第5話 勇者の務め

「ほんとうに、くだらない」


 黒塗りで、金の装飾が施された馬車の中。白く、柔らかな座席に腰掛け、憂鬱そうに窓の外を眺める空のように青い髪の少女は、吐き捨てるように呟いた。

 深い海のような青い瞳は鋭く、極限まで無駄を削ぎ落とした体。神の手によって丁寧に作り上げられた彫刻めいた美貌を持つ少女は、不機嫌の塊であった。タイトルを付けるなら、女神の苛立ちといったところか。

 日はまだ高く、暖かな気候だというのに、彼女、シュトレ・ヴァルトゥンの周りだけ冬が訪れているようであった。

 触らぬ神に祟りなし。

 あまり触れたくない問題であったが、仕事中ずっとこのままではやり辛いと、彼女の向かいの席に座る騎士、ミュンツェ・アーデルは何気なさを装い彼女の独り言に返答する。


「仕方ない、仕方ない。勇者とその仲間が『これから悪者を退治しにいきますよー』って、喧伝しながら街中を移動すれば、お祭り騒ぎにもなるよ」

「それがくだらないって言ってるのよ。勇者は見世物でもなんでもないの。だというのに、なぜ笑顔を張り付けて、民衆に手を振らなければならないのよ?」


 外に向けていた顔をミュンツェに向け、不機嫌全開の表情を向けてくる。

 人当たりの良い、端正な顔立ちに笑顔を張り付け、やはりそれかとミュンツェは内心ため息を吐く。


 勇者。

 かつて、あらゆる種族の外敵であった魔王を倒したと伝えられる者で、誰もが認める英雄だ。人族にとっては、世界に誇る平和の象徴でもある。

 先代勇者が死去した後、聖剣を受け継ぎ、二代目となったのが子供のようにむすっとしている彼女、シュトレだ。

 二代目であるとしても、その地位に付けるというのは人族にとってはなによりも名誉である。次代の勇者になりたいと望んだ者は、それこそ星の数ほどいた。

 その中から、国王に選ばれたのはシュトレであり、ミュンツェが彼女と出会った当時は、勇者という役目を全うしようと常に気を張っていたほどだ。

 それが今では、勇者の仕事に不満しか持っていないのだから、時間の流れとは残酷である。

 ミュンツェはシュトレを手で制し、落ち着くよう促す。まるで、暴れ馬を諫めるようだ。


「以前にも言ったと思うけど、先代勇者と二代目勇者である貴女に求められている勇者像って、違うでしょ? かつての勇者は魔王を倒すことを望まれた。シュトレは、平和の象徴を望まれた。どうしたって違いは出るよ。けど、平和を求める心は同じなんだから、その過程を嫌っても仕方ないでしょう?」

「なにが平和の象徴よ。私がやっているのは、国民のご機嫌取りに他ならないわ。平和になったことによって生まれた国への不満を、少しでも抑えがたいがための象徴でしかない。平和の象徴どころか、不満のはけ口でしかないのよ」

「はけ口って……国民は皆貴女を慕っているよ。そこに嘘はないでしょう」

「そうね、慕っているわね。実力も伴わない、見目だけは良い私を、ね。そんなもの、劇団の女優となんら変わりはしないわ」

「それを言い出すと、勇者の仲間という立ち位置の私とフロンちゃんも、その枠なのだけれど……」

「呼びました?」


 やたら可愛らしい声を上げ、ミュンツェの隣で大人しく座っていたフロン・ゲッツェは、眩しい笑顔を伴って振り返った。


「呼んだというか、話聞いてた?」

「あんまり。難しいお話しているなーぐらいです」

「そっかー」


 一般的な馬車より広いとはいえ、馬車内である。

 少し寄れば触れそうな距離の会話を聞き流すというのは、それだけ興味がなかったということか。

 ミュンツェは、引き締まったお尻の位置を直しつつ、フロンへと問い掛ける。


「今の勇者とその仲間について。やっぱりフロンちゃんも、現状の立場は不満?」

「そんな不満だなんてとんでもないです!」


 大仰に両手をブンブン振って、彼女は否定する。


「むしろ、楽しいですよ。シュトレ様やミュンツェ様とは違い、平民の私が色々な人達に敬われて、注目されて。手を振ったら『フロン様ー!』って、笑顔で返してくれるからすごく嬉しくなっちゃいますもん」

