第10話
先日同様、アスファルトの上を駆け抜けていく。そこで、妙な感覚があった。この街のどこかになにかがいる感覚。人の気配。そうかこれは――。
「式、出てきなさい」
足を止めてそう言った。
「なになに、ボクはキミの家来じゃなのだけれど?」
ちょっと語調が強い。微妙に怒っている、体を装っているのか。
「妙な感じがする。縁がここに来た?」
「よくわかったね。それが繋がってるっていうことだよ」
「そう、ありがと。じゃあ消えてもいいわよ」
「ちょっと! 急に呼んで、用が済んだらバイバイってヒドすぎるでしょ! 都合のいい女じゃないんだよ!」
「そもそもアナタは女じゃないでしょう」
「それを言われるとなにも言えない」
「はいはい、じゃあね」
「かなしさ」
なんて言いながらまた透明化した。少しだけ扱い方がわかった気がした。
ふと空を見上げると、空を飛ぶ能力があってもよかったなと思った。
「らしく、ないわね」
無い物ねだりをしている暇があれば、そこに向かって邁進するのが私のやり方、私の考え方だ。
今一度足を動かし、街の中を走っていった。
大きめの公園にさしかかった時、見たことがある後ろ姿があった。公園のベンチの後ろに隠れてしゃがむ黄色いジャージ。腕や足に黒いラインがある。間違いないだろう。
極力音を殺し、気配を消して近づいた。
「なにをしてるの?」
ビクッと、黄色いジャージ姿が跳ねた。
こちらに振り向き、驚いた顔をしたあとで立ち上がり、私の方を掴んで座らせた。
「驚かさないでよ! 気付かれちゃうじゃんか!」
「まあ、そのつもりだったから」
「底意地悪いな!」
「で、なんでこんなところで隠れてるわけ?」
「あれ、あれ見てよ」
指を差す方を見た。
「女の人がベンチに座ってるわね」
この場所から数百メートル先にあるベンチに一人の女性が座っていた。
淡い茶色の髪の毛は肩ほどまで、キャミソールにミニスカート、足には高めのヒールを履いていた。
「なんというか、遊んでそうな見た目ね」
「でもあれ、間違いなくイレギュラーだよ」
「じゃあ切りなさいよ」
「そうなんだけど、あの憂いの表情が躊躇させるというか」
「なんで他人のセンチメンタルに共感してるのよ。そんなことじゃ、イレギュラーをノーマルに戻すなんてできないわよ」
立ち上がり、ベンチを飛び越えた。
「ちょ、ちょっとリンネ!」
一歩二歩三歩と、数百メートルの距離を縮めた。
「初めまして」
そう言いながら剣を抜いた。
彼女は儚げな表情のまま顔を上げた。
「ええ、初めまして」
引っかかる。見た目に反して丁寧で、しっかりと相手の目を見て離す。この女性になにかあったのはわかるが、その状況でもきちんと受け答えをしようとしている。
「その格好。コスプレですか?」
ジッと見つめていると、彼女の方から話しかけてきた。やはり少しおかしい。
「そういうわけではないわ。私たちは……そうね、この世界を守る番人と言ったところかしら。この世界は意識ある者がいてはいけない世界なの。だからアナタのように意識がある人の意識を奪うのが私の仕事なの」
「そう、ですか……」
彼女がまた顔を伏せた。
「そのままでは私はアナタを切る。嫌なら嫌と言った方がいいわよ」
「イヤ、と言っても意味はないんですよね?」
「まあ、そうだけど」
ここで縁が横に並んだ。わざと遅く来たわね、この子。私がこの人と話している時の雰囲気を汲み取ったか。
「幾つか、質問があります」と、彼女が言う。
「ええ、どうぞ」と私が言う。
「この世界の人たちには意識がありません。あれが普通なんですか?」
「そういうこと。詳しい話は省くけれど、この世界があれが平常なの。ただし、こちらの世界で意識がある人の多くは、心になにかを抱えている。抱えていない人もたまにいるけれど」
縁と出会った時のことを思い出しながら言った。
「心に、なにかを……」
彼女は胸の前で両手を握った。
「現実の世界でなにかあった?」
そう口にしてから「私はなにを訊いているんだ」と呆れてしまった。こんなことを訊いてなにになる。こんなことを訊いたからと、私の役目が変わることはないのに。効率を求めるのであればこの場で有無を言わさず斬り伏せればいい。彼女の悩みを聞いているだけの時間は無駄なのだから。
