第25話 〈式の場合〉
不思議なこともあるものだ。まあ、現実世界に住む人間にとっては、この世界こそが不思議なのだろうが。
まだ年端もいかない少年がイレギュラーになった。そうかと思えば、精神操作さえも巧みに使っているではないか。
この少年、俺が昔鍵を植え付けた人間の生まれ変わりだ。つまり身体にセカンドグラスを宿し、イレギュラーになれば精神操作が行える。だが、こんな少年が使いこなすとは、思いもしなかった。
ホルダーがイレギュラーになるのは絶対にないと言い切れない。だが、かなり稀なのは事実。自分に対しての悪意を捌く者も稀だ。それ以上に、ここまで健全な使い方をする人間はとても珍しい。ほとんどの人間は、この力に酔ってしまうからだ。
鍵を使うのにも、才能がいる。現実同様、難儀なものだ。
「よう少年。元気か」
「あ、おじちゃん!」
「おじちゃんではない。ちゃんと若い姿をとっているだろう?」
これでも人間の二十代を基盤に身体を作っている。そんな呼ばれ方をされる覚えはない。
「この世界は楽しいか?」
俺はそう問うた。
「うん! ゆめだけど、とってもたのしいよ!」
少年は物を壊したり、人に危害を加えたりということはしなかった。鍵の力を使って悪意を遠ざけ、物質を創造することを楽しんでいた。
ファーストグラスであれば、修繕や創造は簡単だ。だが、セカンドグラスではかなり難しいはず。しかし少年はそれをやってのけた。と言っても少年には大きな建造物などを構成することは不可能。できるのは車程度の大きさまでだ。
「よしよし、それでいい。お前はとても賢く、優しい」
少年の頭を撫でた。
屈託のないこの笑顔は、無邪気というよりも無垢に近いな。
俺はこの少年と会話するのが楽しかった。そして、少年が創造する様々な物も、俺の興味を引いた。
消防車、戦隊ヒーロー、殺傷能力がないオモチャの武器。子供の心を持ちながらも、慈しみと温かさを感じた。
少年は自分から俺を呼ぶことはない。一人遊びが好きなようだ。
しかし少年の年齢がようやく十になったかというある日、俺の名前を口にした。
「式のおじちゃん! 式のおじちゃん!」
「どうした少年。鼻水と涙で顔が酷いことになっているぞ」
顔面をぐしゃぐしゃにして、それでも拭うこともしない。そんな少年の頭を撫で、俺は事情を聞く。
「ちーちゃんが! ちーちゃんが死んじゃう!」
「ちーちゃんとは、前に言っていた友達のことか。それで、一体なにがあった?」
ようやく涙を拭い、少年は嗚咽混じりに言葉を吐き出す。
「ちーちゃんが、ちーちゃんに車がぶつかって……! それで、それで、全然反応してくれないんだ!」
「意識が戻らない、と」
泣きじゃくる少年の手を取り、俺は病院に向かった。
ちーちゃんと呼ばれた少女は、この世界でも眠っていた。
「いかんな。精神力が底を突きかけている。基本的に精神力は自己修復されるのだが、その機能さえ停止してしまっている。自己修復機能が元に戻るのを待つしかないだろう」
「どれくらいかかるの?」
「わからない。一生目覚めない可能性も、高いだろうな」
「おじちゃんはこの世界の管理者なんでしょう!? なんとかしてよ!」
少年の気持ち、わからなくもない。
「確かに、俺ならば精神力を回復させ、自己修復機能を蘇生することも可能だ。だがな、世界にはこういった症状のまま永眠する人間も多い。ここでお前を贔屓してしまっては、世界の理に反する」
落胆とも驚愕ともとれる表情で、少年は立ちつくしていた。しかしまだ少年にだってできることはある。
「前に話したと思うが、お前には特別な力がある。それは体内に鍵を宿しているからだとも説明したな。そしてお前の持つ鍵は、精神の操作を可能とし、この世界においては創造や修復を司る」
俺は少年に向かって手を伸ばした。
「だから選ばせてやろう。鍵を手放すか、少女を手放すか」
「えと、えっとそれって……」
「鍵はお前の体内にある。だからそれはお前の物として扱ってもらっても構わない。その上で、鍵を少女に渡せば、少女は助かる。その代わり、お前は今までのように精神を操作できなくなるし、物質の創造もできなくなる」
