第28話 余力は残して
「あー、これはひどいな……」
帝国領土の中央、城に比較的近いところにある地下の食料貯蔵庫を見回す。階段を降り始めたときから異臭がしていたけど、中の山菜や芋類は完全に腐ってカビが生えていた。
「リバイズー、完全にダメー?」
上の方から、桜佳が鼻声を響かせた。着ている服がダメになったら困ると言って、下までは降りてこない。布切れで鼻を押さえてチラッと覗いている。
「ああ、ダメだな、全滅」
「仕方ない、もう一度集め直しだな」
隣で魔王様がゆっくり首を振った。
プロジェクトもあっという間に50日を過ぎ、WBS上では残り10日を切っていた。
が、このタイミングで武具・食料運搬担当のオークから緊急事態の連絡を受ける。少し前の大雨の後、しばらくしてたまたま貯蔵庫を見に行ったら、雨が入り込んでいたという。
プロジェクト前半で貯蔵しておいた食料がひどいことになっている、という報告に、俺達3人が駆けつけたというわけだ。
「ひどかっただろ、リバイズ」
地上に上がってきた俺と魔王様を、オーク小隊長が迎えてくれた。すっかり肩を落とし、醜い顔はさらに醜くなっている。
「ああ、これはゴブリンに頼んでも調理できないな」
「だよな。ゴーレムとか味オンチっぽいからアイツらに配ってもいいかも、と思ったけど」
「ゴーレムに謝れ」
確かに石だから味にはうるさくなさそうだけどさ。
「これがないとまずい……よな?」
問いかけに無言で頷く。
「ああ。これがないと戦争が長引いたら食糧難だ。あとはガーゴイルみたいな鳥系の魔族を焼いて食べるしかない。ねえ、魔王様」
「そうだな、ダシに漬け込めば、臭みは消えると思う」
「リアルな調理の話やめて下さい」
魔王様、目が笑ってないのが余計怖いです。
「まあ嘆いてても元に戻るわけじゃないし仕方ないわ。もう一度集め直しね」
「やっぱりそうだよな……ああ、どうしよう、桜佳先生!」
桜佳にガバッと詰め寄るオーク。
「ゴブリン小隊がこれだけ食料を集めてくれたんだ。もう一度集めるのに、ゴブリン全員召集しても10日はかかる! どうしよう、プロジェクト全体が遅延だあああ!」
「何だと……!」
膝から崩れ落ちるオーク小隊長に、細い息をたっぷり吐いて溜息をつく魔王様。
「申し訳ありません、魔王様……」
「いや、いいんだ。何が起こるか分からないのがプロジェクトだからな」
「よく言ったわ! その通り!」
その魔王様の言葉に、ハツラツとした声で桜佳が被せた。
「そう、プロジェクトには何が起こるか分からない。だから、バッファを持たせることが重要なの」
「ばっふぁ……?」
何のことだ、と言わんばかりに肘で俺を小突くオーク。いやいや、俺も分からないぞ。
「バッファ、つまり余力のことね。リバイズ、WBSの最後3日間を見て」
言われるままに、ページを捲って確認する。定例会議を開く5日単位でまとめてるから、最後のページにはちゃんと目を通してなかったな。
「んっと……あっ、『バッファ』って書いてある」
最後の3日間を囲むように大きな四角が描かれていて、そこに文字が入っていた。
そうか、何か書いてあるなと思ってたんだけど、これだったのか。
「3日間はモンスター全員の予定を空けてあるの、こういう場合に備えてね。だから、みんなでゴブリンの採集タスクを手伝えばいいわ」
「本当か、オーカ!」
「さすがだ桜佳……」
「桜佳先生、さすがです!」
3人で拍手の嵐。彼女は照れを隠すように、右手を後頭部に当てて、わざとらしくペコペコと頭を下げた。
「時間がなくなると心にも余裕がなくなるからね。プロジェクトの中のマイルストーン、あ、節目のことね、そのマイルストーンの手前にバッファを設けておけば、非常事態にも備えられるの。もっとも、『3日間バッファ取ってあるし』って気抜いてたらあんまり意味ないけどね」
「それはそうだな、フハハッ」
魔王様につられて、俺も小隊長も笑った。
よし、良かった。これでプロジェクトは予定通り最後までいけそうだ。
「小隊長!」
そこへオーク小隊の部下が走ってきた。部下に並走するのは、やけに綺麗なモンスター。
「あ、これは魔王様にリバイズさん、お疲れ様です!」
敬礼をする部下。
その隣には、びっくりするほどオークに不釣合いな見目麗しい魔族。
「え、オーク、この方は誰?」
「へ? プロジェクトに入ってる私の妹ですが」
「同族なの!」
全然似てないよ! 雌雄でバランス乱れすぎでしょ!
「まあ綺麗な雌のオークを見てると3日で飽きるものだ。その点、雄の方は飽きない」
いいえ魔王様。飽きてもいいから俺は雌を選びます。
「それで、お前達どうしたんだ?」
「あ、そうでした。魔王様、食料がダメになった原因が判明しました。雨の日の前日、あの貯蔵庫の中身のチェックが行われ、そのときに内扉が開けっぱなしになっていたようです」
「そうか、地上の外扉だけでは、あの雨は凌げないだろうからな」
よし、ここはプロジェクトリーダーの出番だな。
「魔王様、すぐ分かるので、一応誰が開けっ放しにしたのか今調べてみます」
「ああ、今更責任問題にはしないがな」
「あ、いや、あの…………」
何か言いたげなオークを横目に、パパッとWBSを捲る。
「ありました! えっと、このチェックは中枢メンバーのタスクで、と……最後に入ったのは俺ですね…………えええええっ!」
何だとおおおおおおおおおお!
「そういえば、内扉を閉めた覚えないな……」
まずいまずいまずいまずい。
「おい、リバイズ……お前は面白いヤツだな……ふっふっふ……」
「へへ、えへへへ……魔王様、責任問題は無し、ですよね……」
「ふっふっふ……アナタ、リーダーのクセに面倒なことしてくれたわね……」
「えへへへ……桜佳様……ねえ……」
2人とも、笑顔が怖いですよー。笑って笑って、スマイルスマイル。
「リバイズー!」
「このバカー!」
「ごめんなさーい!」
この後、食料採集のタスクで、一番キツい芋掘りをやらされました。腰が壊れました。
【今回のポイント】
■バッファの設定
「バッファ」とはもともとコンピュータ用語です。情報を一時保存する領域を指しますが、転じてコストや時間の「余力」「余裕」という意味でも使うようになりました。
プロジェクトが非常事態に耐えうるよう、緩衝材としてバッファを組み込むことは大事ですが、そこでポイントになるのは「始めからバッファを見込んだ仕事の進め方をしない・させない」ということです。
人間、締め切り後に3日余裕があると意識してしまうと、なかなか締め切りまでに完了させられないものです。バッファの日程は「最後の手段」であるということをきちんとメンバーに浸透させてプロジェクトを進めていきましょう。
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