エピソード3 一つの嘘と真実

帰る道中、ラポは一言も話さなかった。顔は真っ青で、青年の手をさっきより強く握りしめていた。小さく震える右手、彼はラポの事が気になっていた。


「まぁ、どうしたの。そんなに泥んこになって!」


ダウメは、あまりにも早く帰ってきた三人に驚いて言った。


「すみません、ダウメさん。実は…」と青年が事の次第を放そうとしたのを、まるでルーが遮るかのように声を大きくしてこう言った。


「ごめーん。ちょーっとだけ、魔法に失敗しちゃって」


「あら、そうなの。まぁ良いわ。二人でお風呂、入っちゃいなさい」


「えぇー。お兄さんと一緒じゃダメぇ?」


「えっ!?ちょっと!?」


ルーが青年に目を向けて、悪戯っぽく笑うので、彼は動揺を隠せなかった。


「キャーッ!お兄さんったら、エッチー!」とにやにや笑うルー。


「いい加減にしなさい!」ラポがルーにげんこつをする。


漫画で見るような大きなこぶが、彼女の頭にぷっくりと出来上がった。


「いった~い!もう、冗談なのに!」こぶを抑えてうずくまりながら、ルーが涙目で抗議した。彼女としては、姉に元気になってもらおうと一芝居打ったつもりだったが、本気で怒らせてしまったようだ。


だが、結局はいつものラポになったので、結果オーライである。


「あんたが言うと、冗談に聞こえないのよ!

それに、自業自得でしょ!!ほら、さっさと行くわよ!」


ラポは自分の妹の首根っこを持って引っ張っていった。

長坐位の姿で引きずられていくルーが、青年に向かって「また後で~!あらぁ~!」と叫んでいたのがおかしくて、彼は思わず噴き出した。


「人間君。悪いけれど、お洗濯手伝ってくれないかしら?

もう洗ってあるから、そこの物干し竿に干してほしいのだけれど、出来る?」


「あっ、はい。そのくらいなら、お手伝いできますよ」


青年は快く言った。お世話になっているだけではだめだ、何か恩返しをしないといけないという気持ちが自然と表れていた。


「ありがとう。じゃあ、早速やりましょうか」


「はい」


ダウメはハンカチやタオル類などを青年に手渡し、干す順番を丁寧に教えた。


青年も体が覚えているのか、テキパキと仕事をこなした。


「はい。これで最後よ」


「了解です。…これでどうですか?」


「うん。完璧。貴方、実は家庭的だったんじゃないの?」

「そうでしょうか…」


「えぇ。きっとそうよ。ねぇ、ちょっとお話しない?座って?」


ダウメはソファーを指すと、青年の隣に腰かけた。


「それで?…本当は何があったの?」


「えっ…気づいてらしたんですか?」青年は驚いて言った。


「伊達にあの子たちの母親をしてないわけじゃないし、それくらい分かるわよ。

…何があったの?」


青年は言うのを少しためらったが、思い切って話すことにした。


「実は…さっき、魔法を見せてもらおうとしたら、誰かに泥団子を投げつけられてしまったんです」


「えっ!?大丈夫だったの!?」


「僕とラポちゃんは何とも。ですが、ルーちゃんだけが被害に遭ってしまって…」


「だからルーの服だけ、あんなに泥だらけだったのね…」ダウメは納得したような、呆れたようなため息をついた。


「申し訳ありません。僕が見ていながら、犯人を見つけることが出来ませんでした」


青年は頭を挙げた。


「良いのよ。でも、今回の事で一番責任を感じているのは、他でもないラポでしょうね」


「えっ?それってどういう…」


「それは、あの子の口から直接聞きなさい。待っていれば、話してくれると思うわ」


「は、はぁ…」


青年が首を傾げたとき、「お風呂空いたよ~」とルーの声が聞こえた。


「はーい!…ちょっと待っててね?」ダウメはウインクすると、二人分の着替えを持って脱衣所へ向かった。さすがにそこに男を入れるわけにはいかないのだろう。


やがてルーが同じ服に着替えて、タオルで頭を拭きながらリビングへと戻ってきた。


髪を伸ばしている彼女を見るのは、青年にとっては初めてで、一瞬誰だか分らなかった。


「明るい内から入るお風呂も良いね。あ~気持ちよかった~!」


「それは良かったね。ラポちゃんは?」


「えぇ~。お兄さんは私より、お姉ちゃんが良いんだぁ~。ふーん」


「そ、そういう訳じゃないけど…」


「あははは。冗談だよ。それより、お兄さんも私達と一緒に入ればよかったのに。そうしたら、あーんな事や、こーんな事も出来たかもしれないよ?」


ラポはにやにやして言った。


「えっ…。え、遠慮しておくよ!うん!」青年は顔を赤くして早口で言った。


「あっ、今想像した?ねぇ、想像したでしょ~?」

「う、うるさいなぁ!」


青年が顔を赤くすると、いつの間にか真後ろに来ていたラポが、いきなりルーの首を締めあげた。


「イタタタタタッ!お姉ちゃん、止めて!絞まってる!締ってるから!」


「・・・・」


「無言は良くないんじゃないかなぁ!?助けてー!」


「ああっ、ラポちゃん、それくらいで…」


青年が止めたところで、ラポはようやく手を離した。


「ね、ねぇ、お兄さん。この後どうするの?」


せき込みながら、ルーが聞いた。


「この後って?」


「だから、今日はどうするのかって聞いてるの。家に泊まっていく?」


「えっ?良いのか?」


青年は驚いて言った。いくら何でも、見ず知らずの人間を家に泊めるなど、親の許可なしに決めてしまっていいのだろうか?