「これを渡せば、ちーちゃんを助けられるんだね?」
「ああそうだ。いくつか問題点はあるがな」
「問題点って? 僕が死んじゃうとか?」
「いや、鍵を取り出しても死にはしない。単純に鍵の能力が使えなくなるだけだ。問題は、鍵の能力を彼女が使えるかどうかだ」
「鍵が集める悪意を、こっち側で調整できるかどうかってこと?」
「そういうことだ。お前のように、自由に鍵の能力を使える者は少ないのだ」
「じゃあ鍵を渡した後で、ちーちゃんをノーマルに戻してしまえば……!」
「鍵を渡しただけでは自己修復機能を補完できない。基本的に鍵の能力はこちら側でなければ機能しないのだ。それに何年かは鍵を持ち続けないと意味がない」
「もしも悪意をちゃんと管理できないと、ちーちゃんはどうなるの?」
「いろんな人間から悪意を向けられる。当然、学校などではいじめの対象だ。家にいても、両親からの悪意を向けられる可能性も大いにある。それに鍵を持つ者の周囲にまで、その悪意は向けられる。少女が悪意を捌けないと、少女の家族だって、お前だって酷い目に遭うぞ」
一気に畳みかけ過ぎたのか、少年は俯いてしまった。
「年端もいかない少年に、こんな話は酷だったか」
「――までもない」
顔を上げ勇ましい瞳で俺を見上げてきた。
「考えるまでもないよ。僕は、ちーちゃんに助かって欲しい」
「上手く精神操作をできなければ、彼女はただ苛められ蔑まれるだけだぞ?」
「僕が守るよ。だって、お父さんがそのためにつけてくれた名前なんだから」
霧ヶ谷護。確かそんな名前だったか。
もう一度聞く必要はなさそうだな。この顔は、絶対に意見を曲げなさそうだ。
「その意気やよし。すぐに取りかかってやろう」
まず、俺は自分のファーストグラスを二本出現させる。こうやって鍵を体外に出さなければ、この儀式は行えない。体内にあるよりも、体外にある方が力を行使しやすいのだ。その際、フェーストもセカンドも関係ない。そして、基本的にはノーマルからノーマルにしか鍵は渡せない。イレギュラーである少年から、ノーマルの少女に鍵を移せるのには理由がある。
俺が鍵を二本以上所有していることがその原因だ。ノーマルからノーマルへの鍵の譲渡は、鍵一本で行える。しかしイレギュラーに対して儀式を行うには、鍵が二本必要になるのだ。
自分の鍵を宙に浮かせたまま、今度は少年の頭に手を当てた。そして鍵を抜き出す。痛みもないだろうが、緊張のせいか、少年はきつく目を閉じていた。瞼はぴくぴくと、痙攣するように微動していた。
鍵の譲渡は繊細な作業だ。精神を司るだけあり、あまり強引にし過ぎると心に影響を与えかねない。それは引き抜くときも、植え付けるときも一緒だった。
「よし、次は少女に鍵を植える。ちゃんと守ってみせろよ、少年」
「わかってる。当然だ」
鍵を彼女の頭の上にもっていく。そして、ゆっくりと鍵を下ろしていった。
光は彼女の頭に飲まれていき、譲渡は完了した。
「ふう、これでいいだろう」
「終わったの?」
「ああ、完了だ」
「鍵を引き出したり渡したりするのって、式のおじちゃんじゃないとできないの?」
「いいや、そんなことはない。鍵を持っていれば誰でもできる。ただし、基本的には相手がノーマルでないと無理だ」
「おじちゃんの持ってる鍵も?」
「どうした急に……まあいい、後学のために教えておいてやろう。鍵を持つ者は全て、鍵の譲渡が行える」
「そうなんだ、ありがとう」
礼を言ったのは、少年ではなかった。
「なっ……!」
気付いたときには、もう手遅れだった。
背中から胸を貫通し、ヤツの腕が目の前にある。その手には、俺が宿しているファーストグラスの内の一本。もう一本は、察知した瞬間に仕舞った。
俺の身体が徐々に空気に溶け始めた。
「アルバート貴様……!」
「今、アンタの身体から鍵を抜き取った。だけど、その鍵はアンタを修復不可能に追い込むために使った」
「お前、ずっと俺の側に……!」