「確かに。フロンちゃんは楽しそうに、民衆へ対応しているものね」

「はい! 楽しいです!」


 目を背けたくなるほどの輝く笑顔に、ミュンツェは思わず頬が緩む。


「国王が求める勇者像としては、一番フロンちゃんが近そうだねー」


 シュトレが口にしたように、国王が求めているのは国への不満を逸らすための象徴だ。平和な時代に、物理的な力は必要ない。

 その点でいえば、満開の花のような笑顔を浮かべ、誰もが目を惹く容姿を備えた、人当たりも良いフロンは適任だろう。

 本人も見目には特に気を使っており、特に騎士服の改造をおしゃれのためにしているのは彼女ぐらいだろう。もともと騎士服を弄る許可が下りるのは、勇者の仲間であるフロンぐらいというのもあるが。

 白を基調とした騎士服。上着に腰までのコートは然程変わらないが、フリルの付いた丈の短いスカートを履いているのは、メンシュハイトでも彼女ぐらいだ。他の女性騎士には、そもそも短パンか長ズボンかの二択しか許されていない。

 中でも一番驚くのはガーターベルトだ。

 ミュンツェやシュトレも、黒の二―ソックスが落ちないようにガーターベルトを履いているが、ショーツの下だ。見た目重視でガーターベルトをショーツの上に履いている女性騎士など、フロンしかおるまい。

 騎士としてはどうかと思うが、勇者の仲間として国民へのアピールを考えたら、彼女の行動は間違っていない。

 ただ、ちょっとはしたないと思う部分もある。


「でも、スカートだと中、見えちゃわない?」


 ちなみに、女性騎士が短パンか長ズボンなのはそのため。

 ミュンツェもシュトレも暖かい気候のため、現在は短パンを履いており、ニーソと短パンの間でちらりと黒いガーターのベルトが覗いている。

 動き回る職業柄、スカートなどパンツが見えかねないものを履けるわけもない。その辺りどう考えているのかと思っていると、フロンはなんでもないように答えた。


「ああ、これですか?」


 ちょんっと両手でスカートを摘まむと、それだけで内側が覗けてしまいそうだ。

 馬車内はミュンツェ達三人だけしかいないからよいものの、男性の目には毒でしかない健康的な太ももが垣間見える。


「実は、スカートじゃなくてズボンなんですよ。スカートに見えるよう布多めで、ふわふわです。お願いしたら、特注で作ってくれました!」

「なるほどねー。流石に、下着を見せる趣味はないか」

「そういうのは、好きな人だけに、ですよ」

「あら、奥ゆかしくて可愛らしい」

「えへへー」


 照れ臭そうな笑みに、ミュンツェもとろんっとしてしまう。

 どうにも、フロンは人を惹きつけてやまない。特に、彼女の笑顔は魅力的で、同姓であるミュンツェも思わず見惚れてしまうことがある。

 性格も素直で、彼女の先輩としては甘やかしてしまう。

 ほっこりとし、小動物を愛でるように撫でていると、正面から冷たい一撃が飛んできた。


「けど、実力はまだまだよね」

「シュトレ……そういうのは、口にしないほうがいいと思うけど?」


 なんでも素直に気持ちを口にすればいい、というわけではない。

 シュトレの言葉に、しゅんっと落ち込むフロン。


「やっぱり、騎士としては足りませんよね。やっと見習いから騎士になったばかりですし実力もまだまだですし」

「ああもう、沈まない沈まない。大丈夫大丈夫。実力なんて後から付いてくるから。今は、そこの氷の女王様を一緒に支えよう? ね?」

「ちょっと、氷の女王様って、私のことを言っているのかしら?」


 見た者を凍らせてしまう氷精のように、冷たい眼差しを向けてくる女王様を無視する。

 とはいえ、実力が足らないのも仕方がない。

 彼女自身が言う通り、フロンは見習いから卒業した直ぐに、勇者の仲間という大役に選ばれてしまったのだから。

 そうした人選方法が、勇者は飾りなどというシュトレの言を確固たるものとしてしまうわけだ。

 だからといって、勇者とその仲間という存在が国にとって重要な役割なのも間違いではない。特に人族にとっては、国の象徴そのものといってもいいほどの宝だ。

 たとえ飾りといえど、その地位に収まるというだけで、意味もありも益にもなる。

 泊が付くと考えれば、これほど有意義な立場もあるまい。

 ミュンツェにとって必要なのは誰もが認める泊であり、その点でいえば勇者の仲間という立場は最高だ。この立場に収まった時点で、泊になるのだから。

 ――断るに断れなかった、というのもあるけれど。

 そればかりは詮無きことか。

 不思議そうにミュンツェを見つめるフロンは、こてんっと首を傾げる。


「どうかしましたか?」

「んー? どうもしないよー」


 どうもしない。けれど、思う。

 私やシュトレよりも、フロンが一番役目を果たしている。

 本物であれ、飾りであれ、どちらにしても、私は利益のみを望む意地汚い偽物なのかもしれない。

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