#9

 俺さえ意識しなければ何事も無く日常へ戻る。


 そんな事を考えていた頃が俺にもありました。


 新学期二日目。早くも最初の授業が始まったのだが、授業中に物凄い熱のこもった視線を感じ、その主を探すと、授業中にも関わらずチラチラとこちらを盗み見る七家さんと目が合うのだ。

 初めは偶然だろう思っていたのだが、どうも何度も見られている。言っておくが自意識過剰とかじゃないく、はっきりと見られているのだ。


 俺何かしたかな……なんて理由は分かっている。昨日の事で俺を信用していないのだろう。

 確かに昨日は言い逃げみたいになった。というか、言い逃げた。


 至極当然の事とは言え、信用されないというのはちょっとくるものがある。思わず溜息を吐きながら窓の外を眺め、先生に注意された。昨日と今日でなんか不真面目な生徒に見られそうでマジで反省。


 反省したところで、七家さんの事をどうにかしないといけない。

 七家さんの行動というか、視線は結構あからさまなのでこのままではクラスの皆に誤解されてしまう。それはきっと七家さんも不本意に違いない。


 一番いいのは俺が何もしないという事を分かってもらう事だろうけど、それをどうしたら分かってもらえるのかが問題だ。


 という事で昼休みにとにかく話しかけようと思ったのだが、七家さんは友人女子達と、あの林田だか、森田だか、忘れたけど男子グループと合流して昼食を食べ始めた。

 どうでもいいけどああいう男女混合のグループって見ててイラッとくる。え? 理由? 嫉妬ですが何か?


 しかし、アレでは話しかける事は出来ないではないか。俺理論では男女混合リア充グループというのは要塞に等しいと思う。

 もしも、何かの間違いで俺が七家さんに話しかけて見ろ。その場の空気は一瞬でエターナルフォースブリザードだ。効果、俺が死ぬ。

 わかりやすく言えば「はぁ? 何こいつグループのアイドルに声掛けてんの? 殺すぞゴラァ」である。それなんて言う姫サー?


「おーい、昼食わんのかー?」


 頭の中で俺が凍りついて死ぬ所まで想像していると、陸斗が菓子パンを持ってやってきた。

 今日も髪色が似合わないなぁ。


「食う」

「おう」


 何とも短い掛け合いだが、普段から大体こんなものだ。

 昼食後も何かとタイミングが悪いのか話しかけられず、そしてとうとう放課後になって七家さんは友達と帰っていった。


 俺はと言うと、昨日と同じく教室に一人居残っていた。ただ昨日とは違い、居眠りしていたとかではなく、自分の不甲斐なさに呆れて帰る気力さえ失っていたのだ。

 ちなみに陸斗は中学から恒例の部活見学と言う名の女子テニス部見物に行ったが、俺はしないので断った。


 また溜息が漏れる。


「まぁ、明日頑張ればいいか……」


 こんな事言っている奴は基本的に明日も頑張れない。分かりつつもそう口にしてしまうのだ。

 教室から出ようと扉の前に立つと、ふと昨日の事を思い出した。


 昨日はこの扉を開けた所に七家さんがいたが今日は……。


 少しの期待をしながら扉を開ける。

 しかし、そこには当然誰もいなかった。


「そんな事は流石にないよな」

「何がないの?」


 突然横から声をかけられて驚きで肩が跳ねた。

 声がした方を見ると、そこには教室の窓側に体を預けた姿の七家さんが立っていて、まるで俺を待っていたかのようで……あれ? もしかして待ってた?


「えと、今日も忘れ物?」

「違うよ。今日はね。逢坂君を待ってた」

「ま、マジか」

「マジだ。昨日の事、もっとちゃんと話したくて」


 やっぱりか。それならこちらも都合良い。ちゃんと話して、解決して、そして終わらせようと思う。


「分かった。ちゃんと話そう」

「よし。じゃあこんな所で話すのもアレだからどっか人気の無いところに行こう」


 人気の無いところ……なんかいかがわしい。

 なんて馬鹿な事を考えるな俺!


