9 祀られていたもの
給食時間が終わった。
冬樹は芳賀と共に食後の茶を飲んでいた。そこへ、女子の三人がやって来る。先週と同じように、周囲から椅子を取り出して女子たちは坐った。芳賀は紙コップを三つ用意し、ほうじ茶を注ぐ。
「平坂神社の宮司さんは、大原って名前だっただな。」
紙コップを受け取り、由香はそう言った。
「つまり、美邦ちゃんの家は平坂神社の宮司さんだったってこと?」
たぶん間違いはないよ――と美邦は答える。
「その記事に載っている名前の人が、私のお母さんなの。私が平坂町にいたころ、私の家が火事になって、そのときにお母さんも亡くなったって聞いていたわ。平坂神社の宮司さんの家が火事になったって聞いたときから、そのことは気にかかっていたのだけれども。」
視線を逸らしつつ、冬樹は言う。
「俺は土曜日に、町内のほうの図書館に行っただが。けれども、そっちのほうの郷土誌もどういうわけか切り取られとった。」
図書館のも――と幸子は言った。
「ああ――。けれど、幸いにも市内の図書館のは切り取られとらんかった。そしたらこのとおり、宮司さんの名前は大原だって書いてある。しかも、俺でさえ知らんかった神社を大原さんは知っとったわけだ。だけん、そのことについて電話で訊いてみやぁかと思っただけど、電話帳で調べてみても、大原って名字が載っとらんくて――。」
緊急連絡表は個人情報保護の観点から廃止されており、直截訊ねてみない限り、クラスメイト達はお互いの家の電話番号を知らない。
「私は今、渡辺さんっていう家にお世話になっているの。」
そうか――と冬樹はうなづく。
「まあ――ともあれ三連休だ。十年前に神社が火事になって潰れたっていうんなら、ひょっとしたら新聞記事に出とるかもしらんなと思った。」
幸子はコピー用紙に軽く触れる。
「それで、この記事に突き当たったわけか。」
しかし、芳賀は釈然としていない顔をする。
「けれども、変でない? もし大原さんの家が神社の宮司さんだったなら、叔父さんや叔母さんが知らんなんて言うはずないと思うが?」
冬樹もその点が気にかかっていた。だから、火事で死んだ者が美邦の母親だと知ったときは、内心なかり驚いていたのだ。
場がやや静かになった。
視線が美邦に集まる。
美邦は困ったような顔をしていたが、やがてぽつりとこう零した。
「私――お父さんが亡くなる直前まで、平坂町のことを知らなかったの。」
昭が亡くなる前のことについて、たどたどしい口調で語り出した。昭が平坂町の存在を隠していたことや、美邦を平坂町に返したがらなかったこと、啓の証言と喰い違いがあることなどを。――
一通りのことを語り終えると、さすがの芳賀も黙り込んでしまった。
「それは確かに変な話だな」と幸子は言う。「親戚からも離れて、今までお墓参りもせずに暮らしとっただなんて、私にはちょっと想像もつかんけども――。叔父さんのほうも、何か隠しとるんでないの?」
「俺もそう思う。」
郷土誌をコピーした紙の、祭祀について記述された部分を冬樹は指さす。
「この――
「藤村君――その宮座ってのは何よ?」
「簡単に
「その宮座について、家の人にも訊いてみた?」
「ああ――一応は。けど、知らんって言っとったわ。」
平坂神社の存在を知らない二人が、そう答えるのは当たり前だろう。
「どうあれ、神社のことを知らんなんて言うのは普通でないと思う。郷土誌のページが切り取られとったのも変だ。まるで――平坂神社について知られたくないみたいだ。」
美邦は小首をかしげる。
「それは、町の人達が神社の存在を隠しているということ?」
「分からん。もしそうなら――平坂神社なんか知らんと言った大人は、全員が嘘を吐いているということになる。けれど、そりゃそれで考えにくいことではあるな。するだけの理由も分からんし。」
芳賀が再び口を開いた。
「単純に、御忌も宮座も、十年前には忘れ去られていたとは考えられないかな? それなりに大きな神社だったわりに倒産したのも、そのせいだろ。だからこそ、誰も知らないと考えたほうが自然だと思うけどな。」
「それだと、うちの婆ちゃんや、築島先生が『知らない』って言った理由が説明できんでないか? 『とっくの昔』とは言うけど、うちの婆ちゃんは戦前からこの町に住んどるわけだが。」
「あんた達、もっと静かにできんの!」
その場にいた者の全員が、肩を震わせた。
恐る恐る声のしたほうを振り向くと、三つほど後ろの席に、小太りの少女が坐っていた。名前は笹倉という。美邦が転校して来た日――トイレで声をかけてきた生徒だ。どうやら読書に専念していたらしく、手には有名なケータイ小説を握っていた。
笹倉はこちらを睨むと、読んでいた本を手にして教室から出ていった。
由香は胸を撫で下ろし、溜め息を吐く。
「あぁ、びっくりしたあ――」
美邦は、恐る恐る周囲を見回す。
「私達、そんなに大きな声でしゃべっていたかな?」
「いや――ただあの人の頭がおかしいだけだと思うよ。」
芳賀の言葉に、一同は沈黙する。
失言だったからではない。
