第3話 獣人のお姉さん

 レーチェルと別れたヴィーダは、合流した獣人の女性に連れられるまま、商業区にある甘味処に行き着いた。

 店内は、獣人の国である護陽(ごよう)をイメージしており、木材を中心とした和風な作りとなっている。

 床板から柱まで木を使用され、窓はガラスの替わりに和紙という薄い紙が用意られている。和紙は外からの光を全て遮ることなく、店内に柔らかな斜光を招き入れていた。

 ヴィーダ達の席は座敷となっており、畳といわれる床板に靴を脱いで座っている。メンシュハイトでは珍しい文化であり、物珍しいためか店内は人族によって賑わいをみせている。

 木々の香りと、微かな甘味の匂いが店内を漂い、窓から差し込む淡い陽光もあり、人の気持ちを落ち着かせる。だが、それも楽しむ余裕があればこそ、か。

 むすっと、機嫌が悪いという言葉をそのまま描いたようなヴィーダは、板についた正座で、向かいに座る獣人の女性から視線を逸らしている。

 それを、くすり、と小さく笑いを零し、獣人の女性・日隠燈凛(ひがくれともり)は楽し気に見つめていた。

 注文もせず、出された温かいお茶をすすりながら、時が経つ。その間、お互いに話すことはないが、段々と不機嫌小僧の表情が歪んでいった。

 ヴィーダのお茶が冷めきった頃、痺れを切らしたのは無論、彼だった。

 むっつりとしたまま、ぼそりと呟く。


「…………依頼は受けたくないんだが」

「そうなんですか?」

「…………ああ」

「それは困りますね」


 一切困った様子もない燈凛を見て、ヴィーダはむーと唸る。

 日隠燈凛。

 獣人の国である護陽出身の者であり、それを示す証である獣の耳と尻尾がゆらゆらと揺れている。

 全体的に穏やかで、優し気な印象を受ける女性だ。

 透き通る黒曜の瞳は彼女の人柄を表すように淡く、左の目元には小さな泣きほくろ。

 黒寄りの茶色がかった髪は、陽光を浴びることで淡い茶色へと変化する。長さは肩にかかる程度で、髪先は少し内側に丸みを帯びている。

 光の反射によって色味を変える美しい髪の間から覗く左耳には、氷のような六角柱の耳飾りがきらきらと揺れていた。

 服装は、雪結晶の模様が描かれた、薄い水色の着物。落ち着いた印象の着物は、優し気な彼女の雰囲気と合っており、護陽でいうところの大和撫子のようであった。

 容姿の中で特徴的なのは、やはり獣人特有の耳と尻尾だろう。

 髪と同じく陽光を受け、淡い茶色に輝く耳と尻尾は、彼女の気持ちを表すようにぴこぴくゆらゆらと動いている。

 ヴィーダが困っているのを見ているのが楽しいと物語る有様に、彼は悔し気に冷め切ったお茶を飲み干す。

 渋みの増した冷えたお茶で気持ちも落ち着いたのか、口をへの字に変えながらも諦めて話を進める。


「……今回の要件はなんだ?」

「ちょっと待って下さいね。注文を取ってしまうので」


 すみません、と獣人の女性店員に声を掛ける燈凛。出鼻を挫かれたヴィーダは、からかうのが楽しいと伝えてくる彼女の獣耳をじとーっとした目で睨むしかない。

 元気良く返事をした店員は、満面の営業スマイルで注文を取りにきた。


「はーい。ご注文がお決まりですか?」

「はい。あんみつと抹茶のセットを二つずつお願い致します」

「かしこまりました」

「……別にいらないのだが」


 諦め、拗ねた少年の呟きなどあっさりと聞き流し、注文を終えた燈凛は改めて正面に向き直る。


「では…………甘味がくるまで雑談でもしましょうか?」

「そういう燈凛の人をからかうところ本当に嫌い」

「ふふ、冗談ですよ。猫のように毛を逆撫でていたので、落ち着かせようと思ったのですが、失敗しましたか?」

「落ち着かせる気のないからかいに聞こえたが?」

「最近、ヴィーダ君に会う依頼がなかったので、寂しい思いをしておりました。そのせいか、少し羽目を外してしまったかもしれませんね」


 嘘つけいつも会う度同じようにからかってるだろうが。心の中で毒づく。

 依頼というように、彼女はヴィーダにお仕事を持ってくる仲介人のような人だ。ような、というのは彼もその辺りの事情がよくわかっていないからだ。

 ヴィーダと燈凛が出会ったのはかれこれ二年前。現在と変わらず、穏やかな気候だった。

 嫌なことがあり、気持ち的に余裕のない時期。とある魔領(魔物が発生する地域)で、休みも取らず修行に明け暮れていた。

 魔物が発生する危険な領域で、無謀な鍛錬。それでも、この時はそうでもしないと気持ちが落ち着かなかった。

 そんな自殺願望者一歩手前の少年を訪れたのが、燈凛だった。

 彼女は、いまと変わらない笑顔で『貴方に依頼したいお仕事があります』と、のたまったのだ。

 当然、断ろうとしたヴィーダだったが、依頼書を読むだけでもと言われ、仕方なしに受け取ると絶句した。

 なぜか、封書の裏面に『受けなければ殺す』と、彼の師匠である魔女、マノワール・フォンセの名前と共に記されていたからだ。偽物かと疑ったが、書かれた内容も筆跡もマノワール師匠そのまま。

