第21話

 そう思ったのもつかの間。千影の意識はないはずだが、巨大なドラゴンが動きだした。


 腕を振り、完全に迎撃態勢に入っている。霧でできた体躯は予想以上に素早く、避けるので精一杯だった。大きな見た目からは想像できないほどに俊敏だと、感嘆の吐息が漏れる。


 一度詰めた距離だったのに、また離れてしまった。


 距離が離れたはずなのに、気が付けば周りには黒い霧がただよっていた。先ほどよりも、霧が濃くなっている。


 それに気付くのと同時に、私たちの身体から黒いもやが出てきた。それは空気に溶けることなく、龍に向かってゆっくりと吸い込まれていく。


「もしかしてこれは、DSの能力……!」


 間違いない。これは精神力の吸収だ。吸収力は微弱だが、広範囲で対象にも限りがなさそうである。


 このドラゴンは千影の魔法を行使できる。つまり、対象転換も損傷転換も魔装の強制解除も、すべて使用できるとしたら。


「まずい! 二人とも逃げなさい!」


 振り向いて大声を出す。しかし、もう遅かった。


 広範囲に及ぶ魔装の強制解除。


「しまっ……!」


 ドラゴンが前足を振り上げた。もしも対象転換を使用した状態で、あの腕を地面に叩きつけられたら、魔法少女でなくなった私たちなんてひとたまりもない。転身を解除された以上、私たちはただのイレギュラーなのだから。


 今の身体能力ではどうすることもできない。


 振り下ろされる龍の腕は、まるでスローモーションのように感じられた。


「――させない!」


 一陣の風が通りすぎ、ドラゴンの前足が弾け飛んだ。霧状なのですぐに再生するが、一応攻撃は止まった。


 ドラゴンの前足を攻撃した一陣の風は、見つめることしかできなかった私を抱き上げた。身体が宙に浮いたかと思えば、ものすごい速さで霧の外へと連れ出された。


 私よりも前に救出されたのだろうか、下ろされた場所には縁と真摘も座っていた。


「大丈夫?」

「果歩! アナタどうして……!」

「たぶんだけど、チカゲをノブレスで斬ったからだと思うよ。食った精神力の一部が還元されたんだ」


 疑問を解消するように、式が解説してくれた。今までどこに隠れていたのやら。


 白いドレスを身に纏う果歩。これが彼女の転身した姿か。清楚な果歩に、この純白はよく似合う。


 右手には槍を持ち、左手首には大きめな腕輪をしていた。


「果歩はあの黒い霧の中で平気だったの? 私たちは魔装を強制解除されたのに……」

「きっと転身魔法のおかげね。私の『トルメンタ・ファブラ』は、嵐を身体にまとうの。相手の攻撃が霧状だったからこそ、私は無事だった。でも長時間は無理よ。霧と接している部分は、徐々に強制解除されてしまうから」


 つまりこの中であのドラゴンと対峙できるのは、唯一果歩だけということになる。短時間であっても、戦える人間がいるというのは大きい。


「あのドラゴンはチカちゃんを守っているみたいね。チカちゃんに攻撃をしたくても、邪魔されてそれができない」

「あの霧さえなんとかできれば……」


 待てよ。果歩の魔装でもあの黒い霧の影響を受ける。しかし、一瞬で魔法が解かれることはない。表面から徐々に削り取られていくとすれば、真摘の天候操作だって、少なからず効果はあるはずだ。身体を構成する霧は消せなくても、周囲を囲む霧くらいはなんとかなる。


