第5話

 武志の眼光を受け止めながら、私は彼の背後を指さした。彼の背後で彼女が息を吹き返したのだ。


「タ、ケシ……? タケシなの?」

「アサミ……!」


 やはり、か。


 この『ノブレスオブリージュ』が持っている能力は、イレギュラーをノーマルに戻すという能力ではない。イレギュラーとノーマルを入れ替える能力なのだ。


 現実世界において、破壊は簡単だが、修繕や創造は難しい。しかしこの世界は別だ。式が言ったとおり、なにかができればその逆も可能。壊すことができれば、治したり作ることも容易に行える。


「アサミ……本当に君なのか……?」

「うん、そうだよ。それよりもなんでタケシがここに? 私は確か死んだんじゃ……」

「僕も、いろいろありすぎてよくわからないんだ。でも、アサミにもう一度逢えたから、あまり考えないようにしたい」


 アサミはタケシの瞳を見て、口を開いた。


「ごめんね、置いてっちゃったね」


 慈しむように、彼の頭を撫でた。


「ごめんね、寂しい思いしてない?」


 懐かしむように、彼の頬に触れた。


「ごめんね、ずっと一緒にいたかったよ」


 愛おしそうに、彼の唇にキスをした。


「違う……違う……! 謝るのは僕だ! 最後まで煮え切らないで、君に好きだと、大好きだと伝えられなかった!」


 彼は彼女を強く抱きしめて、小さく震えた。


「今、言ってくれたじゃん」

「生きてるときに、言いたかったよ。生きてるときに、聞いて欲しかったよ」

「身体はないけど、意識は生きてる。だから、ちゃんと聞いたよ。最後に良い夢がみられたなって、本当にそう思える」

「君との関係を壊したくなくて、ずっと踏み込めなかった。アサミが僕を好きだって知ってたけど、幼なじみのままなら壊れないって思ってたから。なのに……!」

「形あるものはいつか壊れるの。それが遅かれ早かれね。関係の前に、私の身体が壊れちゃった」


 アサミは無邪気に小さく舌を出した。その行動とは裏腹に、瞳いっぱいの涙を浮かべながら。


「あの人に、感謝しなくちゃ」

「ん? 私か?」


 急に指を差されたので、反応が遅れてしまった。というか部屋から出ればよかったな。なんというかタイミングを失ってしまった。


「そう。実はね、見てたの。タケシのこともわかった。でもそれが上手く外に出せなかったんだけど、あなたがそれを可能にしてくれた」

「博打だったのだけど、上手くいってよかったわ。上手くいかなかったら、アナタはこの世界から消えていたのだから。といっても、輪廻転生で現世に戻っただけだろうけど」

「面白い人ね。でも、ありがとう」

「礼はいらない。用事が済めば、二人とも切り捨てて意識を消す。もう二度と、こちらの世界で意識をもって動き回れないように」


 アサミの場合もノーマルに戻せばいい。


「もう少しだけ、いい?」

「ご自由に。私は外で待ってるから、決心できたら呼んで頂戴」


 病室を出るいいタイミングが巡ってきたと、靴を鳴らしながら病室を出た。


 三階の休憩室。ペットボトルのお茶を買い、ソファーに腰掛けた。買ったという表現は正しくない。バッサリ切って頂戴したのだから。


 お茶を飲みながら、私はなにをしているんだろうと自問自答した。


 ノブレスの力を試したかったのは事実だが、こんなお節介を焼く必要はない。にも関わらず自分から面倒を買って出た。


「たまには偽善も悪くないと」


 そう、思う他ない。


 いますぐにでも二人をノーマルにすれば、私の現実は明るみに近付く。なのにこんな手のかかることを……。


「効率が悪いのは嫌いなはずなのに……気の迷いとは怖いものだわ……」


 彼を、武志を放っておけなかったのは事実だった。


 お茶も四本目に突入し、トイレも何回行ったかわからない。その間、過去を振り返ってみたり、これからのことを考えてみたり。あとは昔やった問題集を思い出して解いたり。


 どうでもいいけど、無意識世界でも尿意ってあるのね。


 一人遊びは昔から得意だったから、長時間だって怖くない。


「リンネさん」

「ごめんなさい。待たせちゃいましたね」


 二人は手を繋いで、私の前に現れた。


「別に、待ってなんていないわ」

「お茶四本目ですけど……」

「ええ待ったわよ待ちました。これでいい?」


 飲みかけのペットボトルを、机の上に置いた。というか叩きつけた。若干式の口癖が伝染したような気がする。


「それで、用事は済んだの?」

「はい、いろいろ話せましたし」

「この時間が続けばいいのにって思う。けど、そういうわけにもいかないんだって、私もわかってます」

「僕たちは互いに言いたいことが言えた。心残りはもうありません」

「あーこれは嘘ですね。タケシも私も心残りしかないので」

「ちょ、ちょっとアサミ!」

「本当のことでしょう? でも、決めたもんね」

「……ああ、そうだな」


 二人の瞳は、これから起こることに臆していない。まったく恐れることもなく、笑顔さえも浮かべている。しかし私には、それがなぜかわからない。


「せっかく逢えたのに引き離されて、それでいいの?」

「よくないですよ? でも、これは幻だから。いつまでもすがっていては駄目なんです」


 アサミは悲しそうに目を伏せた。


「タケシのことは大好きだし、これからも一緒にいたいと思う。けれど、彼には未来があるから、迷わずに進んで欲しいんです。最初は聞いてくれなかったけれど、なんとか聞き入れてくれたので。だから――」


 涙を流しながら、彼女は満面の笑みを浮かべた。


「殺してください」


 きつく繋がれた手は、会話の最中でもずっと震えていた。だからこそ私は目を閉じ、アサミの言葉を飲み込んだ。


「了解したわ」


 彼女の決意を無駄にはできない。本心はわからないけれど、斬られるとわかりながら私の前に立ったのだ。


 私は剣の柄を握り、抜刀の構えを取った。


「ありがとう、アサミ」

「いいえこちらこそ。またどこかで逢えたら、よろしくね」

「閃け、ノブレス」


 抜刀し、二人同時に切り払った。水平に、剣を薙いだ。


 最期の最後まで手を握ったままとは、仲がよろしいことで。


 倒れた二人を背にし、私は病院を出た。これ以上あそこにいる意味はない。病人たちの中でイレギュラーを探すという手もあったが、今はそんな気持ちになれなかった。


「キミって案外優しいんだね」

「式、アナタは全部見ていたの?」

「いきなり一人で行かせるのもちょっと心配で……」

「悪趣味だこと」

「でも、ボクはキミを見直したというか、感激した。感動した!」

「ただの気まぐれよ。もう二度とやるもんか」


 まばゆい光が、天上から降り注ぐ。


「もう時間なのね。溜め息しか出てこないわ」

「でも少なからず役目を果たしてくれた。魔法少女への第一歩を踏み出したんだ」

「嬉しくもなんともないわ……」

「ちゃんといじめは緩和しておくよ。昨日よりも、キミの現実に幸あれ」

「幸はいらないから、普通の生活をお願い」


 魔法少女として無意識世界の秩序を守る。私みたいなのがこんな役目を担うなんて、本当に信じられないわ。


 いろいろと釈然としないが、私の気持ちなど関係ない。今日の夢はここで終わってしまうのだから。


 釈然としないのは自分の行動についてなのだが、なんとなくその理由がわかりかけてきた。


 自分が世界征服をした際に自分を支持する人間を得るためだ。

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