エピソード9 上下関係と兆し

「こ、これはログ様!このような場所へわざわざ…」


シュタールは、先ほどとは打って変わって穏やかな表情になった。明らかに口角が上がっており、手もみをしながら猫に話しかける。


(ログ様…だって?この猫が、あの男よりも立場が上ってことか?)


青年にとって、動物に媚びを売る人間がいるということは、驚くべきことだった。


「あの…どちら様でしょうか?」


「無礼者!このお方をどなたと思っている!!フェアリル・ランドの大臣、ログ・キャット様だぞ!」


シュタールは疑問を投げかけた青年に、大声で怒鳴りつけた。


「俺の質問に答えるにゃ…。この小屋で何をしているにゃ?」


猫はいまだにシュタールを睨みながら、答えを求めた。姿勢を正し、恐縮しきった表情で彼が答える。


「はっ!バグが現れたとの情報がありまして、ただ今より連行する所であります!」


「ほう…バグを…。それで、そのバグはどこに?」


「はっ!今、目の前にいる人間であります!」


彼がそう言うと、猫はゆっくりと歩きだし、青年に顔を近づけた。まるで匂いを嗅ぐように鼻を動かすと周りを見回し、ダウメを見つけて一声鳴いた。


「おぉ、ダウメじゃにゃいか!こんな所で何をしているんだにゃ?」


「ログ様、そ奴は…」シュタールが声をかけると、猫は振り返り毛を逆立てて、威嚇した。


「ひぃっ!も、申し訳ございません!」


シュタールは慌てて、謝罪の言葉を口にした。


「黙ってろ…。ダウメ、この人間はおみゃーの客か?」


「はい…。その通りです…」


「そうか、そうか。なら…」


猫は満足そうな表情を浮かべると、シュタールとその部下たちに向きかえって、こう言った。


「この人間の身柄は、俺が預かるにゃ」


「な、何を仰いますか!こいつはバグなのですよ!?」シュタールは異議を唱え、兵士たちも同調した。


「黙るにゃ。この男からはバグの匂いが感じられにゃい。よって危険では無いにゃ」


猫はざわめく兵士たちを落ち着かせるように言った。


「しかし…!」


「おい、シュタール。お前は、俺に意見できる立場か?その脳ミソは、筋肉だけでしかできていないのか?よーく考えろ」


猫は、シュタールの左肩に飛び乗ると、耳元でそう囁いた。彼の顔がみるみる崩れていき、青白くなったり赤くなったりを繰り返した。


「…分かりました」


最後には苦虫をつぶしたような顔になり、剣を鞘ごと抜いて、先を地面に勢いよく叩き付けてこう叫んだ。


「この屈辱、必ず晴らしてくれるわ!覚悟しておけ、人間!