 先導する七家さんに黙ってついて向かった先は屋上……は閉鎖されているからその手前の階段の踊り場だ。


「うん。ここなら人も来ないでしょ」


 たまにカップルがご利用になるらしいと噂があるなんて突っ込んだら怒られるのだろうか。陸斗経由の噂だから信用できるか分かったものでは無いけど、俺としては何気にソワソワしてしまう。


 どちらにせよなるべく早く説明してこの場所から離れたい。


「七家さん。昨日も言ったと思うけど俺は絶対に人に話したりしないって約束する」

「あ、うん。ありがと」


 簡潔に自分の意思を示したのだが、なんか反応が薄い。この話題じゃないのだろうか? いや、俺と七家さんの間にはこれくらいしか話すことはないはずだ。


「逢坂君。昨日さ、私の……その……好きって言ってくれたよね!?」


 ガッと肩を掴まれて、一気に顔が近づく。ちょっと目が大丈夫じゃない感じになってるのが怖です。

 つか、まつ毛ながっ、肌綺麗。見れば見るほど整っている。これであの声とかチートじゃね?


「えっと……声だよね?」

「うん。声。朱里の声を聞いて……一恋をプレイしたんだよね?」

「まだ、全攻略はしてないけど。昨日は色々あって寝ちゃったし。まだ朱里だけ」

「そ、そうなんだー。へー! へー! どどどどうだったのかな? かな!?」

「うわっ」


 興奮した七家さんの顔がさらに近付いて、俺は逃げるように後退り、体勢を崩してしまう。

 さらに俺の肩を掴んでいた七家さんも一緒に倒れしまい……。


「つぅー」


 背中がめちゃくちゃ痛い。受け身も取れず、強打してしまったようだ。

 ジンジンと鈍い痛みを我慢しつつ、一緒に倒れたであろう七家さんの安否を確かめようと反射的に瞑っていた目を開く。

 すると、七家さんと目が合った。それも超至近距離でだ。


 どうやら七家さんの方は受け身が取れたようで、そのおかげで漫画とかエロゲでよく見るキスハプニングとかは無かった。

 しかし、彼女の体勢は俺に覆いかぶさるようで、外から見れば七家さんが俺を襲っているようにも見えるだろう。

 というか、アレだ。床ドン。自宅警備の方が床を叩いて食事を召喚する床ドンでは無くて、女子が憧れる壁ドンとか股ドンとか、その仲間だ。

 それを俺がされるとは……興奮するドン!


 はい、調子に乗りました。

 完全に事故でそこに愛はない。愛あるドンじゃないのだ!

 愛あるドンってなんだ!?


「逢坂君……」

「へっ?」


 アホな事を考えていると、七家さんの様子がちょっとおかしくなってきた。

 どこかトロンとした目で、頬を朱に染めている。艶めかしく、えっろえろだ。

 もう一度言う。えっろえろだ!


 ゆっくりと近付いてくる七家さんの顔、そして唇。

 背中は地面に接して、左右も七家さんの腕で塞がれている。もう逃げ場はない。

 え? なにこれ!? キス!? キスするの!?

 どこで七家さんルートに入ったんですか? ひぃっ、唇がぷるんぷるんんん! リップとか塗ってるんですかねぇ?

 あぁ、さらに甘い女子の匂いが鼻腔をくすぐるぅ。


「な、な、ななかまど……さん」


 何とか言葉を発するが、聞こえていないのか無視される。

 こうなったら流れに身を任せようと目を瞑り、俺のファーストチッスを捧げる覚悟を決めた。

 寧々音、俺は一足先に大人になるよ。


 七家さんの艶々した黒髪が俺の顔に当たり、目を瞑っていても目の前に七家さんの顔がある事が分かる。そして、一気にその距離は縮まり……。


 彼女の唇が俺の耳元へ。そして発せられる。


「あんっ、あっ、いい!」


 …………。


「しゅごいのぉ!」


 …………。


「きもちぃのぉ!」


 ………………は?


 ええと……何だこれ?