「――姉が、いるんです」
訥々と、彼女が語り始めた。
戦闘の必要性がないと判断して魔装を解いた。私が彼女の横に座ると、縁もまた私の横に座った。
「すごく出来た姉なんです。年は五つ離れてて、勉強もできて。でも私は父を早くに亡くして、家があまり裕福じゃなかったんです。だから姉はアルバイトをしてお金を溜めて、そのお金で短大に行きました。家系を支えるために、母はほとんど家にいませんでした。だから私は姉に育ててもらったと言ってもいいかもしれません。でも姉は文句の一つもなく、いつも笑顔で接してくれたんです」
片親、再婚、妹。通じる部分が多く、胸が妙にざわついた。
「姉が高校を卒業する頃に母が再婚して、私は普通に私立に行かせてもらえるようになりました。姉ほどではないけれど、私もそこそこ勉強ができたので。でも、姉はなにも言わないんです。姉はもう就職していますが、恋人も作らずに休みの日は家の手伝いをして。今まで「これでよかったんだ」って顔で生活しているんです。私立に通い、昔よりもいい暮らしをしている私にも優しいんです」
「なるほど。アナタは姉に嫉妬して欲しいのね。怒って欲しいのね。ぶつかって、言いたいことを言い合えるようになりたいのね」
「そう、かもしれません。出来が良い姉が苦労して、姉よりも出来が悪い自分が楽をしている。自分のことながらそれが許せないのだと思います。だから、その部分に対して姉に文句を言って欲しいんです」
「だからそんな格好を?」
「そうですね。ちょっとした反骨心みたいなものでしょうか。こうやって振る舞っていれば、いつしか衝突できるかもしれないって、そう思ったのだと思います」
「けれど姉はいつもと変わらない、と」
「私はどうすればいいかわからないんです。この気持ちを解消する方法が、わからないんです」
彼女がスカートをキツく握った。
「なんだ、そんなの簡単じゃんか」
と、いきなり縁が割り込んできた。
「縁は黙ってて」
「ボクは一応先輩だぞ! それに、そういうのはウジウジ悩む必要ないんだって!」
「なにか良い策でもあるの?」
「策もなにもないんだって。あっちにそのつもりがないんだったら、こっちがその気にさせてやればいい。なにも言わないんだったら、自分の口から言わせるようにすればいい。簡単な話なんだって」
「それはつまり――」
「そう、キミが行動を起こせばいい。相手からのアプローチを待つんじゃなくて、直接干渉して、本当の気持ちを聞き出すんだ。だってそうだろう? キミがお姉さんの気持ちを知りたいのであって、姉にはそのつもりがないのかもしれない。それならキミが能動的に動かないと、この状況は動かないのさ。人になにかをしてもらいたいと思ったら、まずは自分が動かなきゃ状況なんて変わらないよ」
彼女が顔を上げて縁を見た。その目は、今までとは少し違っていた。
「私に、できるでしょうか」
「よく言うだろ? できるできないじゃないんだよ。やるんだ。やるしかないんだよ。そうじゃなきゃ事態は動かないんだから」
彼女が縁から視線を外して正面を見る。二度、三度と瞬きをしてから下唇を噛んだ。
「やって、みます」
「そうだ! 頑張れ!」
「はい、ありがとうございます」
彼女が立ち上がった。私と縁の前に立って一礼。そして、そのまま歩いていってしまった。
「ねえ縁」
「なんだいリンネ」
「ナチュラルに見送ったけど、これってちょっと違うんじゃないかしら」
「まあ、イレギュラー切ってないからね」
「なんで行かせたのかしらね、私たち」
「彼女なら行かせてもいい、と思ったからじゃないかな。こっちの世界のことを誰かに話したりすることもないはずだよ」
「そうね、アナタの言う通りかも。でも、次に出会った時は切るわ。いいわね?」
「それはリンネに任せるよ」
結局、その日は他のイレギュラーを一人切っただけだった。特に悩みなんかない、単純に器が小さい人間だった。縁と出会った時のような、柄の悪い男だったこと以外はよく覚えていない。
しかしそれでいいと思った。いや、思ってしまった。この考え方に足を掬われなけば、このままでいいのかもしれない、と。
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