第9話
「と、いうことがあったわ」
自宅のテーブルを、式と囲んでいる最中だ。
「心強い味方ができたね」
「バカ言わないでよ。もっと過激になったらどうするの。縁は私を守るって言ってたけど、学年も違うし家も反対方向。学校でしか保護がないのよ?」
考えただけで頭が痛くなった。
一応、私をいじめていた主犯格数名は停学二週間だそうだ。が、停学が開けたらどうなるのか、それはわからない。
「なるようにしかならないんじゃない? 思考だけでなんとかなる世の中じゃないし」
「まるで世の中を見てきたかのような言い方ね」
「ボクはキミなんかよりも、ずっと長く生きてるんだよ。それに向こうのことだって知ってる」
「でも経験はしていない」
「してないんじゃない。できないんだ」
不毛すぎる言い合いだ。どちらも間違っていないが、どちらも正しいと言い難い。生きていく上ではどちらも必要だから。
「そうだ式。まだ聞いてなかったのだけど、ノーマルというのは夢を見ている状態なのよね?」
「そうだよ。なにかおかしな点でも?」
「無意識世界に来る前は普通の夢を見ていた。しかしそこでもいろんなことができたわ。起きたとき、今ほど夢を鮮明に覚えてなかったけれど、かなり自由だったと思う。確かに思い通りに身体は動かせなかったけど、あんな風に町を徘徊することもなかった」
「あーそれね。疑問にも思うよね」
式は初めて会った日のように、モニターを出現させた。
「それ必要なの? 前回もほとんど使ってなかったじゃない」
「形式美というのを知っているかな?」
「さっさと説明しなさいよ、鬱陶しい」
「キミってホント扱い方が難しいな。まあいいや、それで夢なんだけどね」
モニターにはデフォルメされた人の影が二つ。右は頭の中に円が二つ。左は円が一つある。
「右はノーマル、左はイレギュラー。ノーマルというのはね、あの虚ろな頭の中で夢を見ているんだよ。でも、イレギュラーはこの無意識世界そのものが夢なんだ」
現実世界での人体が、モニターに映されている影。そして外側の円が無意識世界か。ノーマルにのみ、もう一層円があり、その中で夢を見ている。
「ノーマルは二重構造なのね」
「内円の中が意識。内円と外円の間が無意識。外円と人型の間が夢。外円と人型を隔てる壁が壊れて、この無意識世界と夢が一緒になるんだ」
「夢の壁を壊すためにはなにが必要なの?」
「なにかを必要とするんじゃない。というか、現実世界での心的ストレスが起因するんだ。キミは花粉症というアレルギーを知っているかな?」
「ええ当然。まあ私は花粉症じゃないけど」
「花粉症というのはね、産まれながらにして個々に設定された『花粉を受ける器』があるんだ。その器が花粉を受けきれなくなり、外に漏れ出すことでくしゃみや鼻水として外に出るんだ」
「つまり、心的ストレスにも受け皿があると。その個々に存在する器の容量は異なり、あふれ出した者がイレギュラーになる」
「察しが良くて助かるよ。この図で説明すれば、内円と外円の間にある無意識空間にストレスが貯まる。そしてそれがいっぱいになって壁が壊れるのさ」
「ありがとう。私以上に心的ストレスを受けていても、器が満ちていないとイレギュラーにはならない」
「ユカリがイレギュラーになったのだって、大きいストレスを感じたからではない。元々器そのものが小さかったんだよ」
「なるほど、合点がいったわ」
「本来、器がそこまで小さくなることはない。というかどこにでも特異点というのは存在するんだよね」
この世界は、私が思っていた以上にややこしいものだ。深い所まで話を聞く気にはなれない。面倒なのは現実でお腹いっぱいだわ。
「やっほー! こんなところにいたんだ!」
「一応私の家なのだけど」
「無意識世界じゃ関係ないと思うんだ、ボク」
「間違っているだの正しいだのって言うクセに、こういうところはテキトーなのね」
「それだけリンネに気を許しているんだろうね」
「そうそう、ボクはリンネのことが好きだからね」
「昨日初めて会って、好きになるような要素がどこいあるのよ」
「そうやって冷たくあしらおうと頑張ってる姿とか?」
「これは素でやってるのよ。他人は苦手だわ」
「他人に危害を加えないために他人を遠ざける姿とか?」
「言ったでしょう。私は他人が苦手だから遠ざけているだけ」
これ以上は無駄だ。体育会系と思いきや、縁はそこそこに頭の回転が速い。言いくるめるにも時間がかかりそう。卑怯だけど、無理矢理切り上げるのが正解だ。
「もう行くの?」
「浄化が目的だもの。イジメの緩和は相当アレだけど、継続は力なりとも言うしね」
式に視線を送ったが、彼は私から視線を外した。こいつ、わかっててやってるからたちが悪い。
「それじゃあ浄化しに行こうか」
家を出たところで、式はどこかに消えていった。いつもどおりだな、これは。
昨日とは違うルートで警邏をする。ノーマルが殺された気配もないし、特に異常は見当たらない。
「隣町にでも行ってみる?」
「それもいいわね。今日はどんな人がいるのかしら」
「いや、というかイレギュラーはいない方がいいんだけどね」
また隣町、というのも野暮な話だ。ふわふわと空中に浮かんでいた式が消え、私は一人で家を出た。
式はたぶん、透過してはいるがそこにいるのだろう。
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