冬樹自身も、笹倉についてはあまり触れたくない気持ちがある。ゆえに、関心を逸らすようにこう言った。
「まあ――平坂神社に何があったかは、おいおい調べてゆくしかない。とりあえず、今は情報が少なすぎる。大原さんも、そのへんについて、叔父さん達に何か訊けるか?」
「うーん。」
美邦は口籠った。助け舟を出すように由香は言う。
「隠し事しとるやぁな人が、そう簡単に答えることはないと思うけど? まして美邦ちゃんは居候なんだけん、簡単には訊けんと思うよ?」
「まあ――それもそうか」冬樹は眉間に手を当てる。「じゃあそのへんについては、こちらも色々調べてみるわ。――他に質問はあるか?」
由香はコピー用紙の一画を指さす。
「私が気になるのは、この『
「恐らくは
由香は不満そうな表情をする。
「また、難しいこと言って――。その、よりがみっていうのは?」
「海からやって来る神様のことだ。古代の日本では、海の向こうには『
ニライカナイ――と美邦は小さな声で復唱する。左右で色の違うその瞳が、
冬樹は続けて言う。
「古代の日本じゃ、神様は神社に常在するもんでなくて、必要に応じて異界から呼び寄せたり、ふらりとやって来たりするもんだった。こういう来訪神のことを『マレビト』っていう。その中でも、海からやって来るものは『寄神』と呼ばれる。――例えば、恵比寿様なんかも寄神だな。」
由香は目を瞬かせる。
「恵比寿様って、あの七福神の?」
「エビスってえのは、異民族とか、野蛮人とかって意味。大昔は
つまり恵比寿とは、海の向こうから来る神を総称したものである。
「思うに――平坂神社の主祭神は、元々は大物主でなかったんだ。海の向こうからやって来る、名無しの神様だったんだと思う。何せ、年ごとに呼び寄せられたり、送り返されたりしとったわけだけん。」
「ってことはさ――」と芳賀は言う。「冬至から春分の日までは、神様がおらんってことになるでないだか? その――配神を除いては。」
「そりゃおらんだろうさ。神無月だって、出雲以外、日本中から神様がおらんようになるが? ありゃ、冬になると神様が異世界へ去ってゆくって考え方が変わったもんだ。」
「じゃあ――本当の意味で、一柱の神様もおらんようになるわけだ。」
「そうそう――。旧暦の神無月っていったら、だいたい新暦の十二月くらいになるでないかな? 冬至と考えても、おおよそ間違いはない。実際のところ、新潟の
話が関係のない方向に向かっていたためか、美邦は次のように問うた。
「ところで――この『御忌』というのは、何の意味があるの? 神様の姿を見たら気が触れるとか、眼が潰れるとか――何だか、不穏なことが書いてあるのだけれども。」
「俺もその点は気にかかった。ちょうど全く同じ話が、関東地方にも伝わっとるから。
「みのかりばあさん?」
「十二月八日か、二月八日の夜に現れて、様々な災いをもたらす妖怪だよ。箕借り婆さんが現れる夜には、軒先に篭やザルを立て掛けて、外に一歩も出てはならないらしい。箕借り婆さんは一つ目の妖怪だけん、目の多いものを怖がるんだとか。」
そこまで言い、冬樹は美邦から目を逸らす。
美邦の傾いた左眼が気にかかったからだ。変に気を遣うのも申し訳ないのだが、やはり気にかかってしまう。冬樹は気を取り直して続ける。
「奇妙なことに、兵庫県の西宮神社にも似たやぁな風習がある。
平坂町と全く同じなだね――と幸子は言う。
「ああ。同じ風習は日本のあちこちにある。出雲のカラサデさんとか、伊豆大島の海難法師とか。箕借り婆さんを避けるお守りとしてザルや篭が使われるみたいに、カラサデさんでは
「その――箕借り婆さんも常世の国から来たのかしら?」
美邦からそんな意外な質問を受け、冬樹は考え込む。
「箕借り婆さんが、常世の国から来たという伝承はないな。ただ、常世の国ってのは、何も海の向こうにだけあるんじゃない。古くは、目に見えない神様の国を漠然とそう呼んだらしいから。そういう意味じゃ、常世の国から来たとも解釈できるかもしらん。」
「そう――」
美邦は視線を落とし、どこか寂しそうな顔をする。それが冬樹は奇妙なほど気にかかった。このような表情は、あまり見たくないとさえ思う。
「常世の国について、詳しく知りたかったりする?」
うん――と言い、美邦は小さく首を縦に振る。
「常世の国のことは、詳しくはよく分かってないな。死者の国とか、豊穣や災いの源流とかと言われとるけど。――俺ん家の本棚に、常世について詳しく研究した本があるし、何なら貸さぁか?」
「いいの?」
「ああ――。よかったら、明日にでも持って来るけれども。」
「うん、ありがとう。――そうして。」
美邦はほんの少し嬉しそうな表情となる。それは美邦が転校して来た日に見せた表情と、どことなく似ていた。美邦の顔から憂いがなくなったことに、冬樹自身も安心する。やはり自分は、この表情をどこかで見たことがあるのだと思った。それはあまりにも漠然とした思いで、どこで見たことがあるのかなどは説明もできなかったが。
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