エピソード5 混沌の庭と現実
青年は一面が緑の場所に立っていた。一見すれば、どこかの草原なのかもしれない。
だが、やがてそれは偽りであることに気づかされる。空間が徐々に歪んで、まるで、廊下のように狭くなった。そして、次の瞬間、彼の目にはとんでもないものが映りこんでいた。
白い人型が、何か尖ったものを、何度も何かに突き刺している。
目や鼻などはなくのっぺらぼうだが、口元だけは気味悪いように笑っていた。
周りの白い人型たちが、次々と青年のもとから離れていく、中には、車いすのようなものを押して、必死に逃げている者もいる。
何かを刺していた人型は、それを見つけると、狂気じみた笑い声をあげながら、それに近づいていく。
「待て!」青年は襲われそうになっている人型を、庇うように叫んだ。
人型は黙ったままで、尖ったものを振り回しながら笑っている
「もう、止めろ!こんな事しても、何にもならないぞ!」
青年の口からは、何故かそんな言葉が出ていた。それでも人型はにやにや笑いながら、青年に向かって尖ったものを突きつけて、走ってくる。
青年はファイティングポーズを取り、迎え撃った。だが、それだけでは終わらなかった。
尖った物を取り上げて捨てさせ、襲われそうになっていた人型たちに近づいた次の瞬間、同じ物が彼の背中を、斜め下に切り裂いたのだ。
「うわぁああああああっ!?」
「きゃあっ!」
目を覚まして、勢いよく起き上がった青年は、様子を見に来ていたルーと頭をぶつけてしまった。
「痛ぁい…」
「はぁ…はぁ…はぁ…」彼は痛みを覚えることなく、息を切らした。
(何だったんだ?…今の夢は…?あれが過去の『俺』なのか…?)
自分の知らない『もう一人の自分』の存在。いっそこれが、全て夢であればと彼は思った。しかし、目の前に映る景色は全て本物だ。改めて周りを見和してみる。
時計が無いので、時間は分からないが、外がうっすらと明るくなっている。恐らくは5時くらいだろうか?
「お兄さん、大丈夫?」ルーが心配そうに顔を覗き込んだ。
「あ、あぁ…。俺は…何で寝ているんだ?」
青年は周りを見回した。彼の胴体には薄い布がかけられていて、後頭部には枕が敷かれていた。自分で用意したのではない、誰かがこうしてくれたのだ。
「あぁ、お母さんがこうしてくれたんだよ。今、お姉ちゃんと二人で、お兄さんが元気になれる薬草を、探してくれていると思う」
「そっか…。迷惑かけちゃって、ごめんね?」
「ううん、良いの。それよりお兄さん、汗びっしょりだよ。お風呂入ってきたら?」
「あっ・・・うん、そうしようかな」
青年は苦笑いして、脱衣場へ向かった。すると何故かルーもついてきた。
「…何してるの?」
「一緒に入ろうと思って」
「またからかったら、ラポちゃんに叱られるよ?」
「お兄さんが心配だから、言ってるのー!」ルーが目を反比例・比例の形にして怒る。
「わ、分かったよ…。じゃあ、先に入るから、あとから来てね?」
「はぁい!」元気良く返事をするルーに、青年は苦笑いした。
思えばこの世界に来て、ルーほどの元気な少女を見たことはあるだろうか?
といっても、まだ一日しか経っておらず、三人以外の誰にも会っていないので、何とも言えないのだが…。
青年は湯船に浸かりながら、ぼんやりとしていた。暖かい湯で顔を洗うと、嫌な事を全て忘れられる気がした。
※※※
「失礼しまーす!」
やがて、ガラガラと引き戸を開けて、ルーが風呂場へとやってきた。
「やぁ、ルーちゃん」
「もう、何で一緒に入るのに、わざわざタオルを巻かなくちゃいけないの?
身体を洗う時に、邪魔になるじゃん」
彼女がぶつぶつ文句を言うが、これは事前に青年が、混浴するための条件として出したものだった。いくら記憶は失っていても、心まで消えたわけではない。
「ごめんね…。僕が上がったら、いつものようにしていいから」
青年は申し訳なさそうに、湯船の中で手を合わせて謝った。
「別にいいけどさ…。じゃあ、私からも交換条件があります!」
「交換条件?」
「私は、お兄さんの言いつけ通りに、タオルを巻きました。なので、一緒に入るための条件はクリアしていると考えていいと思います」
ルーの突然の発言に、青年は思わず、「うん」と答えた。
「今から出す条件を呑んでもらえれば、私はこれからもずっと、お兄さんとお風呂に入ってあげます!」
それは、ルーがそうしたいだけではないだろうか?
そんな疑問を抱えつつも、青年は聞いた。
「それで、その条件というのは?」
「今からお兄さんの背中を、流させてください!」
「背中を…?まぁ、良いけど」
「やった!じゃ、早く湯船から上がって?」ルーは青年が湯船から上がり、椅子に座るまでずっと目を閉じていた。
「座ったよ。ルーちゃん」
「う、うん。じゃあ、開けるね?…うわぁっ!?」
背中越しに彼女の驚いた声が聞こえた。
「ど、どうしたの?」
「『どうしたの?』じゃないよ!
お兄さん、この傷、どうやって出来たの!?」
「えっ?…傷?」青年は驚いて、首を後ろに回した。
彼の目線からは、背中にある赤い小さな傷しか確認できない。
「えっと…お兄さんの右肩から、背中の下くらいにかけて、三日月みたいな傷があるよ?
血は出てないけど、跡みたいにくっきり残ってる。痛そう…」
ルーは、彼の傷をいたわる様に撫でた。不思議と痛みは感じなかった。
首を戻した青年は先ほどの夢を、思い出していた。尖った何かを持った人型を撃退した直後、背中に感じた強烈な痛み。それが原因で、この傷が出来たとしたら…。考えている事が恐ろしかった。
顔が青くなる青年に、ルーは背中越しに語り掛ける。
「私ね、お姉ちゃんから聞いたことがあるんだけど、背中の傷は敵から逃げるか、誰かを護ってできた勲章なんだって」
勲章という言葉に、彼は後ろを向いた。
ピンクヘアーを伸ばした少女が、「後者だといいね」と言って笑っている。
「…うん、そうだね」彼はルーを優しく撫でると、先に風呂場から出ていき、パジャマに着替えてベッドに戻った。
「ただいまー!」とラポとダウメの声が聞こえる。
その声が、眠ってしまった彼に届いたのかは、誰にも分からなかった。
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