ひめごと

魚倉 温

ep.「ひだまり」


 ぎし、と、なにかの軋む音がした。

 振り返った先にあるのは、見慣れた我が家の門扉。それだけだった。年代物とはいえ、定期的に手入れもされているはずだし、ついこの間まで、そんな軋んだ音はしなかったはずだ。

 ぎし、と、また音がする。

 門扉の方からではなかった。何か別のものが、風に吹かれて悲鳴を上げているのだろうか。


 「兄さん、どうしたの。」


 私の曖昧な疑問をかき消すような、弟の声が、背中にかかる。いつものように一緒に登校、と揃って、何にも変わったことなんてなく、いつものように、家を出たというのに、兄がこれでは、不思議に思うのも当然だろう。

 「いや、なんでもない。」

 私とまったく同じ、だけれども、見る者に与える印象のまるきり違う端正な顔を見て、微笑む。「そう。じゃあ、行こう。」と、微笑み返してくれるそれは天使のように純粋で、けれど、どこか悪魔のように蠱惑的だ。私の微笑みでは、いいとこ、さびれた教会に預けられた、どこの出自とも知れない、一般市民以下の何かだ。

 弟の首元で、赤いネクタイが風に揺れている。


ひだまり


 「今日、放課後に生徒会があるんだ。」

 と、申し訳なさそうに眉を下げて私を見る、その表情にすら美しさを感じる私は、彼のことを、ただの双子の弟だとは思っていない。兄弟ではあるし、私の片割れでもあると思っているけれど、私にとっては、彼は「本来ひとつであるはずだった」もので、そして同時に、「自己愛の延長などでは決してなく、愛おしいと思う」唯一の存在だ。だから、彼のネクタイを誇らしく思うと同時に、それを見る度、自分のふがいなさを感じるし、情けなくも思うし、惨めにもなる。


 「分かった。それじゃあ、図書館で待っているよ。」


 弟、ディエゴが遅くなる時、待っているよ、と言うと彼が嬉しそうに笑うのが、私は好きだ。もちろん、鬱陶しがられようとも待っているつもりであるくらいには、私は自覚のある過保護なのだけれど、鬱陶しがられるよりは喜んでくれる方がいいに決まっている。


 なんて、考えていたところで、見知った顔が、駆け寄ってきた。

 「おはようございます、ブレイクさん。」

 見知った顔は私に見向きもせず、ディエゴに頭を下げる。


 同じものを、同じ身長で、同じ体格で着ているはずなのに、ディエゴの制服姿は様になる。それだけでなく、ディエゴは成績優秀者の赤ネクタイを揺らし、生徒会にも所属し、そして多くの学友もあり、後輩たちにも尊敬されていて、更には教師からのおぼえもめでたい。私は、比べられるだけの対等な立場にすら立てない、「ブレイク兄弟のイケてない方」だ。ディエゴのことを特に慕っているらしいその見知った彼とディエゴを見ていて、そう思う。

 けれど、劣等感こそ身に染みているが、私はディエゴのことを羨んだこともなければ、妬んだことなどもっとないし、そして、何より、その理由はただ「誇らしいから」だ。ディエゴが嬉しそうにしていれば、私も嬉しい。ディエゴが悲しんでいれば、私も悲しい。それだけのこと。

 だから、いい加減に弟離れした方がいいんじゃないか、なんて、言う友人も、数少ない友人の中にほんの一握りほどはいる。


 弟離れ。

 「じゃあ、ディエゴ。また帰りに。」

 離れた方がいい、という理由が、分からない。元々ひとりであるはずだったんだから。なんて。思っていても、それを言ったのは私の頭の中の、記憶の中の友人であって、その彼が目の前にいるわけでもなく、更にはディエゴの学ぶクラスの前まで着いてしまっていては、そんな言い訳をすることもできなかった。

 「うん。それじゃあ。」

 弟の方は、ふがいない兄とは違って、兄離れを苦にしていないようであることだけは、安心できる。


 たぶん、生まれる時に何か、配分を間違えたんだろう。

 私たちは一卵性の双子であるけれど、何もかもが違う。同じなのは骨格くらいだろうか。私はいつも思うのだ。きっと、私はディエゴが産まれる時にたまたま余った、残りかすから、産まれたんだと。

 「や、おはよう。アイザック。」

 隣の席に座る、赤く巻いた髪の愛らしい、未だ少年じみた顔つきの変わらない男。

 「おはよう、シンディ。」

 「シンディはやめろって言ってるだろ。」

 笑いながら、交わすいつもの会話。この男だって、今となっては私の友人、という立ち位置におさまっているけれど、はじめは私たちふたり、というか、むしろディエゴの友人の座を狙っていたのだろうな、と、昔から、薄々思うのだ。彼のあどけない笑顔は、なぜ私に向けられるようになったのか。それは分からないけれど、きっと、永遠の謎だろう。

 「アイザック、お前、今日はどうすんだ。弟君さ、たしか生徒会だろ。もし待つんだったらさ、その間俺と……」

 「や、図書館に行くよ。気を遣ってくれてありがとう。」


 シンディは、なぜか、すこし不安そうな顔をしていた。

 形のいい眉尻が、下がる。

 なぜそんな顔をするのかは分からないけれど、彼に心配される謂れはないし、むしろ、そうして心配をするのなら、私でなくてディエゴの方を心配すべきだ。

 ディエゴは、あんまりにも優しい。

 過保護な兄を持って苦労も多いだろう。それこそ、学友たちと共に帰宅することも、私が待つのを続ける限り、できないのだ。

 しかも、私のその提案に、嫌だと言うことも、思うこともないくらいに、慣れてしまっている。待っているよ、と、言った時にすこしでも、嫌だなあ、なんて顔をしてくれたら、私もおとなしく、諦められるのだけれど。なんて、責任転嫁。

 そうこう考えている間にシンディは自分の席に着き、授業は始まっていた。私はディエゴと違って、授業なんてまともに受けたためしがない。授業中も、いつもディエゴのことばかり、考えてしまう。


 今日のこの時間、窓の外の見えるこの席からは、グラウンドを走るディエゴの姿が見えるから、私は好きだ。

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