第7話『心肺停止するかと思った』

 5つの派閥についての説明を聞きながら、俺は背中を流してもらっていた。

 突然騒ぎ出すメツェンさん、現れたカニのラスティアン。

 あれは小型だから素手素足で倒せると、上も下も隠さないメツェンさんが俺に言う。

 しかしキックしてもカニはビクともせず、逆にこちらが足を痛めるだけだった。


「シツちゃんどうしたの!?」

「俺が聞きたい……いてて」

「一旦逃げましょう!」


 岩造りの浴場を転げ回る俺は、メツェンさんによって引っ張り上げられた。

 そのまま手を引かれて脱衣所へ。


「服を着ないと……」

「身の安全が第一よ!」

「ええっ!?」


 そりゃそうだけど……。

 メツェンさんはラスティアンに驚いて逃げた時点でタオルが落ちて全裸。

 俺は床を転げ回った時にタオルが取れて全裸。

 つまり俺達は全裸。

 一糸まとわぬ生まれたままの姿である。

 

「ボーッとしない!」

「はい……」


 俺はメツェンさんに従いながらも、

コスプレ衣装入りの脱衣カゴを見つめていた。

 視界からフレームアウトするその瞬間まで。

 言い訳だけど、これは全裸のメツェンさんから目を逸らす目的も兼ねている。


「メツェンさん!」

「なあに!」

「あのカニ……ラスティアンどうします?他のAAとかに任せるんですか?」


 メツェンさんが走りながら俺に振り向いた。

 風呂の湯気で湿り気の加わったメツェンさんフレーバーもまた格別。


「今ここにいるAAはシツちゃんだけなの!」

「そんな! じゃあどうしたら!?」

「ゾデを頼りましょう! ゾデならAAやラスティアンに詳しいから、

解決してくれるかも知れないわ!」

「『かも』ですか!」


 俺達は地下道を駆け抜けた。

 全裸で。

 かけ湯で上がっていた体温が戻り冷えを感じた頃、

メツェンさんは俺を連れたままとある部屋へ躊躇せずに飛び込む。

 その中ではゾデが相変わらずなフルメイル姿で椅子に座り、テーブルに向かっていた。


「ゾデ!」

「うん? メツェンじゃないか。

 それに……誰だ?」

「シツです。

 今日来たばっかりの」


 俺達に気付いたゾデが立ち上がってこちらを見てくる。

 部屋そのものはテーブルに椅子にベッドと簡素だ。

 だがテーブルの上が古めいた本やフラスコ等々で乱雑に散らかっている。

 例えるなら理科室を凝縮した感じか。

 そして、俺達の全裸には特にツッコミが入らなかった。


「シツちゃんがラスティアンを倒せなくなっちゃったの! 何か分からないかしら!?」

「ラスティアンが出たのか?」

「ええ。

 お風呂にね」

「それで2人とも裸なんだな。

 それよりシツ、メツェンが言った事は本当なのか?」

「蹴りつけたんですけど全然効かなくて……へくちっ!」

「シツちゃん冷えちゃった?温めたげる」


 全裸のメツェンさんが全裸の俺に抱き付いてきた。

 全裸のメツェンさんが全裸の俺に抱き付いてきた。

 全裸のメツェンさん。

 俺、思考停止。


「AAが能力を失うなんて初耳だな。

 シツ、少し採血をさせてくれ」

「ですってシツちゃん。

 シツちゃん?」

「あー……」

「シツは女性に免疫がないらしい。

 メツェン、一度放してやってくれ」

「そうなの?」


 ……助かった。

 思考停止どころか心肺停止するかと思った。


「寒いならとりあえず……この毛布を被っていてくれ。

 シツ、採血をしよう。

 簡単な血液検査でAA能力は検知できる。