「あら、私はいつでも歓迎よ」ダウメが微笑みながら出てきた。


「何も分からないまま、追い出すのも酷だしね」


「あ、ありがとうございます…」

そう言うわけで、青年はしばらくこの家に厄介になることにした。

家の間取りや、途中で断念した魔法も見せてもらった。


「良い?今から、この鍋の具材を煮るのに、火を起こすから見てなさい」


ラポが青年を見て言った。


「分かった」


ラポは息を吐いて気持ちを落ち着かせた。


「アルファトラム!」


そう叫んだ彼女の指先が小さくオレンジ色に光り、大なべに向かって一直線に進むと、やがて鍋の周りに青い炎が広がった。


「「おぉ~!」」青年とルーは同時に言った。


「ルーはいつもママのを見てるでしょう…」


「えへへ~。お姉ちゃんの魔法、久しぶりだもん!」


「はいはい。私はどうせ、ルーの『仕事』には足手まといよ。はっ!」


ラポは勝手にそっぽを向いた。


「そ、そうは言ってないよ!」ルーが慌てて言った。


「仕事って何?」青年が聞いても、ルーはにこにこして「いつか教えてあげるね~」笑っていた。


それからラポは、この世界についていろいろ教えてくれた。


日本語は通じるし、現実の世界と変わりない雰囲気があった。そこで青年は気になることを聞いてみた。


「通貨はどうなるの?」


「これよ」ラポはポケットから一円玉サイズの銀貨を取り出した。


「これ一枚が1ウォンカ。これが十枚集まれば、10ウォンカで色が銅になって100枚集まれば、100ウォンカコインになる。他にも、5ウォンカ硬貨や、50ウォンカ硬貨もあるわ。1000ウォンカになれば、紙幣になるし、1万ウォンカをたくさん持っているやつが大金持ちってわけ」


話を聞いてみると、どうやらこの世界の通貨は日本とほぼ同じだった。


どうやらこの世界では、洗濯機や洗剤などは存在せず、汚れが付いたものは魔法で水と泡を出し、風を起こして回転させて巻き込むことで洗えるようだった。


他にも、ガスがないため、風呂は薪を、料理で火を使うときは、さっきのように魔法を使用するらしい。それくらいの魔法は、どの家庭でも扱えるのが当然だそうだ。


また、電気は通っているため、普通に明かりはつくし、テレビなどもある。人間界で放送されているドラマが、そのままこちらでも見られるらしい。


ただ、電話機はなく、家の中にある鉢植えの花が、その代わりなのだそう。


そして本日の夕飯が出来上がり、青年は三人で一緒に食べ、入浴もした。


ルーが、『私たちが入った後のお湯って…興奮しちゃう?』とからかったのが災いして、またもや、姉に締め上げられているのを、苦笑いしながら見て、あとは寝るだけとなった。ダウメがわざわざ、男性用のパジャマを彼の体を採寸してまで、魔法で作ってくれた。そこまでは良かったのだが…。


                ※※※


青年は困惑していた。彼の目の前には、にらみ合いをする少女が二人。


「今日はお兄さんと一緒に寝るの!」と駄々っ子全開のルー、そして…。


「駄目よ!そいつは危険人物だから、常に監視しておく必要があるわ。だから一緒に寝るのは、私よ」


…早い話が、『どちらが彼の隣で寝るか』ということである。


ルーは『初めて見る人間という動物に興味津々なため、どういう生活をしているのか、お話してみたいから』というのがその理由。


対するラポは、『人間という動物は皆、卑劣極まりない種族であり、二人きりで寝かせてしまえば、いつルーが襲われてしまうか分からないため、監視する必要があるから』という理由だ。


なるほど…。二人とも最もな意見である。議論の末、青年が右端、ラポが中央、ルーが左端の川の字になった。ルーはしぶしぶといった感じだが、監視という目は避けられないものであった。


「えへへ~。お姉ちゃぁん…」寝言を言いながら、しっかりと姉に抱きつくルー。


「暑苦しい…」とはいうものの、決して手を離さないラポ。


青年は微笑ましくその光景を見ていた。


「…何よ?」


「い、いや、ずいぶん仲がいいと思ってさ。

「血の繋がりはないのに、すごいなって思って」


「そう…。ねぇ、少し外に出ない?」


ラポはルーを体から離すと、二階の自室からベランダに出て、深呼吸をした。昨日雨が降ったせいで空気が澄んでおり、星が瞬いていた。


「星がきれいでしょ?私のお気に入りなの」


「うん」


「ねぇ、あんたは私を見て、何とも思わないの?」


ラポは隣の青年の顔を見ずに言った。


「何を?」


「髪色とか…目の色とか…変だって思わないの?」


「いいや、思わないよ。むしろ、それがこの世界の常識なら納得できるし」


「そう。ならもう一つ、教えてあげるわ」


「えっ?」青年は驚いてラポを見た。


エメラルドグリーンの目が、宝石のように光っていた。


「私…人間だったの…」


「えっ?…何…だって?」


「私も、あんたと同じ…人間だったのよ」


青年は驚きを隠せなかった。夜風が彼女の髪を撫で、木の葉が静かに舞い上がる。


時間が止まっているかのように、あたりは無音になった。静かな風が二人を包み込んでいるのみだった…。

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