第四話

 翌六月二日。土曜日。


 この日、朝から浩一さんスケコマシはその姿を寮から消した。


「……すまない、キッチンに居ながら、浩一が出て行くのに気が付かなかった」


「だからぁ、英二ちゃん先輩のせいじゃないですって!!」


「そうですよ馬崎先輩!! 最後の追い込み日だってのに、勝手に外出する浦戸さんがどうかしてるんですよ!! というか、本気で何考えてんだあの人!!」


「何も考えていないんじゃないか。なんにしても、これで、再テストは絶望的だな」


 どんより、と、した空気が、寮内の食堂には満ちていた。

 昨日作ったポトフに手を加えたものだろう、厚めのベーコンが入ったコンソメスープが白い湯気を立ち昇らせている。そんなスープとトーストをそれぞれ前にして、私たちは、朝食すら食べずに寮から出て行った、浩一こうさんについて、あらためて非難の言葉を募らせたのだった。


「だいたい、当事者意識が無さすぎるんだ、あの浩一バカは。馬鹿は死ななくちゃ治らないというが、カゲナシにでも食われでもしない限り、あの性格は治らないんじゃないか」


「ちょっと氷室さん、それは流石に言いすぎ――でもないかも」


「まぁ、火男かなん師匠のおバカっぷりは、今に始まったことではないけど。ここまで酷かったなんて、ちょっとショックですよね」


「……すまない。皆、本当にすまない」


「だから、馬崎さんが謝ることではありません。これは、浩一こうさん自身の問題です」


 まさしく、氷室くんが口にした、当事者意識の欠如、その言葉に尽きるだろう。

 浩一こうさんは、どうして自分が危うい状況――自分の将来を棒に振るかもしれない――にあるというのに、それを直視せずに、享楽的な行動に走るのだろうか。


 それが信じられなくて、ちょっとだけ、いや、かなり嫌な気分になった。

 私の知っている浩一こうさんは、確かにふざけていて、砕けたところはあるけれど、それでも、もう少し、自分の人生に対して真っ正直に生きている、そんな風に思っていた。


 決して、隠れて彼女を作っていたことがショックなのではない。

 彼が、『天眼の衛士』としての役目も使命も、何もかもを放り出して、この現実から逃げ出したということが、私は許せなかったのだ。


 はぁ、と、深いため息が、場に満ちる。


「こうなると、前に先輩が言っていた、『暗部』になるしかないんすかね、浦戸さん」


「連太郎ってば知ってる? 『暗部』って、超絶ブラックな職場で有名で、就職して数年の離職率も相当にヤバいけど、自殺率とかも相当高いんだよ?」


「北陸の『水月亭』にも同じような機関はあるが、どっこいどっこいだな」


「……やはり、すまない!!」


 浩一こうさんのことで、頭もお腹もいっぱいなのだろう。

 謝ってくれるのもそうだが、せっかく作ってくれた馬崎さんの料理に、誰も手を付けないのがなんだか申し訳がなかった。


 きっと、今日も浩一こうさんは、駅前で会っていた女の子と、一緒に楽しい時間を過ごしていることだろう。


 週末である。

 外はしとしとと雨が降っているが、恋人たちの時間には違いない。 

 最近は、屋内で遊べるスポーツ施設も多い。アーケード――ここいらで言えば新京極や寺町通なんか――は、天候なんかも関係ない。


 二人で、きっと楽しい時間を過ごしているのだ。

 そうに違いない。


 いっそ彼女のことを話してしまえば、皆、気が楽になって、朝食に手をつけるのではないだろうか。私はスカートのポケットからスマートフォンを取り出すと、昨日、瀬奈姉から送られてきた、写真を改めて見直した。