 依頼書を凝視して石像と化した少年に、彼女は楽し気に尋ねてきた。


『ご依頼、受けていただけますでしょうか?』


 以降、燈凛の素性もわからぬまま、依頼を受ける関係が続いている。

 実際、生活する上で仕事は必要であり、払いも悪くはないので、絶対に拒否する理由はない。身元も、マノワール師匠の紹介ならば確かなはずと、ヴィーダは自身を慰めている。

 そうでもしなければ、怪物退治だ異常現象の解明だなど、騎士団が束になっても解決できない依頼なぞやってられない。

 どうせ、今日も面倒な依頼なんだろうと、気持ちが沈む。

 だというのに、ヴィーダが不機嫌になればなるほど、相対的に燈凛の機嫌が良くなる辺り、彼女は加虐趣味でもあるのだろうか。

 いまも燈凛は、拗ねた子供のように机に突っ伏するヴィーダを、微笑ましそうに見守っている。ちらりと、瞳を動かすと、優し気な彼女の眼とぶつかる。


「不貞腐れた情けない男なんぞ眺めて、なにが楽しいんだか」

「楽しいですよ。嫌がってみせてはいても断ることはなく、最後まで付き合って頂けますから。なにより、その年頃にありそうな小生意気さは、私にとっては可愛らしく映って、まるで弟ができたようで嬉しいんです。ぜひ、燈凛お姉ちゃんと呼んでみませんか?」

「絶対、呼ばん」

「それは残念です」


 ヴィーダが断言すると、しゅんと耳と尻尾が項垂れる。

 悲し気にうつむく獣耳を見て、視線を泳がせる。

 気まずい空気が、二人の間を漂う。

 むむむーっと、結局耐え兼ねるのは年若い少年だった。

 彼はため息を吐くと、頬を赤らめ天井を見上げる。


「…………………………………………燈凛………………姉さん」


 小さな小さな呟きに、ぴこんっと両耳が元気良く立ち上がった。


「ヴィーダ君。申し訳ありませんが、聞こえなかったのでもう一度宜しいでしょうか?」


 ぴんっと立った獣耳が聞き逃していないことをしっかりと示している。だが、瞳を輝かせた燈凛は、早く早くと前のめり。

 羞恥で顔を焦がすヴィーダは、その勢いに根負けし、やはり囁くように小さな声で名前を呼ぶ。


「………………燈凛、姉さん」

「もう一度お願いします」

「…………燈凛姉さん」

「もう一度」

「……燈凛姉さん」

「最後に大きな声で」

「燈凛姉さんだって何度も言ってるだろうが!」


 バンッ、と机を両手で叩きつけ、真っ赤な顔で膝立ちをするヴィーダ。

 自身の行動で我に返った時には遅く、周囲の視線は彼に集まり、どこか微笑ましさが含まれていた。

 それに気が付いたヴィーダは、かぁーっとさらに顔を赤らめ、机に両手を付いて俯いてしまう。

 そんな照れた姿がツボだったのだろう。姉さんと呼ばれた女性は、ピンク色のハートを振りまきながら、机越しに弟をぎゅ――――っと胸の中に抱きしめた。


「…………やめろぉ、離せぇ」

「私の弟君は可愛くて仕方ありませんね」


 ぎゅうぎゅうと力強く抱きしめる彼女に、耳まで朱に染めた少年の抗議は届かない。

 布越しではわかりにくいが、想像以上に柔らかくふくよかな胸で顔を覆われ、声を出すことすらままならなくなった。


「このままお仕事を忘れて、連れて帰ってしまいたいほどです」

「…………」


 興奮したお姉さまは気が付かないが、酸欠と発熱によっていまにも死に絶えそうな弟が一人。

 豊満な胸の中で死ねたら幸せ、などという阿呆な考えを持たないヴィーダには、ただただ地獄のようであった。

 餌を与えられた犬そのものの燈凛の暴走を止めたのは、注文したあんみつと抹茶を持ってきた女性の店員さんだった。

 彼女は苦笑を交えながら、机に料理を並べていく。


「お待たせ致しました。あんみつと抹茶セットお二つになります。仲の宜しいご姉弟なんですね?」

「そう見えますか?」


 店員さんのお世辞に、燈凛は我が意を得たりと嬉しそうに対応する。

 気が逸れたことで、ようやく解放されたヴィーダは、大きく深呼吸をして、どうにか生きながらえた。


「死ぬかと」


 羞恥で熱が溜まった体を冷ますため、届いたばかりの抹茶を一気に飲み干す。

 豪快な飲みっぷりに、燈凛は頬に指を添え、くすりと笑みをもらす。


「ふふ、そんな焦って飲まなくてもよいでしょうに。あわてんぼうさんですね」

「…………もう絶対呼ぶものか」


 羞恥に耐え、姉と呼べばこの仕打ち。ヴィーダは心の中で、魔王ですら破れない封印で姉呼びを閉じ込め、永劫口にしないと誓う。

 だが、近い将来、魔王も超えるお姉ちゃんパワーによって見事封印を破られるのを、彼は知る由もない。

 姉呼びが封印されたなど思いもしない燈凛は、あんみつを銀の匙ですくい一口食べる。


「幸せですね」

「そうかよ」


 さんざんヴィーダで楽しみ、味覚すら満たした燈凛は頬を緩めた。

 満たされた彼女の表情を見て、なにも言えなくなってしまったヴィーダは、嘆息して同じようにあんみつを一口。甘い。

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