市side

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「お市の方様、茶々姫様ならわたくしが……」


「お花、よいのか?」


「はい、大局も初姫様と江姫様に手を焼いておいでで。わたくしが茶々姫様を寝かせつけまする」


 お花が手を差し出すと、茶々はわたくしの後ろに隠れた。


「まぁ、どうしたことでしょう。大局の方がよいとな?」


 茶々はわたくしの着物を両手で掴み、顔を左右に振った。


「茶々姫様、さぁ寝所にまいりましょう」


 お花の差し出した手に、茶々は噛み付く。


「……痛いっ」


「な、なんと……!?茶々姫、お花に謝りなさい」


「母上様がいい」


「茶々姫様は甘えん坊でございまするね。お市の方様はお忙しいのです。茶々姫様、我が儘を言ってはなりませぬぞ」


 茶々はお花の手を払い、わたくしにしがみつく。


「茶々、今宵だけ母が傍におるゆえ、あんずるがよい。お花、わたくしが寝かしつけます。もう下がってよい」


「はい」


 お花はわたくしが浅井に嫁ぐ前から仕える侍女。


 織田から浅井に嫁いだあともわたくしの傍にいて、気心も知れた間柄だ。


 小谷城にいた時は、茶々も初もよくなついていたのに、お花に噛み付くとはどうしたことか。


 父上を亡くし、怖い夢に怯え、茶々の心も不安定なのやも。


 わたくしは茶々の床に添い寝をする。


「母上様、狼の声がほら……すぐ傍に……」


 狼の声などわたくしには聞こえなかった。


「茶々、何も聞こえませぬよ」


「伯父上様のお城には、赤き目をした侍がおります。伯父上様のお命を狙っております」


「そのようなことは、決して他言してはならぬ。よいな」


 茶々の奇行はますます激しくなるばかり。真に迫る虚言癖に、わたくしはどうすればよいのか、途方に暮れていた。

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