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「わたくしにしか……わからぬとな?」


「子供の父親は、母親にしかわからない」


「あなたは一体……」


 ゴォーゴォーと音を立て、柱が燃え上がる。


「危ない!」


 丈がわたくしに覆い被さった。

 記憶の中で……殿方がわたくしを抱きすくめた。


 燃え盛る炎は……

 わたくし達に迫りくる。


 ――『イチ……』

 ――「イチ……」


 記憶の中の殿方の声と、丈の声が重なった。


 丈の髪が燃え盛る炎の中で、黄金色に光る。


 青き瞳……

 金色の髪……。


「あなたは……」


 ――脳裏に、ある光景が浮かぶ。


 火の粉の舞う地下室で、殿方はわたくしの体を抱き上げた。広き室内には太陽の光が差し込んでいる。


 ――『イチを必ずここから救い出す』

 ――「イチを必ずここから救い出す」


 涙が次々と溢れ出す。

 その殿方の名は……。


「……ジョエル」


 丈はわたくしの言葉に目を見開いた。そしてその青き瞳に涙が浮かぶ。


「イチ……思い出してくれたのか……」


「……ジョエル。ジョエルなのね」


 わたくしとジョエルは、強く抱き合う。ジョエルはわたくしの唇に熱き口吻をした。


 ゴォーと音が鳴り、地響きがする。それは北ノ庄城が崩れ落ちる音だった。


「逃げるのだ、イチー……」


「……はい」


 炎の中で、わたくし達は逃げ惑う。ドンッという大きな音とともに、頭上から天井が崩れ落ちた。


「きゃああー……」

「イチー……!」



 ◇◇◇



「母上様……」


「姫様、お迎えに上がりました」


 羽柴秀吉は燃え盛る城を見つめ涙する三人の姫にひれ伏した。秀吉の保護を受け、叔父の織田長益の庇護の下、三人の姫は侍女達とともに、安土城に住むこととなった。


 天正十一年、四月。

 柴田勝家、お市の方様、北ノ庄城にて自害と世には伝えられた。


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