第三話
しかし、そんなあり得ないだろうという予想を、どうにも裏切るような事態が起きた。
「美紀、これはいったいどういことです!!」
「どういうことって……なんの話ですか、瀬奈姉?」
「
そう、電話がかかって来たのは、香奈ちゃんが、
一向に帰ってくる気配のない
久しぶりに、瀬奈姉の言っている意味が分からなかった。
いや、遠回しな言い方が多い瀬奈姉だが、これは、直球なのに理解が追い付かない。
誰が、駅前で、誰と一緒に居るって。
くらくらと頭が割れるように痛んだ。
そうこうしているうちに、電話が一方的に切られ、次に、メールで写真が送られてくる。
そこには確かに見覚えのある男性と、少し、暗い顔色をした白いブレザーを着た女の子が、二人掛けのテーブルに膝をつき合わせて、座っている光景が映っていた。
ぷつり、と、頭の奥で何かが切れる音がしたような気がした。
それと同時に、ただいまぁ、と、なんだか間延びした声が寮内に響き渡った。
……どうやら、スケコマシ、の、お帰りのようである。
「いやぁ、こっちの寮になってから、寮監の見回りがなくって気が楽だよなぁ。お、いい匂い。馬崎、今日の夕食はなに作ってんの?」
スマートフォンを握りしめたまま、私は、ふらりふらりと、自室を出ると、そのままその声のする方へと向かって近づいて行った。
写真の中には、ファストフード店でハンバーガーを食べている
なのに、まだお腹が空いているというのだろうか。
本当に食い意地の悪い男である。
エントランスのソファーにどっかりと背中を預けて、まるで何事もなかったかのような顔をしてくつろいでいる
そんな彼の背後に立つと、私は無言のオーラを彼に向かって振りかけた。
「あれっ? お嬢、どうかしました? なんか今日はご機嫌ななめなような感じが」
「自分の胸に、それは聞いてみたらどうなんですか?」
「自分の胸? はぁ、そんなことを言われても、俺は男だから、そんな言うほど豊満なのはついてないしなぁ……」
そう言って自分で自分の胸をもみしだく
こっちがどれだけ、彼のことを心配しているのか、そして、していたのか、まるで分かっていないその様子に、思わず、私は彼が座るソファーの足を蹴り上げていた。
揺れるソファー。
それと同時に、つるりとその革張りのソファーの上を滑って、床へと落ちる
きょとんとした顔がこちらを見ていた。
そこに私は、自分が出来る限りの、ありったけの侮蔑の感情を詰め込んで、睨みを利かせてみせたのだった。
「えっ、お嬢? なんでそんな怒ってるんですか?」
「再テストで赤点を取らないように、放課後はみっちりと勉強する。そういう約束をしていましたよね?」
「……あっ、あぁ、あぁそれね。いやぁ、まぁ、けど、せっかくテストも終わったことだし。少し骨休めがしたい的な?」
「テスト期間にそれは充分したから、今に至ってるんじゃないんですか」
なんだよ、今日は妙に意地悪だなぁ、と、ぶぅ垂れる
それでも何か、そうした理由があるのかもしれない。
一応、長らく一緒に生活を共にし、また、縛影術の手ほどきをしてもらった、師である彼のことを信頼したいという気持ちが、私の中にも少なからずあった。
そんな縋るような思いで、私は、
「どこ行っていたんですか。皆、心配していたんですよ」
「えっ、あぁ……。悪い、そりゃ、心配をかけた」
「そう思うなら、何処に行っていたか、何をしていたか、話してくれますよね」
果たして、駅前のファストフード店で、女性と密会していたと、彼は素直に認めるだろうか。また、その理由として、納得できる言葉を言ってくれるだろうか。
そんな気持ちで、私は、彼が次の言葉を発するのをしばし待った。
しかし、彼から返って来たのは――。
「えー、あー、いやー。駅からちょっと行った所にあるレンタルショップが、DVDレンタルのセールをしていてさぁ。ちょっと、面白いDVDがないかなぁと」
嘘だった。
私たちが、自分のやっていることを知らないと高を括って、
平然と、それでいて、まったく悪びれもせず。
ろくでもないろくでもないとは、前々から思っていたけれど。
まさか、ここまでのものとはちょっと予想外だった。
怒りも通り越して、呆れが私の心の中に湧き出してくるのを感じた。
失望。
底も見えないどろどろとした負の感情に心の中が満たされる。
目の前の、頼りにしていた兄貴分へと湧き上がる、どうしようもない苛立ちに、私は耐えかねて、またソファーの脚を蹴った。
「ちょっ、ちょっとちょっと!! お嬢、いったいどうしたんだよ!? いつものお嬢らしくないぜ!! 勉強サボったのは悪かったよ、謝るよ!! けど、そんな風に怒らなくってもいいだろう!!」
「煩い!!
どうしてこんなに感情的になっているのか、自分でもよくわからなかった。
心のどこかで、
いや、それだけじゃない。
そんな思いが、私の中にあったのだと思う。
けれど、彼は現実に裏切って見せた。
それもこんな状況下――自分の将来がかかっていて、それを心配して、文学部の皆が、協力して救おうとしているその最中――で、だ。
深い信頼は、裏切られれば、深い拒絶へと変わる。
「お、お嬢?」
「もう知らない!!
「ひでぇ!? というか、お嬢のちょい古めの語彙力がちょっと心配なんですけど!?」
「他人の心配より、自分の心配をしたらどうなのよ!! とにかく!! そんなに勉強よりもしたいことがあるのなら、勝手にすればいいわ!!」
私はもう知らないから。
そう言い切ると、私は彼に背中を向けて、再び自分の寮室へと戻ったのだった。
お嬢、待ってくれ、と、叫ぶ
なによ。
なによなによ。
なによなによなによ。
「好きな女の子が出来たならできたで、紹介してくれたっていいじゃない。なんで隠すのよ、それならそれで、それを踏まえて勉強の応援をしてあげるのに」
その日は結局、馬崎さんが、私の部屋まで夕食を運んできてくれた。
彼が作ってくれたウィンナーとキャベツがたっぷりと入ったポトフは温かかったのだけれど、どうして、どれだけ食べても、砂を噛んでいるような味しかしなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます