#36

 携帯で時間を確認すると、時刻は四時五十分。


 店のシャッターはまだ下がっておらず、明かりが道に漏れていた。

 季節に合わせてほとんどの品物を変えるデパートなんかじゃ買えない。


 夏の風物詩。


「花火屋……?」

「ええ。珍しいですよね。昔っから花火って言ったらここで買いますし、何より年がら年中売ってるんで」

「そうなんだ。こっちはあまり来なかったから知らなかったよ」

「まぁ、結構穴場ですしね」


 そもそも花火屋なんて近所でもないとわざわざ来ないだろう。

 夏になればどこでも売ってる。


「でも、どうして僕をここに?」

「花火……しましょう」


 意味がわからないと首を傾げる弥白先輩。


「いい……けど……」

「おっちゃん! 花火買わせて」

「あ? お前は逢坂のとこの兄貴の方か」


 店内のカウンターでラジオを聴いていた親父が俺を見て、すぐに俺だと認識する。

 こういう昔ながらの店の店主ってやらた客の顔覚えるよな。


「寧々音ちゃんは元気かよおい」

「元気ですよ。また今度、連れてきます」


 まぁ、このおっさんは寧々音がお気に入りだからって気がするけど。


「おうよ。んで? 兄貴の方は綺麗なねーちゃん連れてデートかい?」

「……ええ、そうです」


 頷くと、ぎゅっと服の袖を握られる。

 見ると、顔を真っ赤にした先輩が、目で何を言ってるんだと訴えかけて来ていた。


「デートじゃないんですか?」


 俺はそう誘ったはずだ。


「ち、ちがく……ない」


 恥じらい混じりの消え入りそうな声は俺が知っている弥白先輩らしくはないが、俺の知っているやしまによく似ていた。

 彼女は弥白先輩であって、弥白先輩ではない。でも、一部なんだと感じている。


「ということで、花火買います」

「あーあー、花火よりあっちぃねぇ。見てらんねぇから花火やるからさっさと言っちまえ」


 豪快に笑いながらおっさんが割りと大きめの花火の入った袋を、ビニール袋に入れて渡してくれる。


「いや、流石に悪いよ」

「やめろやめろ、若いやつが遠慮なんてするんじゃねぇよ。代わりに夏になったら寧々音ちゃん連れて来い」

「分かったよ。絶対に連れてくるわ」

「おう」


 銀歯が混じった歯を見せて笑うおっさんにもう一度礼を言って、花火屋を後にする。


「さ、次に行きましょうか」

「次? あ、ちょっと……」


 手を引っ張り歩く。

 自然に見えるようにしてみたけど、正直心臓がバクバクうるさくなっている。

 キザ過ぎたかなと思うが、それでも今はそうするべきだと思う。


「どんどん駅から離れて行くね」

「そうですね」


 こっち側の地域にはもう一つ、隠れた名所があり、駅周辺の人や、新築が多い住宅街の人はあまり知らない。


 程なくてして、土手が続く道に出り、そこを下ると川が流れている。


「川?」

「残念ですが、今は七月ではなくて、天の川はありません」

「……え?」


 七月……夏。

 彼女の思い残しは天の川を見ることだった。

 花火をすることだった。

 そして、好きな人と一緒にいる事だった。


 満足した彼女は成仏した。


「やしま……最終日……」


 ぽつりと弥白先輩がこぼした。

 俺はギャルゲの主人公みたいに何か特技があったり、ここ一番でかっこよくなったりは無理だ。


 でも……それでも……。


 今日、俺は主人公を越えるためにこの舞台を用意した。


「さぁ、先輩。俺とギャルゲしましょう」

「君は……本当に読めないなぁ」


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