14

「イチ、俺達の国では眠る前にキスをするんだ。おやすみの挨拶だよ」


「挨拶でございますか?」


「そうだ。挨拶だ」


「キスとは何でございますか?」


「キスとは、互いの唇が触れ合うことだよ」


「く、唇が……」


 キスとは口吻くちづけのこと……!?


 ジョエルはわたくしを捕らえて離さない。


「そうだ。そのふくよかな紅き唇を、俺に差し出せ」


 ジョエルの指先がわたくしの顎に触れ、端正な顔を近付ける。


「な、なりませぬ。口吻は祝言を挙げた夫婦めおとが交わすもの。そのようなふしだらなことは出来ませぬ。わたくしは国に許婚いいなづけのある身。不義密通は死罪でございます」


「死罪か?この国では挨拶をしなければ一生眠ることは出来ないし、死罪も同然なのだよ。それでもいいのか?この国で死罪になると、もう自分の国には戻れないかもしれないな。この国にいる以上、この国の習わしには従うべきじゃないのか?」


「挨拶をせねば、一生眠れない……」


「そうだよ。しかも、死罪だ」


「なれど……わたくしには……」


 言葉を言い終わらない内に、ジョエルの唇がわたくしの唇を塞いだ。


「……っあ」


 不思議な感覚に支配され、水面に浮かぶ藻の如く体がふわふわしている。殿方と初めて口吻を交わし、わたくしの鼓動は早馬に乗ったあとのように、トクトクと音を鳴らした。


「イチ、ゆっくり休むがいい。俺達は明日大学に行く。社会人向けの夜間部だがイチも一緒に行くか?学生証はセバスティが用意する。何の問題もなく大学に入り込めるが、どうする?」


「……大学でございますか?それは何をするところでございますか?わたくしは……」


「大学とは勉学に励むところだ。これで決まりだな。明日からイチも大学生だよ。ただし、陽が落ちてからの登校となる。季節により陽が高い時は遅刻や欠席もするが、気にしなくていいからな」


 大学とは寺子屋か手習所のことか……?

 このわたくしが大学生……?


 わたくしには、その意味が理解出来なかったけれど。この国で暮らすには、ジョエルの命令は、兄信長の命令と同じくらい重い。


 ――これがわたくしに与えられた宿命……。


 ジョエルはわたくしの体を両手で包み込むと、優しく髪を撫でた。


「今夜はゆっくりおやすみ」


 わたくしは長旅を終えたような疲労感から、ジョエルの腕の中で深い眠りに落ちた。

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