第五話
昔の話。
私がまだ『天眼の衛士』のひよこもひよこだった頃の話だ。
その頃、既に瀬奈姉は『天眼の衛士』として、その才覚をいかんなく発揮し、大人に混じって、カゲナシを狩る大立ち回りを見せていた。
誰もが瀬奈姉の実力を認めていた。
同時に、『天崎』の血の優秀さを、まことしやかに語っていた。
私にもその血が流れているのだ。
カゲナシたちを追い、駆逐し、人々の夜を守る力が、私の中にも流れているのだ。
だからその使命を果たさなければならない。
力に見合う仕事をしなくてはならない。
そうプレッシャーに感じれば感じるほど、私の『天眼の衛士』としての修行は、困難を極めた。
優秀な姉たちと、比べられるのが辛かった。
同じ血が流れているのに、力を発揮できな自分が歯がゆかった。
多くの教え上手と呼ばれる、火系の影縛術の使い手たちが、私から匙を投げる中、そっと私に手を差し伸べてくれたのが――当時、瀬奈姉と同じく『天眼の衛士』としての素養を高く評価されていた、
「大丈夫。お嬢なら、きっと優秀な『天眼の衛士』になれる。ゆっくり、自分のペースで、実力をつけていけばいいんだ」
そう言ってくれた
師弟の間柄になる前からそうだ。
そんな
ただの
そう強く思った。
阪急桂駅。
大阪方面へと向かうホームでスマートフォンが鳴動する。
それは、寮に残してきた氷室くんからだった。
「リストの検証が済んだ。あの夜、僕たちが討伐したカゲナシ化した人間の中に、彼女の名前はなかった」
「分かった」
「住所は長岡京。ちょうど、長岡天神の辺りだ。やりあってるとするなら、きっと、その辺りに違いない。僕もすぐにタクシーを捕まえてそちらに合流する」
「お願いします」
そう言うと、私は電話を切った。
まるでそれを見計らったように梅田行きの特急がホームに滑り込んでくる。ごうごうと、音を立てるそれを背中にしながら、私は、私を信じてついて来てくれた、若き『天眼の衛士』たちに向かって、ことの次第を説明した。
「これより、カゲナシの討伐に向かいます。場所は長岡京、長岡天神」
「……どういうことだ?」
「青林学園の生徒会長との戦闘。その際に、青林学園のカゲナシは、全て討伐したと思っていたのですが、どうやら、生き残りが居たようです」
「本当ですか!?」
「マジかよ!!」
「おそらく、ですが。そして、それについての相談を、
悪目立ちする人である。
また、妙な所で社交的な面もある。
きっと街でたまたま出会って、彼女に声をかけられたのだろう。
それで、放っておけなくなってしまったのは、実に
まったく。
昔から、困った女の子を放っておけないんだから。
そんな奇抜な恰好さえしていなければ、あと、もう少し落ち着いた性格をしていたら、女の子が放っておかないに違いないのに。
馬鹿、本当に馬鹿。
こういう時くらい、私たちのことを頼ってくれたっていいじゃないの。仲間でしょう、私たちは。若き『天眼の衛士』にして、御陵坂学園文学部、そして、同じ屋根の下で暮らしている、そういう仲じゃない。
なのに、妙な所でよそよそしいのよ、昔から。
「……浩一がそんなことを抱え込んでいたなんて」
「けどけど、もしかしたら、柳原ちゃんがカゲナシって線も、無きにしも非ずっていうか。もしそれが本当なら、まんまと
「ったく、何やってんだよ、あの人はよぉ!! 一言くらい、相談してくれてもいいじゃないか――格好つけやがって!!」
「……だからこそ、こうして皆で助けに行くんじゃない」
阪急電車の扉が開く。
すし詰めのその車両の中に乗り込むと、特急にして、一駅、私たちは長岡京駅へと向かった。
◇ ◇ ◇ ◇
はたして氷室くんが予想した通り。
長岡天神はその境内の森の奥にて、
属性は、火系の影縛術の使い手である、
水蜘蛛――透明な水の体を持ったそれは、木々の合間を悠々と飛び、火系の『天眼の衛士』の中でも好戦的かつ実力派な、『
そして
どうやら、予感は的中していたらしい。
「馬崎さん!!」
「……任せてくれ!!」
火は水に弱く、水は土に弱い。
まさしく、水蜘蛛の鎌のような手が、浩一さんの体を襲おうとした瞬間、馬崎さんが展開した、幾重もの土壁が、水蜘蛛の前へと展開された。
完全にカウンターが決まった。
水蜘蛛の手は、土壁にしたたかに打ち付けられる。と、同時に、そのいくらかが、土に吸収されて目減りする。
キィアァ、と、異形のそれが叫び声を上げるのを眺めて、ぽかんと、
「……こいつは、いったい」
「いったいじゃありません、
「……お嬢!?」
私が声をかけるや、すぐさまその驚きの表情を、こちらに向けた
どうしてここに、と、分かり切ったようなことを聞く彼に、説明は後ですと言いつけて、すぐさま私たちはその助太刀に入った。
と、言っても。
