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「旦那様……。なりませぬ……」


 男は荒々しく妻の着物の裾を足で割った。貪るように妻を抱く男の目が赤く光った。


 妻の首筋に唇を押し付け、男は大きく口を開いた。その口からは、鋭い二本の牙が覗く。


「……あぁ」


 妻は目をカッと見開き、痛みと快楽に顔を歪めた。その瞳は次第に生気を失い宙を彷徨う。


 それから十ヶ月……

 妻は赤子を出産したが、その赤子は僅か数日で命を落とした。


 ◇◇◇


 ―小谷城―


「丈、丈はおらぬか」


「お市の方様、お呼びでしょうか」


 俺は天板を外し、畳の上に降り立つ。


「丈ー!」


 イチの傍にいた茶々姫が、俺に抱き着いた。


「茶々、おなごから殿方に抱き着くなど、はしたないですよ」


「茶々は丈を好いておりまする」


「茶々姫様、ありがたき幸せ」


「丈は茶々が好きか?」


「はい、わたくしも茶々姫様が大好きでございます」


「良かった。丈、母上はどうじゃ?」


「母上様……でございますか?」


 俺はイチの顔を見上げる。イチは俺と視線が重なると慌てて目を逸らした。


「滅相も御座いません。わたくしはお市の方様や茶々姫様の影でございます」


「母上を好いておらぬのか?」


「茶々、おやめなさい。丈が困っておるであろう。幼いくせに、ませておるゆえ、困ったものよ」


 イチは茶々姫を見つめ、困ったように苦笑いした。


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