研修

 とある宿泊施設。そこで二人の男がある事に取り組んでいた。新人研修である。

 若い男が面接に受かった年かさの男に言う。

「よし、じゃあ発声練習と演技を組み合わせ、現場シミュレーションをしてみようか。これまで出来たんだから出来る出来る」

「え、ええ。それでは」

 若い男が奥の部屋へ引っ込み、年かさの男は用意されていた簡易テーブルに着く。落ち込んでいるのか不機嫌なのかがいまいち分かりにくい表情で腕を組み、足も組んでみせた。

 間もなく若い男がトレーにティーカップを載せて現れる。

「お待たせしました、コーヒーです」

 そう告げながら、テーブルに香ばしい香りと湯気をくゆらせるそれを置いた。年かさの男は

「ん、行けよ」

とだけ苛立たしげに告げ、カップを口に運ぶ。若い男は伝票を男の席の伝票差しに挟み、ごゆっくり、と伝えて去ろうとする。

 その背に声がかかった。

「おい、こりゃ何だ?」

「いかがされましたか?」

 振り返った若い男に年かさの男は乱暴にカップを置くと喚いた。

「いかがも何もねえよ、おい、コーヒーが熱過ぎてこぼしちまったじゃねえかよ!俺の服が台無しだ。どうしてくれんだ、これをよう!?」

 あたふたとしながら若い男は努めて冷静に対応しようとする。

「すみません、少々お待ち下さい」

「お待ち下さいって何だよ?お前、それが客に対する態度か?

 おい、バカにしてんだろ!?おい!?おい!」

「い、いえ、そんな事は全く」

「じゃあ誠意を見せろよ。客にやけどさせた侘びを示せコラ」

「と申されましても……店長を呼んで参りますので」

「待てコラ、逃げるのかてめえコラ!コラ!!」

「違います、店長がすぐに参りますので、しばしお待ち頂ければ」

「店長だぁ!?あれだろ、お前おまわり呼ぶんだろ?んで、ある事ない事言ってぶち込む腹だろうが!あぁ!?」

「いえ」

「いえじゃねえよ。火傷させといてほったらかしなのかって聞いてるんだよ。はぁ……じゃあまずよ、お前名前教えろ、名前」

「○○と言います」

「名刺とかねえのかよ。この会社、教育がなってねえんじゃねえのか?上に電話すっからよ、名刺出せ、名刺」

 若い男は完全に動揺した様子で、胸ポケットから一枚の名刺を差し出した。そんな彼から年かさの男はネームプレートをひったくる様にして奪い取った。

「あ、あの、お客様、それはお返し頂きませんと」

「あぁ!?お前何だよさっきからよ!?俺は客だぞ!?名刺出せや名刺!」

「ですからその名札は、」

「あ!?」

「いえ、あの、その名札はないとホントに困りますんで」

「知るかてめぇ。火傷させといて何だその態度!なめてんのか?」

「いえ、あの、」

「なめてんのかって聞いてんだよ!」

「あの、違います、名札はお返し願えませんか」

「るせぇよバカ野郎!マジでこの名刺もらっとくからな!!」

「名刺は構いませんが、名札を」

 年かさの男は椅子を蹴り倒して立ち上がり、右の拳を振り上げる素振りを見せる。若い男は両腕でガードしようとするが、それはあくまで素振りだけ。

 口元にいやらしい笑みを浮かべ、年かさの男は言った。

「じゃあ、誠意をお見せ願えませんかね」

「はい、そこまで。出来るじゃん」

 ひたすら怒鳴られ続けていた若い男が何事もなかったかの様に笑顔を向ける。対照的に年かさの男が軽く吐息を漏らし、自分の今の態度を思い返しながら眉間を指でぐっと押した。

 今の自分の態度は一体何なのだろうか?会社員時代にもあんな態度を取った覚えは一度もない。

 たまたま入った店頭などでそういうけしからん輩を見かけた事はありこそすれど、苦々しい印象しか湧いて来なかった。

 それをこの自分がやる事になろうとは。しかも『飛び込み営業』という求人の研修で。

 年かさの男は訊ねた。

「はぁ……ホントにこれ、研修なんでしょうか?」

「そうだよ。実地でやってもらうから。

 あなた才能あるよー?これならかなりいけるっしょ。

 いい新人が見つかって良かったよー」

 嬉しそうにボードに挟まれたチェックシートに何かをメモして行く若い男。年かさの男はまた念の為、訊ねてみた。

「あの、これで手取りなんですけど……」

「あ、うん。広告にどう書いてあったのか僕は知らないけど、固定10万円で他は完全歩合制かな。頑張ればどんどん上がるから。

 後、仕事中は会社に電話しないでね。番号登録とかも許さないから」

「え?」

「えじゃないよー。研修期間中のバイト一人にいちいち社員が出て行って尻拭いなんかしてたら幾らかかる事やら」

 そう言って、若い男は屈託のない笑い声を上げた。



 翌朝、その会社からそう遠くない警察署に、

『若い男を撲殺した』

と、年かさの男が、実に晴れ晴れとした表情で自首して来た。

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