「付いて回ってれば、いいことがあると思ったんだ。その通りだったね」
アルバート=ペイン。
数年前にこの世界に飛び込んできたホルダー。素質は少年以上だったが、俺はこいつとはあまり話をしなかった。
まだ年も二十に満たないというのに、ホルダーとしての力を使って猟奇殺人を幾度となく行ってきた殺人鬼だった。
俺は魔法少女を使い、こいつをノーマルに戻そうとしてた。しかしこいつは、セカンドグラスで空気に溶ける手段を身に付けてしまったのだ。こうなっては、ただの管理者である俺でも発見することはできない。
危険だとわかりつつも、俺はこいつを放置してしまった。
逃げろ少年。そう言いたいところだが、完全に空気になってしまっては言葉を届けることもできなかった。もちろん、干渉もできない。
俺が最後に出来たのは、自分の鍵と少女の鍵を入れ替えることだけだった。
「いいねえ。このまま身体も変えちゃおう」
アルバートは汚く笑い、少年の姿になった。着物を纏い、空中を漂っている。
「これがボクの新しい身体。そしてこれからは、ボクが式だ」
そう言って少年に手を伸ばすアルバート。
「お子様はこのまま眠るといい。当然、永眠みたいなもんだけどね」
俺の身体が健在ならば、ファーストグラスを使って切り抜けられるというのに、先手を取られてそれができない。
俺はここで見ているしかないのか。ここでアルバートの身勝手を見過ごすしかないのか。
しかし、ヤツの手が少年の頭に触れようかというとき、異変は起きた。
「マモルに、なにをするの!」
黒い精神波動。憎悪と憤怒に身を任せた、感情だけの魔法少女。
「ち、ちーちゃん!」
魔法少女というには、あまりにも黒すぎる。見た目もそうだが、中身までも漆黒に染まってしまった。
いや、全てではない。黒の中に一点だけ、彼女の心を支えるような光が灯っていた。それこそが彼女を支えているのだろう。
「お前が新しい式だと言うのなら、私はお前を倒してやる……!」
「いいね、その感じ好きだよ」
アルバートは三つの鍵を出現させた。三つともセカンドグラス。自分の鍵以外に、二本奪取していたのか。
「精神操作はノーマルにしかできない。鍵の譲渡もだ。キミの鍵を入手したくても、キミをノーマルに戻さないと不可能。しかし、鍵を持っていればノブレスオブリージュを魔法少女に与えられる。それでノーマルに戻さなければ、ボクはキミの鍵を入手できない。よくできたシステムだな」
この世界ができたときからの仕組み。
管理者の式は男性であるべき。
討伐者の魔法少女は女性であるべき。
だがアルバートはまだ知らない。イレギュラーに対してでも鍵の譲渡を行えることを。それに、今し方入手したファーストグラスも、俺の無効化に使ってしまったようだ。鍵を三つ所持していても、セカンドグラスならば世界への干渉も弱いはずだ。
「まあいいよ。キミが持つ鍵、いつかもらい受ける。差し向けた魔法少女を全て倒して、ボクのところに来るといい」
楽しそうな含み笑いを浮かべ、アルバートはまた姿を消した。
残されたのは、なにもなくなった少年と、黒い甲冑を着た少女だけ。
「ちーちゃん……」
「大丈夫。私がなんとかするから」
少年は一瞬だけ苦い顔をした。が、次の瞬間には笑顔に戻っていた。
「うん、わかった。この世界のことも、鍵のことも、全部僕が教えてあげる。だから――」
少年は、漆黒の鎧を抱いた。
「もうどこにも行かないで」
鎧は消え、ただの少女に戻った。
彼女の頬に一筋の涙が伝う。それがどんな意味を持っているのか、俺にはわからなかった。
その少女、月城千影は後に知るだろう。
ホルダーがイレギュラーとして活動していくことの厳しさを。そして、現実のすべてを犠牲にすることが、どれだけ自分を苦しめることになるのかを。
おそらく、少年の手に掛かっている。
俺は見ていることしかできない。
願わくば、二人に幸あらんことを。
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