第22話

 しかし、意味はあった。


 少しずつ、少しずつだが霧が後退している。


 霧の中から、先ほどと変わらない千影の身体が見えるようになった。


「行くわ」

「行ってらっしゃい!」


 私が盾を掲げると、縁はそこに拳を当てた。盾に『境』の文字を確認し、私は一人でドラゴンに向かって駆け出した。

 ドラゴンの前足も、背後に見える尻尾も、いつの間にか増えていた。数えただけでも十はくだらない。それ以上は、さすがに数えるのをやめた。


 それを一つずつ数えている余裕はない。


 あの前足は霧で出来ている。おそらく私の攻撃は一切通らないだろう。


 振り下ろされる前足は全て回避する。真摘が起こした風があるため霧は晴れている。この霧の中にさえいなければ、対象転換が行われることはないはずだ。


 避けた攻撃が地面を抉っても、私に被害はなかった。後ろを振り返る余裕がないので、他の三人が対象になっているかどうかは不明だが……。


 真上から来る尻尾の攻撃を横に避ける。それを見越していたように、側部から腕での横薙ぎ。今度は斜めに前進して避けた。


 あの前足や尻尾は伸縮自在で、無駄にリーチが長い。何十回と避け続けても、まだ本体には到達できていなかった。


 転身中の身体能力は高いが、一歩で大きく進んでしまうと、不意打ちを食らったときに危険だ。


 少し長めに前進したとき、尻尾の攻撃が腕をかすめた。


「クソっ……!」


 右腕の転身が強制解除された。だけならよかったのだが、完全に切り離されてしまった。痛みはないけれど、腕がなくなるというのはバランスが取りづらいな。先ほどよりも攻撃にたいしての反応が遅れてしまう。


 しかし、もう本体は目の前だ。


 危険だとは思うが、身体を反転させる。盾を前に出すと、縁が果歩を抱き上げるのが見えた。


 そして、一瞬で私の目の前へ。盾で縁の攻撃を受け止めるのと同時に、背中には別の衝撃が走る。


「いきなさい……」

「おう!」


 これもまた痛みはないが、衝撃は全身に響き渡る。胴体はバラバラにならなかったが、転身は完全に解除された。


 後ろを振り向けば、縁の拳に乗り、果歩が槍を構えるところだった。


「いっけええええええええええ!」


 その拳を前に突き出し、果歩は千影へと突進する。


「ノブレスオブリージュ! これが『持つ者』の義務よ!」


 神々しく光を放つ槍が、千影を貫いた。


 千影を縛っていた霧は形を失い、大気を漂うだけとなる。空中で解き放たれた千影を果歩が抱き留めた。


 千影の背中から、光を帯びた『鍵』が出現した。


「これで終わったのか」と安堵したのだが、今度はその『鍵』が霧散した霧を集め始める。

「もうそろそろいいと思うのだけど……」


 感じる。まだ終わっていないのだと、身体がそう言っていた。


 鍵を中心にして、黒い霧は人の形を取った。今度は霧だとわからないほど、霧と霧の間に隙間がない。真っ黒な翼を生やした、真っ黒な人。いや、人のようなモノだ。


 一応としか言えないが、私はまだ戦える。式に与えられた鍵が、常に精神力を供給してくれているから。しかし残りの三人には精神力など残っていないはずだ。魔装の強制解除と精神力の吸収、身体の修復など、いろんな場面で精神力を消費してしまっている。


 後方にいた真摘が駆けつけ、再度四人で合流した。


「式、あれはなに? まだ終わらないの?」

「チカゲの中にあった鍵が、チカゲの悪意だけを吸収した結果だ」

「千影は意識を失ってるだけ?」

「大丈夫、心配はないよ」

「それならいいわ。それで、アイツを倒す方法はある?」

「チカゲの悪意を、鍵から取り除く」

「どうすればそれができる?」


 式はアゴに手をあて、しばらく考えてから口を開いた。


「ノブレスで斬れば、あの悪意も払拭できるはずだ」

「結局攻撃を当てないといけないのね……」

「チカちゃんの魔法を使ってくるのか、それとも別の力を持っているのか。それすらもわからないわ」

「あの霧の中にいた縁と果歩さんは当然として、魔法を使い続けた私も……」

「なにを言ってるのさ! ボクならまだ……!」

「強がりはいい。それに、一人の方が気楽だもの」


 式も含めた四人の前に立ち、肩に乗った髪の毛を払う。


 ほぼ全員の精神力が、底を突きようとしていた。つまり、戦えるのは私だけ。鍵を持ち、魔装が強力になった、この私だけだ。


「行くわ。これが最後よ」

「がんばって、リンちゃん」


 昔から、果歩は私を止めたことがない。私がどこかに行くと言えば、かならず背中を押すのだ。


 いい姉だと、心底思う。


「ご武運を」

「リンネ……!」


 果歩とは対極に、他の二人は不安そうな顔をしている。少しでも心配させないようにと、笑ってみせた。意識的に笑顔を作るなんて、私らしくない。


 千影の悪意、もとい鍵に向かって駆ける。それに応えるように、鍵も私に向かってきた。


 剣を水平に構えて、私は迎撃の態勢に入った。


 高速で接近する二つの体躯。勝負は一瞬だと、気を引き締めた。


 鍵と身体が重なる瞬間に、私は違和感を覚えた。なにがそうさせているのかはわからない。この状況に、鍵の動向に、違和感を感じていた。


 鍵は身体を沈めると、瞬く間に私の脇をすり抜けていってしまう。最初から、私など眼中になかったかのような、そんな振る舞い。


 違和感の正体に、ようやく気が付いた。何故ならば、最初から私を見ていなかったのだ。


「こいつ……!」


 狙いはなんだ。この場合あり得るのは、本体の千影。


 急いで後ろを振り向き、目と身体で鍵を追う。しかし、私は違うものに目を引かれた。


 振り向いた先で、目を疑うようは出来事が展開されていたからだ。


 帯を使って果歩を拘束する真摘。


 いつの間にか目を開けた千影に対し、拳を向ける縁。


 そしてその縁に攻撃をしかけようとしている鍵。


 今、私は一体なにを見ているのだろう。


 この一瞬を理解するのに、私の小さな脳みそでは、不可能と言わざるを得なかった。

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