「真摘はできるだけ強く強風を吹かせて。それで周囲の霧を吹き飛ばすわ」

「それからどうするのです? 周囲の霧を消しても、DSの能力がそのままならば意味がないと思いますが……」

「正直なところ、私の出番はないの。リンネセイバーは霧や空気とは相性が悪い。今回メインになるのは果歩よ。まともに近づけるのは果歩くらいだから」


 果歩は静かに微笑んでいる。おそらく、私の考えがなんとなくわかっているんだろう。


「ボクはどうすればいい?」

「縁は果歩の運搬役。境印を使えば、一瞬で相手の近くまで行かれるでしょう?」

「それはそうだけど、そのマーキングができないよ。本体じゃなく地面にマーキングすることだって難しいと思う」

「そのために私がいるのよ。このリンネシールドにマーキングして。今の千影は、本来の魔法とは範囲や時間が違うわ。魔法を発動した状態なら、数秒くらいなら保つはずよ」

 私のリンネシールドをもってしても、あの黒い霧は完全防御できない。しかし、果歩の鎧がそうであるように、一瞬で強制解除されるわけではないのだ。それならばやりようはある。


「じゃあそのシールドは誰が……」

「持ち主の私に決まっているでしょう? 真摘が風を吹かせてくれるなら、かなり近くまで接近できるはずだわ」


 魔法の強制解除やその他の能力は、すべてあの霧が原因だと推測できる。真摘が風を吹かせ、他の三人で総攻撃をかけるのも、もしかしたら通るかもしれない。しかし、ドラゴンの攻撃だけは誰かが相手をしなければいけなかった。


 と言ったはいいものの、私はすでに限界だ。


 消耗しているのは私だけではない。


 縁はDSと一対一で戦っていた。


 真摘だってDSといい龍といい、常に天候操作で援護をしていた。


 果歩は黒い霧の中で戦闘できる唯一の魔法少女だが、これは最終兵器だ。


 全員が精神力の限界を迎えようとしていた。


「ふう……」


 一度、呼吸を整える。今できるのはこれくらいだ。


「――リンネ、キミの精神力を回復してあげよう」

「そんなことできるの?」

「ボクの鍵を授ければ、精神力は回復する。しかし、一人にしか与えられない。鍵は最低でも二つないと、ボクは身体を保てないからね」

「回復できるのも、戦えるのも一人だけ、か」


 式に向かって手を出した。


「貸しなさい」


 小さく頷く式。胸の辺りから鍵を取りだし、私に手渡した。


「この鍵、千影のと形状が違うのね」

「鍵は各々で形が違うんだ。性能も若干違うけどね」


 性能と言う言葉が少し引っかかったが、首を振って忘れることにした。今はやることがあるのだから。


 鍵を受け取った瞬間、力が溢れてくるようだ。


 なにもしていないというのに、一瞬で転身が完了してしまった。千影が無意識世界に来た瞬間に転身していたのは、これが原因なのかもしれない。


 鍵は身体に溶けて、私の一部になった。


「リンちゃん」


 果歩が私の手を握ると、握られた手が光り出す。


「これは一体……」

「私の腕輪『レボルシオン・コンペレラ』の能力は強化と進化なの。これで、リンちゃんの魔装を強化するわ」


 光は手から腕へ、腕から身体へ。そうして、全身を包んだ。


 力が溢れるというよりは、全身が温かくなってくるようだ。


 剣も盾も、形状に変化があった。丸いだけだった盾は、大きく縦に伸びた。簡素だった剣は装飾が付き、柄も刃も細く長くなった。


 銀色一色の鎧も金属部分が若干白くなり、赤いラインはそのままだが、黒いラインは青くなった。赤と青のラインはスカートなどの衣服も同じで、なぜかフリルもちりばめられていた。


「これ、果歩の趣味でしょう?」

「よくわかったわね。ほら、行ってらっしゃいな」

「合図はないわ。ちゃんと自分で見極めなさい」


 縁は前にいろんな格闘技を習っていると言っていた。私が指示するよりも、縁に見極めさせた方が確実だ。


「真摘!」

「はい!」


 真摘が扇を前に突き出す。扇の先端から、透明な球体が出現した。球体と大気の間には歪みがあったので、透明でも視認はできる。


 その球体が一瞬で大きくなり、龍に向かって強風が吹きすさぶ。扇の後ろにいる私たちの髪の毛が踊るほど、その規模は大きい。


 強襲する風が黒い霧にぶつかった。触れた瞬間に真摘の魔法を強制解除するので、霧が壁のように行く手を阻んだ。

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