ep.「ひだまり」02



 ディエゴは汗すら美しいと、そう思う。こんなことを考えるのが異常だなんて、思ったこともなかった。他の双子もみなそうだとまでは思っていないが、八割方そうだろうと、勝手に思っていた。というか、双子でなくたってそうだ。

 この気持ちは、きっと、恋というものによく似ている。

 気付いたときには、私はもうディエゴのことを愛していたのだろう。家族愛や、友愛、親愛を越えて。それほどまでに、私のディエゴに対するこの感情は、いつも通りのものだった。そして、ディエゴに同じ気持ちを向けられていないこともまた、分かっていた。それが当然だとも思っている。


 ぎし、と、何度目か、なにかの軋む音がした。

 きっと机か椅子のどちらかだ。


 そんなことよりも、ディエゴの走る姿を眺められるのは、週に一度なのだから、それを見なくては。

 ラフなポロシャツ姿だって、ディエゴにはよく似合う。私と同じ長さの黒髪がふわりと風に遊ばれ、揺れる。ハーフパンツの裾からのぞく脚がただ細いだけではなくて、成長期を終えつつある、しっかりとした筋肉のついたものであることも、私は知っている。教室の窓から、親指大かそれより小さいくらいにしか見えない姿だって、ディエゴのものだと思えば、まるで彼を目の前にしている時のように鮮明に、分かる。

 すらりと伸びる脚、ポロシャツの袖のあまりが浮き彫りにする、彫刻のように美しい腕。この間までは少年期の華奢なかわいらしさを備えていたそれらも、今では骨ばった男らしい色気を備えつつあるのだ。きっと、それを知っているのは私しかいない。きっと、ディエゴの周りをひらひらと、花の気を引こうと無駄な努力をする蝶か、はたまた電灯の周りで焼け死んでしまわないぎりぎりの距離を探す蛾のように目障りな女たちも、知らないことだ。

 そう思うと、少し、優越感をおぼえる。

 だって女たちは、所詮ディエゴの顔しか見ていないのだ。ディエゴは顔だちだって美しい。モデルか俳優かと言われても納得してしまうくらいに。けれど、そこに見とれてしまって他の魅力へ目が行かないというのは、あまりにも勿体ないと、私は思う。

 ディエゴは、美しいのだ。


 忌々しいベルの音が鳴り、私は現実に引き戻される。一限目の終わり。教師からの伝達事項を、一応、メモに取る。ディエゴの兄として、これ以上彼の面汚しにならないように、これ以上、彼にくっついてくる邪魔な荷物とならないように、授業は聞かなくとも最低限の課題はこなし、最低限の成績は維持するというのが、私の信条だからだ。次回の授業範囲のメモ、そして、そこから今回の授業範囲の推測をして、課題をメモ。いつも通りだ。この程度ならば、私にだってできる。けれど、そうこうしているうちに、ディエゴは後者に引っ込んで、窓からは見えなくなってしまった。惜しいことをした。

 学友たちと語らい、労いあいながら笑うディエゴの表情が、私はとても好きだから。


 それからは、窓の外にディエゴが見えない以外、いつもと変わらない一日だった。合唱でもあれば、ディエゴの歌声を聞けたものだけれど。ディエゴは歌声だって美しい。彼の声はほかの声の群れの中にあってさえ鮮明に響き、私の耳に届く。もちろん誰の耳にも届いているようで、先日、なにかのコンクールのための合唱団に選抜されたと言っていた。それを請けたのかどうか、まだ、聞いていなかった。

 コンクールに出るなら、聞きに行かなくては。

 そんなことを考えながら、私はいつもの図書館、いつものスペースで、いつもは読まないジャンルの本を開いた。この図書館は、読書スペースが小さな喫茶店のカウンター席にパーティションを用意したかのような趣で、とても落ち着くから、好きだった。ディエゴには教えていない、数ある読書スペースの中でもいちばん目につきにくい、隅の、暗がりに間接照明があるだけの場所。

 私がディエゴと共有していない、唯一の場所だった。ディエゴを待つとき、私はあらかじめ彼の予定を聞いておいて、そこから彼が来るであろう時間を予想して、図書館のエントランスに出て待っておく。だから、ディエゴはこの場所を知らない。ほかの友人だって知らないから、例えばディエゴがこの場所のことを知ろうとしたところで、きっと、知ることはできないのだろうと思う。そんな秘密に、小さな罪悪感。

 ここで読んでいる本だって、いつもはディエゴの「面白かった」という本だ。ディエゴが読み、そして気に入ったものは、間違いなく私も好きだから。そうしていると、だんだん、今日のように生徒会がある日だとか、ディエゴの自由な時間が無くなってくると、お墨付きの在庫も、私はどんどん読み終えてしまう。そうして、今日のように、私はなんの前情報もなく、ただ目についた背表紙の本を手に取って、読むことになる。普段は私も、面白かったものだけでなく読んだ本は大抵、ディエゴと共有することにしているのだけれど、これは、秘密にしようと思って手に取ったものだ。


 「愛が憎悪に変わるとき……、」


 まえがきにあったその文字が、嫌な予感をかき立てたから。

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