第8話

 父は眠っていたので、今日は怒鳴られずに済んだ。千影は今日も家にいなかった。


 スズメの鳴き声だけが耳に入ってきて、私の起床が早すぎるのだと言っているみたいだ。


 私はいつも通り早朝に勉強をし、授業もこなした。


 式を信じていないわけじゃないのだが、お昼休みは覚悟を決める。


「月城、ちょっと」


 女子数名に囲まれた。やはり、イジメの緩和はかなり期待薄だ。一般人の浄化だけでは、ほんのちょっとイジメの過激さを抑える程度のもの。むしろエスカレートしないようにせき止めているくらいでしかない。


 あのダークストーカーとかいうのを倒さないと、イジメはなくならないのだろう。


「ええ、行きましょうか」


 抗わないことが、最大の防御だった。それは小学生のときに学んだ。


 彼女たちに続き、私も教室を出る。クラスメイトを目の端で見やるが、まったく気にしていないようだ。まあ、私もアナタたちには興味ないけど。


「ちょっと待ちなよ」


 集団の前に、小柄な少女が立ちふさがった。首に巻かれた黄色のタイは、三年生だということを示していた。一年が青、二年が赤、三年が黄だ。


「なんだよこいつ。一応三年?」

「なに言ってんの、この人風紀委員長だよ。風神って呼ばれてる」

「背は低いけど一応三年で風紀委員長。それにこいつじゃない。ボクの名前は――」


 知ってるわ。


「霧ヶ谷縁だ!」


 まさか、同じ学校だったなんて。他人に興味がないというのも考えものね。


「だからなに? さっさとどいてもらえる?」

「嫌だね。その人をどこに連れていくのかは知らないけど、あまりいい雰囲気じゃない」


 縁はこの集団を見渡してそう言った。


「何回か見たことあるけど、良くないことをするつもりなんだろ? 今日ようやく知ったよ、その人のこと」

「だからなに? いくら先輩でも、個人的なことに首突っ込んで欲しくないんだけど」

「いくら個人的と言っても、よくないことに代わりはない」


 眉間に皺をよせ、構えを取った。しかし、野次馬が集まり始めてる。こんなところで騒ぎを起こすなんて、一体なにを考えているの。


「やめて」


 前にいる女生徒を掻き分け、縁の前に出た。


「気軽に名前を呼ばないでください。私はアナタのことなど知りません。騒ぎが大きくなる前に退いてください」

「リンネ……」

「行きましょう。お昼休みが終わってしまうわ」


 縁を無視するように、集団の一部として廊下を進む。


 すれ違いざまに「関わらないで」と小さく言っておいたから、次からはなにもしてこないはずだ。こんな情けない姿を見せたくはなかったけれど、それ以上に巻き込みたくないのだ。


 彼女を気に掛けているわけじゃない。面倒事になるのがゴメンなのだ。


 イジメはほとんど緩和されていなかった。今日は便器ではなく、ホースで水をかけられた。まだ夏までは時間があるため、全身ずぶ濡れになると寒い。しかし、やめて欲しいなんて言えば、更にひどいことになりそうだ。


 それにしても、こう毎日毎日床に顔を押し付けられるのは勘弁願いたい。汚いし、それにいい臭いとも言えない。あまつさえ上履きで踏みつけてくる。モップ攻撃も始まった。


 父親からのビール瓶攻撃に比べたらまだ良い方だけど、それでも痛い。


「なあ、そろそろいっちゃわない?」


 かと思えば、攻撃が止んだ。次になにをするか話をしているみたい。


「だね。じゃあ開いちゃおうか」


 うつ伏せの状態を、無理矢理仰向けにされる。そして、足を大きく開かされた。


「なにを、するの」

「お前どうせ処女だろ? 私たちがもらってやるよ」

「正確にはこいつがだけどな」


 手に握られているのはモップ。しかし一本だけじゃない。他の女子たちもモップやホウキを持っているのだ。あの卑下た笑顔は、いつになっても腹が立つ。


「やめて……」

「やめてあげなーい!」


 彼女たちはスカートをめくり、ショーツに手をかけた。そして一気に脱がされる。


「よかったね月城! 最初の相手が男じゃなくてさ!」

「しかもこんなにいっぱい。感謝されてもいいくらいじゃん」


 やめてなんて言って、やめてくれるような連中じゃない。そんなこと、知っていたことだ。少し抵抗しようと思ったけど、もうそんな気力もないわ。


 諦めと共に、腕に込めた力を、そっと抜いた。


「許さないよ」


 突然、トイレのドアが音を立てて開かれた。


「関わらないでって言ったのに……」


 うつ伏せの状態から少しだけ見えた。彼女は強く拳を握りしめ、わなわなと震えていた。


「許せるわけがない。こんなの間違ってる!」

「ウチらの楽しみ、取り上げる気かよ」

「こんなのが楽しいと感じるなんて、相当キてるね。その性根、叩き直してあげるよ!」

「言ってろクソチビ!」


 私は急いでショーツを穿き、壁際に避難した。なぜそうしたかと言えば、急に殴り合いが始まったからだ。


 縁は素手だが、敵は皆武器を持っている。しかし、彼女はまったく意に介さなかった。


 手刀で武器をはたき落とすなんて当たり前、素早い平手でアゴを叩いたり、ローキックで相手を転ばせたり。あれよあれよという間に全滅だ。


「おい霧ヶ谷! 大丈夫か!」


 立っているのが縁だけになった頃、先生たちが到着した。この惨事を見て、顔を青くしている。


「大丈夫かい?」

「大丈夫に、見える……?」

「見えないな。保健室にでも行こうか」


 縁は私の肩を担いで立ち上がった。身長差は十センチ以上あるようだが、彼女は軽々と私を持ち上げた。


「重くない?」

「そりゃ重いよ。ひと一人って、やっぱり重い」

「ごめんなさい」

「リンネが謝ることないって。それより、ボクももっと早く止めてればよかったね。先生たちを呼んでたら時間がかかっちゃって」


 のびている女生徒たちは、先生方によって運び出された。


「イジメの規模が大きくなったらどうするのよ……」

「また守るよ」


 歯を見せて笑うその顔は、体育会系独特の爽やかさを持っていた。


「アナタは主人公かなにかか……」

「さあね。もしかしたらそうかも」


 つられて、思わず私も少し笑ってしまった。


 正義感も強いが、肉弾戦も強い。まったく、いろんな意味で食えない人だ。

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