【幕間5】御忌明け
わたしが当屋に選ばれたのは、高校に入学する前の春休みのことだった。
春分の御忌の翌日には、「御忌明け」と呼ばれる小規模な祭りが開かれる。
祭り――といっても本当に小規模なものだ。神社の麓の駐車場で、自治会の人達が大根を煮炊きしているだけである。しかし、新しい一年神主を選ぶための重要な儀式が境内では行われていた。
わたしは十六歳にこそなったものの、御忌明けなどには行きたくなかった。当屋に選ばれれば、一年間面倒臭い神事を押し付けられるばかりか、あの恐ろしい夜に外へと出なければならないのだ。その上、一年神主に選ばれた者は、本人かその家族が生贄に取られるという噂さえあった。
しかしそうであるからこそ――一年神主の資格がある者で、特別な理由がないにも拘わらず「御忌明け」に参加しなかった者は、他の町民から白い目を向けられるのだ。
朝食を摂り終えると、母はわたしに神社へ行くように促した。
わたしは不承不承にも、神社へと向かうこととする。
家から出て坂道を昇り、中通りへと出る。伊吹山の巨躯が目の前に現れ、わたしを圧倒するのは、いつもこのときであった。伊吹山は、いつも重苦しい威圧感を持ってそこに存在していた。
神社へ着くと、ふもとの駐車場には多くの人々が集まっていた。町内会のテントが張られ、二、三個ほどの大きな鍋が湯気を立てている。町内会の人に勧められるがまま、わたしは大根を一つだけ食べた。味噌味の大根は、憂鬱な気分に反して異様なほど美味だった。
鳥居をくぐり、境内へ向けて参道を昇ってゆく。
社叢の樹々が朝露でしっとりと濡れていたのを覚えている。
社殿の前には、籤の入った箱が二つ置かれていた。一つは男性用であり、もう一つは女性用だ。社務所で記帳してから、わたしは女性用の籤箱の中へと手を入れた。
当たりませんように――と願いながら。
しかし。
取り出した紙片には、国旗のような紅い円が描かれていた。
当屋に選ばれたのだ。
紙片を握り潰してやろうかと思った。けれども、そうしたらそうしたで別の祟りが起こるのかもしれない。役員に紙片を見せると、おめでとうございますと言われ、名前と住所を名簿に記載された。
――何がおめでとうございますだ。
それから一旦、わたしは家へと帰された。
家へ帰り、当屋に選ばれたことを告げると、母も妹も驚いたような表情をしていた。特に、妹の不安そうな表情は格別のものであった。
夕方になったころ、家に平坂神社の宮司が来た。そして、これからの日程と当屋としての仕事を簡潔に説明する。主に、神楽舞の練習をさせられることや、そのたびに神社へ参拝しなければならないこと、練習のある日には肉食をしてはならないこと、異性とは交渉してはならないことなどを。
その間、わたしはずっと憂鬱そうな表情をしていたことだろう。
宮司が帰ったあと、妹は不安そうな表情でこう尋ねた。
――お姉ちゃん、本当に選ばれただね。
わたしは黙ってうなづくしかなかった。
――何とかして、辞退できんもんなの?
――わたしも辞退できるなら、辞退したいわいな。今日一日も、ずっとそのことばっか考えとったし。だけど、みんながやりたくないもんを押し付けあっとるのに、辞退なんかできるわけないが。
それに――とわたしは言う。
――多分さ、わたしが選ばれたのは、必然でなかったでないかな?
妹は困惑した表情を浮かべる。
――何で――?
――わたしもちーちゃんも、目に見えんもんが見えるが? 当屋ってのは、一年神主だけんね。わたしが選ばれたんは、神様が自分を祀るのに相応しい相手を求めたけえだと思う。一年神主が神迎えのあとに選ばれるのは、来て下さった神様に選んでもらうためでないかな?
――そう――。
それでも妹は、不安そうな表情を崩さなかった。
――きっと大昔は、わたし達みたいに、色々なものが見えたり感じられたりする人が、いっぱいおったでないかな? そんな人が、一年神主になっとったんだと思う。神主は家系や知識の有無で選ばれるもんじゃなくって、才能で選ばれるものだった。今は神様を祀るのに相応しい人を選ぶ方法が分からんもんだけん、籤引きで選んでもらうようになっただと思う。
――それなら――大丈夫なのかな?
少し勇気づけられたように、妹は言う。
――わたしもお姉ちゃんも、神様を感じられるもんね。神様の言いたいことが判るんなら、きっと大丈夫だよね?
そんな妹の言葉を耳にし、ふとわたしは別の懸念事に気づいた。
もし他人に感じられないものが感じられるからこそ当屋に選ばれたのならば、そのうち妹も当屋に選ばれる日がくるということではないだろうか。
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