変遷

 世界が終わってしまえばいいのに。




 そう思ったのは初めてではなかった。むしろほぼ毎日思っていた。

 それで終わる事は全くなかったし、むしろかえって繁栄して行った。だから、

『そんな日なんて来る事はないんだ』

と思っていた。

 耐え難いほどの揺るがなさ。上が見えないのだ。それはゴールのないマラソンと同じで、自分のいる階級で同じ立場の連中と一緒に見えないプレス機の下で圧をかけられながら、動ける範囲を無視した難題を押し付けられていた。対応し切れずに潰されて行く奴を横目に、欠けた彼らの分だけ生存時間が延びただけの毎日を、どうにかやり過ごす。

 そんな気分だった。

 そんな日が、いつか自分が押し潰される日まで続くのだと、確信していた。

 いつなのか分からないからこそ、不安が自分の中で膨れ上がっていく。

 目の前の難題に意識を集中する事。自分の健康状態など気にしている場合ではなかった。気にしない奴こそが褒められ、生涯賃金と照らし合わせても全く割りに合わない休憩時間やおこぼれに預かっていた。

 そう、圧だ。誰もが圧をかけられていた。

『そうなってはまずい』

と思いながらも、その中の誰一人として流れを変えず、何十年もかけて、僕らにその重みが足される様に計算して、先達が生きて来たとしか思えない。そんな現実だけが、僕らに今、この瞬間までのしかかっていた。




 不平を漏らす元気のある奴はそもそもこの階層にいない。いや、ほとんどいないと言う方が正しい。僕らが意識するより前はもっと多かったのかもしれない。少なくとも今確認出来る様なのはその頃の残滓だ。僕らと同じ様な服を着て偽装しているが、そいつらは紛れもなく上の階級の連中の一味で、そいつらのおこぼれに預かっているのは一目瞭然で、だからこその居心地の悪さがその全身から満ち溢れているのが、見て取れるのだ。子供だって一見すれば察する事が出来るほどの、拭い様のない無様さ。

 それを隠す為だけに強がり、他の奴を小突いたりするものだから、残滓である彼らはますます嫌われて行った。

『そんな元気のある奴がこの階級にいる訳がない』

という同調圧力も見えない枷となっていて、それは割と容易に、僕らに色々な事を諦めさせた。上の階級へ行く事。

『それが将来的に、自身に課せられている圧を緩めてくれる』

という、極当たり前の事。それを諦めさせた。

 誰のせいでもない。僕らが自分で放棄した事だ。


 跳ねっ返りを気取っている者もいたが、単に自分のしている事の矛盾に気付いていないか、開き直っているだけだった。

 そういう連中が潰れる様を、自分達に被害がない程度に距離を取って眺める事。それだけが僕らの世界の楽しみだった。

 この階級にいる全員が、生命体としての進化を、尊厳を既に投げ捨てていた。




 それが一瞬にしてかき消えた。

 僕らの階級では、世界が闇に覆われているのが当たり前だった。誰一人として晴れた空なんて見た事がなかった。

『よそへ出たら、この階級にいた者でさえ戻る事は許さない。生涯に渡って他人』

という下らない同調圧力。田舎者根性。そんな呼称がある事さえ知らないレベルの奴も同じ所にいて足を引っ張っていたから、どこかへ行こうという気すら湧かなかった。

 その枷が全て、一瞬にして閃光と共に取り払われた。

 沈黙した者もいる。蒸発した者もいただろう。地面に密着した者もいた。僕の視界に捉えられるのは精々その程度だった。

 僕自身も突然の自由が訪れた事の衝撃に打ちのめされ、どうしたらいいのか分からず、へたり込むだけだった。荷物だって何一つない。そんなものは生存時間を延ばす為に、当の昔に全て売り飛ばした。

 動いていい。逃げてもいいのだ。それなのに、ただ、動けなかった。

 身動きひとつ取れなかった。




「動ける者はいるかね?」

 空から声が聞こえる。光が強過ぎて、その向こうに確実にいる何者かの姿が全く捉える事が出来ない。

 足音がした。見た事もない服装の連中が集団で走って来る音だった。

 くぐもった声が聞こえる。

「どうだ?」

「駄目ですね。生存意欲のかけらも伺えません。

 やっと救出しに来れたのに、何て事だ」

「つまりここは、図らずも我々にとっての絶好の実験場と化しているという事になるな……」

「残念ですが、その様です。一人一人をスキャンして健康状態を調べる様な予算は下りていませんし」

 不穏な内容だった。

 何の事だ?何の話をしている?

「生体血液工場にも、子種確保や生きた育児ポッドにもならんという訳か。Jシステムの燃料にしか出来ないとは」




……Jシステム。その単語が僕の脳天を貫いた。

 圧をかけられながらの作業中に、不定期に流れる割れたスピーカーから聞こえ、広まった単語。

 暇潰しに最適なネタだと感じた。僕らの閉塞した空気の、一服の清涼剤にするには良く出来た皮肉だと思った。なので覚えていた。

 今となってはわざと聞かせたのか、事故だったのかも分からない。

 人体を犠牲にし、高次元生命体……だか何かを顕現させるシステムだそうだ。『J』が何の頭文字なのかも、恐らく当事者達しか知らないだろう。

 ここは、かろうじてこの階級で生存して行ける程度の学力の者だけがかき集められている場所だ。言語や知識としては知っているが、実践する機会は与えられなかった。そんな階級だ。

 高次元生命体と聞いて、僕は宗教を連想したが、発明としての宗教は僕らの階級には存在しない。神とやらを拝む者はいない。見た事すらないのだから、噂でしか知らない。

「何が起きているか分からない内に死んだ方が、こいつらにとって幸せかもしれん。上にはそう報告しよう」

「使い道のない者を我々の階級に連れて行く事は出来ませんからね」

「ああ。連れて行く途中で発狂されるか、衰弱して死ぬのがオチさ」

 彼らは頷き合うと、走り去って行った。それが、僕が人として彼らを見た最後だった。

「……嫌だ」

 誰かの声が聞こえた。何が嫌なのかは分からないが、途方もない事が起きようとしているのを察知したのだろう。あちこちからかすれる様な声が重なり合って、交錯して響く。

「嫌だあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁ……」




 世界の端が黒く染まる。強い光を歯牙にもかけない巨大な影が、僕らの頭上に形を成して行った。

 僕らが暮らして来た闇とは全く異なる暗黒の翼が大きく広がり、次の瞬間、僕の視界は真っ赤に染まり、意識が飛んだ。

 耐え得る限度をはるかに超えた激痛を認識させまいとして、身体が先にギブアップしたのだ。




 こうして、子供が作れない階級が、歴史から人の手で永久に、完全に抹消された。

 人々を支配する形でその種を永らえさせる、新たなシステムの礎になるのと引き換えに。

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