 ラスティアンとシツのどちらが異常なのかは分かるだろう」

「注射……ですか?」

「チュウシャ? 知らない言葉だな。

 さあ、少しだけ我慢してくれ」


 小さな白い皿とナイフを手にしたゾデが近付いて来る。

 うへぇ。

 でもやるしかないか。

 覚悟を決め、俺は強く目をつぶった。


「シツちゃん我慢よ。

 私もついてるか、ら……へくちっ」

「メツェンも何か着た方がいい。

 隣の部屋から借りてきたらどうだ?」

「ずず。

 でもシツちゃんが……」

「もう終わったぞ」


「へ?」と、俺とメツェンさんの間の抜けた声が重なった。

 ゾデはすぐにテーブルへと戻り、皿の上に落ちた俺の血を弄り始める。


「どこをいつの間に……」

「シツちゃん偉いわ。

 よく我慢した……へくちっ」

「メツェンさん、早く着る物を探してきてください」


 採血が痛みもなくすぐに終わり気が抜けたせいだ。

 うっかりメツェンさんをガン見してしまった。

 鼻をこすっている全裸のメツェンさんを。


「そうね、気遣ってくれてありがと。

 ずび……」

「ゾデさんゾデさんどうですか!?」

「……もう少し待ってくれ。

 シツも何か代わりの服を探してこい」

「そうですね!そうします!」


 俺はメツェンさんが先に出て行くのを足音で確認してから、あえてその反対方向に出た。

 これ以上メツェンさんの裸を見たら理性が崩壊してしまうだろう。

 考えたくないけど、イキリダケエキスの精力増強効果がまだ残ってるんだろうか。

 毛布をより強く体に巻き直し、服を求めて地下道の曲がり角を目指した。

 すると、その曲がり角から誰かが勢い良く飛び出して来た。


「うぉわぁ!?」

「誰じゃ!?」


 女王だ。

 風呂場にあったのと同じ薄茶色のタオルに身を包んだ女王。

 さっきの俺とメツェンさんみたく風呂に入ってたのかな。


「女王様、おケガはございませんか!?」

「チシロ?」

「あっ、シツ様……」


 女王に遅れてチシロが現れた。

 彼女の方はタオルではなく前と同じボロい服を着ている。

 俺と目が合うなり、気まずそうに顔を沈めてしまった。


「何? シツじゃと? あの人形のような髪はどうしたのじゃ」

「作り物なんです、あれ」

「……まあどうでもよい。

 それよりもな、風呂にラスティアンが出たのじゃ。

 はよう始末せい!」

「それなんですけど、今は倒せないんです」

「AAに休みなどない! 甘えた事を抜かすな!」

「女王、甘えなどではありません」


 俺の背後からゾデの声がした。


「ゾデ、それはどういう意味じゃ?」

「つい先ほどシツの血液検査を行いました。

 AA能力を示す成分が未検出。

 つまり今のシツは一般人同然です。

 ラスティアンを倒せなどしません」

「……なんと」


 ゾデは中性的な声で淡々と語った。

 女王は目を丸くして半開きの口を震わせ、チシロは……微笑んでいる。


「やはりEEは間違っておりませんでした。

 我々は滅びるべきなのです。

 滅び……それこそが我々人類の真なる願い、本望なのです」

「うるさい!」


 女王が歯を噛み締めて激昂し、チシロの左ほほを『バチン』とビンタした。

 チシロは一瞬右を向いたがすぐに正面の女王へと向き直る。

 微笑みも全く崩さない。


「チシロは間違っておる! 産めよ増やせよが人類の! 生命の真理であろう!」

「いいえ。

 希望と思われたシツ様が無力になってしまわれたのですよ?

 これを滅びの道と呼ばずに一体何と呼びましょう」

「減らず口を抜かすな! おいゾデ! ゾデも何か言わぬか!」


 女王にツバを飛ばされてもゾデは微動だにしない。


「特に何も思いません。

 それぞれの考え方があるでしょう。

 そこに正解などありはしない」

「はっ! 少々知恵が利くからといって高く止まりおる。

 それならゾデ、そなたはこの世をどう考えておるのじゃ?」

DelveDeviceデルブデバイスの教えにのっとり、

 ただただ掘り下げて何かに活かすのみです」

「DDの教えなどと……そんな呑気にしておるうちに人類が滅びてしまうわ」

「ですから、それこそが「ほざけ!」


 女王がまたチシロをビンタした。


「ケンカしないでください! 俺がもう一度行ってきますから!」

「シツは今AAではないのであろう?」

「でも!」

「慌てるなシツ。

 実は先ほどの血液検査で1つ妙な数値があってな。

 もしかしたらそれが原因で、一時的にAA能力を失っているのかも知れないぞ」


 女王がやや表情を明るくしてゾデに掴みかかった。


「それを早く言わんか! で、何が検出されたのじゃ?」

「イキリダケのエキスに多く含まれる成分です」

「……はあ? イキリダケが原因じゃと?」

「確定したわけではありません。

 1つの可能性です」


 女王が薄目で俺を睨む。

 後ろの方で「クスクス」と小さな笑い声が上がった。


「おいシツ、わらわに説明せい」

「えっと……」

「はよう説明せい!」

「怒らないでくださいよ! チシロに騙されて飲まされたんですって!」

「いつの事じゃ」

「ちょっと前……」

「チシロ、これはまことであるのか?」

「さてさて、何のことですやら」

「チシロ!?」


 俺は目を見開いてチシロを見た。

 チシロは両方の頬を赤く腫らしてこそいるが微笑んだまま。


「時にシツ様? 愛しのメツェン様とはもう結ばれましたか?」

「チシロ、嘘つくなよ」

「まだなのでしたら残念でこざいましたね。

 AAで無くなったシツ様はただのよそ者でしかありません。

 メツェン様も2度とは振り向いてくれないでしょう」


 俺は一時的に言葉を失った。

 そうだよな。

 メツェンさんが俺に親切にしてくれてるのは俺がAAだからだよな。

 チシロの発言はもっともだ。


「チシロ。

 君はまさか、こうなると分かってて俺にエキスを……?」

「いえ、チシロは無学ゆえそれはあり得ません。

 わたくしめにも実際の所は判断いたしかねます」

「仮にイキリダケの影響であるならば、枯れ果てるまで精を吐き出させればよい。

 チシロ、試しに相手をしてやれ」

「何を言いだすんですか女王!」

「シツ様は年下でみすぼらしいわたくしなんかより、

年上でふとましいメツェン様がお好みだそうですよ。

 メツェン様に頼んでみられては?」

「だから……」

「呼んだ?」


 メツェンさんが現れた。

 彼女に合うサイズはそう多くないんだろう。

 胸と太ももを始めとしてあちこちに布地が食い込んだ、

いかにも窮屈そうな赤い服を着ている。


「ラスティアンはどうなったの?」

「おおメツェン。

 丁度良い所に来たのう」

「良くないです! ゾデさん、何か他の可能性は考えられませんか!?」

「そうだな……苦し紛れではあるが、

 ラスティアンを倒せていた時となるべく近い状態を再現してみるのはどうだ?」

「再現……具体的にどうすれば?」

「とりあえず、持ち物や服装などになるだろう」


 俺の思考に閃光が走った。

 それだ。

 それであってほしい。


「確かに、シツちゃんの服は特徴的よね。

 輪っかとか翼とか」

「どこに脱いで来たのじゃ?」

「お風呂です。

 取りに戻らないと……」

「ラスティアンが居るんだろ?今のシツでは危険だ。

 ここは僕に任せろ」


 確かに今の俺なんかよりは、

 ガッチリフルメイルを着込んでいるゾデの方がうんと頼りになるだろう。

 普通に考えればそうなんだけど、何か納得がいかない。


「その間にメツェン様のご協力を仰ぎ、もう1つの仮説を検証なさいますか?」

「私? 私に何か協力できそうな事があるならなんでもするわよ!」


 笑顔で人差し指を立てるチシロの下世話な提案に、

 詳細を分かっていないメツェンさんは両手を握り締めてやる気満々だ。


「良いですって! ゾデさん、俺もついて行きます。

 連れてってください!」

「安全は保証できないぞ。

 それでも来るのか?」

「それでも行きます!」


 それが唯一の打開策ってんならまだしも、

仮説や憶測ごときでメツェンさんを汚したくなんかない。

 チシロめ、かき回してくれやがって。

 自分がEEだからAAの俺を毛嫌いしてるのかよ。


「分かった。

 では僕の背中に乗ってくれ」


 そう言ってゾデは俺に背中を見せ膝をついた。


「えっと……こう、ですか?」


 戸惑いながらも毛布から腕を出し、言われた通りにしがみつく。

 ゾデは俺の両太ももをしっかり支えて立ち上がった。

 ゾデの指先までもを完全に覆っている金属の冷たい感触。

 俺は全身をブルっと震わせた。


「しっかり掴まっていろよ」

「うわぁ!」


 ゾデが猛スピードで走り出す。

 フルメイルの自重に俺の体重も支えてるってのに、

俺が自分の足でで走るよりもずっと速い。

 そしてガシャガシャと鎧のパーツが擦れてやかましい。


「シツちゃん頑張って!」


 メツェンさんの声援も遠い。

 あっという間に他の3人との距離が開いた。


「ゾデさん、凄いパワーですね……」

「そうだな」


 一応褒め言葉のつもりだったんだけど、ゾデからの返事は至ってクールな一言のみ。

 気まずさを感じて黙っていると、風呂場に着くまではあっという間だった。

 背中から飛び降り中へ踏み込もうとした所、ゾデの腕に制止される。


「シツはここで待っててくれ。

 入ってたのは男湯か?」

「真ん中です。

 混浴の」

「分かった」


 ゾデはガシャンと1歩踏み込んだが、2歩目に移らず硬直してしまった。

 まさか怖気付いたなんて事はないよな。


「どうしました?」

「シツ、お前が遭遇したのはどんなラスティアンだった?」

「俺の膝くらいしかない小さな赤いやつです」

「それは1匹か?」

「へ?そうですけど……」


 なんだか不穏な質問だ。


「シツ、AA能力を失っても尚立ち向かおうとするその勇気は評価する。

 だが勇気だけでは人は戦えない。

 服は僕に任せてここは逃げるべきだ」

「だから今更……え?」


 ゾデの顔を覗き込もうと前に出たとき、のれんの向こう側が見えた。

 カニが1匹、カニが2匹、3匹4匹5匹6匹……。


「……数えきれない」

「もう一度言う。

 逃げろ、シツ」


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