をみてくる。小さく首をふると一瞬切なそうな顔をしたが、次に顔を上げると手に持っていた木の杭を思いっきり石組の間に打ち込んでいた。
石組はゆるみ最初はちょろちょろと水がこぼれる程度であったが、押し切るようにあふれて来た。
「乙、走るぞ」
乙の手を取り畦道をお館目指して走りだした。こんな時に笑みがでた、二人で走る畦道が道行のように思えてくるのが可笑しかった。相手は、大勢いるのだがぬかるむ田の中を走る事もできずに畦道を追いかけて来る。一人一人はさほど難儀な相手ではない。少しづつ相手を倒して館をめざした。
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