 あぁ、今の俺の顔はきっと弥勒菩薩のような顔をしているのだろう。そう、悟りを開いたようなね。


 今の……嬌声と呼べばいいのだろうか。所謂喘ぎ声ではあるが、これはつまり、女性の艶かしい声を指すはずで、果たして彼女のそれが艶かしいかと言われると……ちょっと無理がある。

 もし、情事に今のような声を出されたら間違いなく、その相手の男は今の俺のような顔になっているに違いない。


 そして、残念な事に俺はこの声を……全くそんな気分にさせてくれないこの声を知っている。

 つい先日聞いた。あの時はまだもう少しマシだったのだが、きっと何度もリテイクの末あのレベルにまで至ったのだろう。


「あの……どうだった……かな?」


 モジモジと恥ずかしそうにする七家さんは今、俺の腰の上で女の子座りをしている。

 そっちの方がよっぽど興奮します。


「……逢坂君?」

「……ノーコメントで」


 俺には、何も言えない!

 しかし、それだけで相手には伝わってくれたようだった。


 しょんぼりと俯き、「やっぱり……」と悲しそうに呟く。


「単刀直入に聞くね。本音で答えて」

「うん」

「朱里の……その、えっ、えっちなシーンで、あー、抜けた?」


 恥じらいながらも、その目は真剣だった。だから嘘はつけない。


「無理でした」

「ですよねー」


 どうやら、自分でも分かっていたようで、返事も軽めだ。

 それからまた真剣な顔になって


「逢坂君ってそういうゲームよくするんだよね?」

「まぁ、はい」


 そういうゲームってエロゲの事だよな? まさか俺の人生で女の子にエロゲするのか聞かれる日が来ようとは。


「じゃあ、やっぱり声の上手さとか下手さとか分かる?」

「それは好みもあるけど、下手なのは聞いてて結構あからさまだし」


 事、えっちなシーンでは下手過ぎるとマジで萎える。へにょへにょである。


「私は?」

「控えめに言っても萎える」

「それ控えめに言ってる?」


 酷く言ったらディスク割って会社に送り付けてやるレベル。俺はそんな事はしないけどね。


「うぅ、逢坂君、意外にSだよぉ。そんなドSな逢坂君にお願いがあります!」

「別にSじゃないよ。ってか、Sなのにお願いするの? 七家さんはもしやM?」

「違うもん! ち、違う……と思う……」


 わぁ、クラスの美少女にM疑惑が。めちゃくちゃ興奮する。


「そんな事より! お願いがあるんだってば」

「うん、何?」

「私のえっちな声の練習、手伝って下さい!」


 めちゃくちゃ恥ずかしいのだろう。顔を真っ赤にして、目には少し涙も見える。そんなに恥ずかしいならもう少し違う言い方をすれば良いだろうにと思わないでもないが……。

 それはさておき……。



「とりあえず」

「うん」

「俺から降りて?」


 本当にやばい。今は鉄の理性を持って俺の溢れるリビドーを抑えてはいるが、このままじゃ荒ぶる下半身の神が起立して、Let It Goしちゃう。何を言っているか分からないであろうが、そこはニュアンスで理解して欲しい。


「ごごごごめん!」


 バッと飛び起きる七家さん。やっと女の子の柔らかい体と甘い匂いから解放された俺は体を起こすことが出来た。


「その……お返事は……?」


 まるで告白の返事を聞くみたいに言う。その顔だけでご飯三杯はいけるね。


 とにかく、返事だ。よく考えろよ俺。

 今回は昨日みたいな選択肢はいらない。


【選択肢】


 A.それより帰ってエロゲだ!


 いらねぇっていってるだろぅ!? しかも最悪の選択肢じゃねぇか死ね!


「あの……やっぱりダメ、かな?」

「俺なんかでいいの?」

「逢坂君が……いいの」


 男殺し、もとい童貞殺しの必殺台詞頂きました。それ、計算してやってんの? それとも天然?


「俺でよければ、喜んで手伝わせて貰うよ」


 昨日みたいな選択肢はいらない。だってこんなの選択するまでもなく決まっているのだから。


 こうして……俺と七家さんの妙な関係は始まったのだった。


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