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市side

109

 ―永禄十一年―


「もう一息でございますよ。お市の方様、きばって下さい」


 苦痛に顔を歪め天井から吊された綱を強く握り締め、下腹部に力を入れる。体を引き裂かれるような痛みから解放されたと同時に、元気な泣き声が室内に響いた。


「オギャー……オギャー……」


「お市の方様、おめでとうございます。元気な姫君でございますよ」


 赤子は産湯に浸かり白い産着に身を包み、わたくしの隣に寝かされた。


男子おのこではなく姫か……。されど……なんと可愛いことよ」


 愛らしい姫はすぐに乳母めのとの手へと渡る。


 永禄十年、わたくしは浅井に嫁ぎ、翌年、月足らずで初産を迎えた。


 赤子の父が誰であるのか、わたくしの記憶の一部は欠落し、未だに思い出せないでいる。


 されど殿はわたくしを咎めるわけでもなく、身重のわたくしを優しく受け入れてくれた。


「お市、でかしたぞ。大儀たいぎであった」


「殿、申し訳ございませぬ。男子おのこではございませぬ」


「元気であらば、どちらでもよい。我が姫に茶々ちゃちゃと名付けよう」


「茶々でございますか?愛らしい名でございますね」


「浅井と織田を繋ぐ、大切な姫だ。ともに育てようぞ」


「はい」


 わたくしを心から労り慈しむ殿に、頑なだったわたくしの心も次第にほだされ、深き愛情を感じ始めていた。


 愛しき赤子。

 愛しき姫。


 浅井長政の……娘。


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