既に趨勢は決したようなものだ。
これだけ見事にカウンターを決められて、属性不利の土壁にしたたかに自分の体を打ち付けたのだ。ほぼ、水蜘蛛は瀕死と言っていいだろう。
更に――。
「……俺の友人を、よくもいたぶってくれたな。このお代は高くつくぞ」
怒り荒ぶる馬崎さんを、そうそう簡単に止めれるものではない。
彼は、再び体勢を立て直そうとしている、水蜘蛛の腹の中へと潜り込むと、ナックルグローブを鈍く光らせた。
深緑のパーカーが新緑の中に、ありありと映える。
「――開、
連打、連打、また、連打。
水蜘蛛の体に、息吐く間もなく、雨あられの拳を繰り出す。その一撃には、土の縛影術の気が練り込まれており、当たった傍から、その水で出来た体が、闇へと還っていく。
「イァ、イアァアァアアァアア!!!!」
絶叫、苦悶、阿鼻叫喚。
神社の境内にはいささか不釣り合いな声が木霊したかと思うと、すぐにそれは六月の暗い空の中に吸い込まれて消えた。
はたして、属性有利の土系影縛術により、いとも簡単に水蜘蛛は塵と化したのだった。
馬崎さんが宣言した通りだ。彼の友人を苦しめたお代は、相当、高くついた。
ほっ、と、息を吐いたのも束の間、どういうことだ、と、
それはこっちの台詞です、と、返すと、バツが悪そうに彼は黙った。
「どうして逃がしたカゲナシが居るのを知っていて、それを私たちに相談しなかったんですか!! こうして、ギリギリ間に合ったからよかったものの!! もし、間に合わなかったら、どうなっていたことか!!」
「いや、まぁ、その――まぁ、カゲナシの一体くらいなら、お嬢たちの手を煩わすのもどうかと思ってさ。何も相談しなかったのは、悪かったと」
「嘘!! どうせ、家族がカゲナシ化したのに同情して、居ても立っても居られなかっただけでしょ!!」
え、いやぁ、どうかな、と、はぐらかす
けれどもその逸らした目が、いつになく悲しげなのを見て確信する。
私が言った通り、自分の過去と、柳原さんの今を重ねて、勝手に体が動いてしまったのだということに。
いつになくボロボロの姿の
そんな彼の肩に私は手をかける。
私よりも、頭一個は大きい、背の高い彼だ。けれど、私はなんとか腕を伸ばして、彼の肩に手をかけると、ぐいとこちらにその顔を引き寄せた。
いい、と、前置いて彼に話しかける。
状況が飲み込めないのか、えっ、えっ、と、驚いて声を上げる
「
「……あ、あぁ。そうだな」
「そして、そのリーダーはこの私です。その私の許可もなく、勝手に独断専行、カゲナシ狩りに出るなんて、それはどういう了見ですか!!」
「いや、それは」
「私たちのことを巻き込みたくなかった、私たちを傷つけたくなかった!! きっとそういうことでしょう、知ってるんですよ、こっちは!!」
いったい、何年一緒に生活してきているというのだろう。
貴方のそういう優しい所は、誰よりも、私は理解しているつもりだ。
お嬢、と、私に向かって、なんだか湿っぽい声を
そんな彼の頭に、えい、と、頭突きを喰らわすと、その湿っぽい空気を、私は強制的に終わらせたのだった。
「けれどももう、私は、いえ、私たちは貴方に守られるだけの存在ではありません!! こうして助け合って、一緒に戦っていく仲間ではないですか!!」
「……そう、だな」
「そうだなぁ?」
「あぁ、はい、そうです。その通りです。すません、勘違いしてました!!」
どうか許してください、と、慌てた様子で陳謝る
やれやれ、ようやくちゃんと反省してくれたらしい。
はぁ、と、溜息を吐き出すと、私は彼から手を放して、距離を取った。
「いいですか、
「わ、分かったよ」
「分かりました、でしょう?」
「なんだよ、おっかないな、昨日からお嬢は。何か悪いモノでも食ったんじゃないのか? ちょっと、医者行って見て貰った方がいいんじゃないか?」
誰のせいだと思っているんですか。
もう一度、頭突きをくらわしてやろうかと、歩み寄った私を、ふと、彼は抱き留めた。
不意打ち。そのまま――いつだったか、私が上手く影縛術を使いこなせず、涙でくれていた時のように、彼は優しく私を抱くと、ぽんと、その背中を叩くのだった。
「ごめんな。お嬢。俺が間違ってたよ」
「……馬鹿。
「いつまでも、守るべき存在だと思っていたけど、そうじゃなかったんだな。いつの間にか、こんなにも頼りがいがあるようになってたなんて。知らなかったよ」
それはいつだって、貴方が私の隣に居てくれたからだ。
お互いさま、という奴じゃないのよ。
ほんと、
けど、そんな
こうして人前だというのに、はばからず胸の中に身を預けることができる相手なんて、彼以外に、いないのだから。
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