必ずダウメ一味とももろとも、この世から消し去ってやるわ!」


怒りを抑えきれないまま、彼は道を歩いて行った。部下たちは慌てて追いかけて、隊列はバラバラになり、残ったのはダウメたちと青年、そして一匹の猫だけだった。


 「悪かったにゃ。見苦しいところを見せて」


猫は青年の近くまで来ると頭を下げた。


「いいえ…。えっと、ログ様のおかげで助かりました。ありがとうございます」


青年は正座をして、同じように頭を下げた。


「ログで良いにゃ。それと、敬語も必要ないにゃ。堅苦しいのは、苦手だからにゃ~!」


ログと名乗った猫はそう言いながら、前足を使って体を伸ばした。


「おみゃー、記憶が無いそうだにゃ?しかし、初対面の妖精にも分け隔てなく、友好的に話し合える社交性も持っている…。ちょっと、おみゃーに興味がわいたにゃ」


ログはにやにや笑うと、じゅうたんに座っているラポの膝に飛び乗って、自分の顔を彼女のおでこにくっつけた。


「…何ですか?」ラポはログから目をそらしがら言った。


「いつものように撫でるにゃ」


彼女は深いため息をつきながらも、ゆっくりとログの体を撫でた。ログは目を細めながら、しばらくラポを拘束して離さなかった。


「さぁて、こんな所に長居は無用だ。早く帰ってご飯にするにゃ」


満足したログは一足先に外に出て、まるで先導するかのように歩き始めた

「お待ちください!今行っては、駄目です!」


ダウメが慌てて止めようとするも、気まぐれな性格のログにその声が届くはずもなく、青年たち一行は足を速めた。




           ※※※


 「な、な、何だこれはーー!?」森中にログの叫び声がこだまし、青年とダウメたちは思わず耳をふさいだ。


「おい、ダウメ!これは一体どういう事だ!?何故お前の家が、こんなになっているんだ!?」


語尾を忘れて、ログはダウメに詰め寄った。


「で、ですから、今行ってはだめだと申し上げたんです!ログにこのような無残な姿を、見せるわけにはいきませんから!」


更地となった大地でダウメが言った。彼女らが住んでいた家の面影はもはやなかった。


「俺の…俺の保存食…ニジマスの燻製くんせい焼きが…」


ログはがっくりとうなだれて、地面に顔をこすりつけた。せめてここが、自分の縄張りだと主張したいのだろう。


「ログ、うじうじしても始まらないよ。家を再建しないと」


ルーがログの肩を叩いて慰めた。


「今までなら窓ガラスやドアだけだったのに、まさかここまでとはね…」


ダウメはため息をついた。


ラポは口をキュッと結んで、膝の上で両手の握りこぶしを震わせた。青年は彼女が泣いているように感じた。


「ラポちゃん…」


「私に近づかない方がいいわ…。あんたまで不幸になるわよ」


「そんな事…!」


青年の言葉を遮るように、ラポは手をかざした。


「イフェルノ・エボールシカ…。

全能なる女神イシューよ、この地にあった家屋を蘇らせ給え…」


ラポがそう呟くと、彼女の手が青白く光り、彼女たちの家がものの見事に蘇った。


「お~!お姉ちゃん、すごーい!」ルーは拍手をして感心した。


「はぁ…。何だか疲れたわ…。早く休みたい」


ラポはそのまま、家に入っていた。


「ラポ、待ちなさい!ご飯は?」


そう言いながら、ダウメは慌てて中に入り、ルーも続いた。


青年も中に入ろうとしたが「待て」とログに止められた。


「どうしたんだ?」


「あのシュタールという男には、気を付けろ。今回は俺がいたから何とかなったが、次はそうはいかないかもしれない。その時はお前があいつらを守るんだ。…分かったな?」


語尾を消して、含みを持たせる発言をしたログに青年は緊張した面持ちで頷いた。


「それなら良い」ログは満足したように頷いて、家の中に入っていった。


青年は、ログが去るのを見届けると、頭を下げて、跡に続いた。



                    ※※※


 「妖精たちが暮らす国…。そこに偶然飛ばされた僕…。僕は一体、誰なんだろう?」


夜、なかなか眠れない青年は、ベッドの中で胡坐をかいて考えていた。


「こんな事、フィクションの世界だけだと思っていたのにな…」


彼は思ったことをそのまま口にした。


アニメなどで見られた異世界転移系の物語は、主人公が転移した直後に特殊能力を持ち、それを使って、その世界での生活を謳歌していたり、ヒロインに一目ぼれして、彼女に振り向いてもらおうと奮闘したりするものが多かった。


だが、自分はどうなのだろう?大した能力を持っているわけでもないし、今日命が助かったのも、ルーやログの力がなければ、人生は終わっていたのかもしれない。


「何で、こんな世界に来たのかなぁ…」


青年はそのまま体を後ろに倒して、天井をぼんやりと見つめた。


「確かに、今までも異世界に行きたいとは思ったけどさ…。…ん?」


彼は自分の発言に違和感を覚えた。


「『今までも』ってことは…僕は現実から逃げたいとでも思っていたのか…?」


自分は一体どんな仕事をしていたのだろう?逃げ出したいとでも考えていたのだろうか?


あの《夢》とも関係があるのだろうか?


「ますます分からない…くそっ!」ベッドを叩き付けると、青年は目をつぶった。少しでも寝ようと努力した。



だが眠気が来ることは無く、辛い夜となっただけだった。


         ※※※



 一方その頃、フェアリル・ランドの首都、フェアリル城城内、謁見の間ではシュタールは膝をついて、呪文を唱えていた。


言語は分からないが、奇妙な気配が彼とその場に満ちていく。紫色の煙が城の敷地内を包み、その中で彼はこう呟いた。


「かしこまりました。…全ては、貴女様のために…。人間、そしてダウメ一味よ!


明後日が、貴様らの最期の時だ!」


玉座の後ろに、ステンドグラスで描かれている女神イシュー見上げながら、彼は笑い声をあげた。


その声は城中にこだまし、肩の上の烏からすが鳴き声を上げて、不気味に羽ばたき、ステンドグラスを突き破って闇夜の中へと飛び去って行った…。

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フェアリル・ランド バハーム @bahamu115

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