 ファストフードの一席。

 そこに座って深刻そうな顔をする女の子。

 そして、そんな女の子を相手に、真面目な顔をして向き合っている浩一こうさん。


 ……待って。


「何か、おかしい」


 瀬奈姉さんから、突然この写真を送り付けられたというショックもあり、すっかりと意識が向いていなかったけれど、この写真、どうにも妙なところがある。


 いや、というか、そもそもとしてこの二人の表情は、楽しいカップルの会話という感じではない。何か、やんごとない相談を受けている、そういう状況のものだ。

 おまけに、今更気が付いたが。


 浩一こうさんの前に座っている女の子は、過日、私たちが退治した、青林女学院の生徒会長――彼女が着ていたのと同じ制服を着ている。

 つまり彼女は、青林女学院の生徒、ということになる。


 どうしてそんな相手と、浩一こうさんは会っているのだろうか。

 頭の中で、そんな疑問がふと湧き上がって来た。


 違うんじゃないか。


 浩一こうさんは、自分の運命から逃げたんじゃない。

 逃げてはいけない運命を前に、今、誰にも告げずに一人で立ち向かおうとしているんじゃないだろうか、と。


「……あれ、ちょっと、なに見てるんですか、お姉さま?」


「香奈ちゃん?」


「うわっ、なにそれ!! ちょっと、みんな、火男かなん師匠が女の子と会ってる!!」


 スマートフォンを覗き込んだまま、静止していた私に気が付いて、香奈ちゃんがそっとその画面を覗きに来た。

 あまりいい行動とは言うことはできない。


 けれども。


「あれ、けどその女の子。たしか、ボランティアに参加していた、柳原ちゃんだ」


「柳原さん?」


「うん。一歳年上のお姉さんが、生徒会の役員じゃないけどお手伝いとかをやってて、さらにそのお手伝いでボランティアに参加したって言ってました。偉いですよね、お姉さんのお手伝いするなんて。よっぽど仲がよくないと考えられないですよ」


 青林女学院の生徒会。

 その言葉を聞いた瞬間に、私の中で、ぷっつりと、切れてしまった何かがまた、再び繋がって動き出したような、そんな感覚に体が戦慄いた。


 既に、御陵坂学園の諜報部の報告により、青林女学院の生徒会メンバーの多くが、カゲナシであったということが判明している。


 全てあの夜、片付けたものだとばかり思っていたが、もしかすると――。


「その生徒会のお手伝いしていたお姉さんっていうのは?」


「ほへ? どういう意味です、お姉さま?」


「あの青林女学園の生徒会長と戦った夜、その、柳原さんのお姉さんは、カゲナシ化した人たちのリストに含まれていたの?」


 そんなの、いきなり聞かれても、分かる訳ないじゃないですか、と、香奈ちゃんが半泣きになって私に言う。

 そうだ、そんなことを香奈ちゃんに聞いたところで、的確な返事が来るはずない。


 それを聞くべき人間は、もっと他に居る。

 また、もし私が仮定したことが事実だったとしたならば。


 浩一こうさんは、きっと何をおいても、その朱柄の槍を手にして、街に繰り出すことだろう。

 助けを求めてきた、乙女の手を握り返すために、駆け付けることだろう。


 埒外漢、彼氏にするにはノーサンキュー、女子から散々な謂れような浩一こうさん。

 だけれども。彼の根っこの所には、女性や弱者に対する、真摯なまでの思いやりがあることを、私はよく知っている。


 だって、何年もの年月を、一緒に過ごして来たのだから。

 彼の


 すぐさま、私はこういう時に頼りになる、氷室くんに視線を向けた。


「氷室くん。『天眼の衛士』のデータベースにアクセスして、例の事件の被害者リストを確認してちょうだい」


「……分かった。どれくらいで済ませればいい」


「すぐに。それと、香奈ちゃん、高木くん、それから馬崎さん」


「はい!!」


「なんですか先輩」


「……何かあるんだな、天崎?」


 直感で動くのはどうかと思う。

 まだ、氷室くんが確認しない限り、動かない方がいいようにも思う。

 けれど――。


 浩一こうさんが無茶をしようとしているのに、それを見過ごすことなんてできない。


「夜ではないですが、出動します。各自、武器の用意をしてください」

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