第四話

「美紀、引っ越しの方は、つつがなく終わりましたか?」


「はい。いろいろと、問題はありましたが。というか、まだ、問題は現在進行形で進行中ですが」


火男かなん水月亭氷柱すいげつていつららですね。あの二人の仲を取り持つのも、貴方の役目の一つです。はげみなさい」


 二人の不仲ぶりに、音を上げそうになった私に対して、牽制するように言う瀬奈姉。

 流石は京都守護役にして『大太郎亭』一門の棟梁。実の妹に対しても手厳しい。


 そして、更にうんざりとするような話を、これから切り出そうとしているのだろう。


 そう思うと、聞く前からついつい身構えてしまった。


 皆の居る前で、こんな話をする訳にもいかない。

 一足早く――申し訳ないことに、お皿の中身を半分以上残して――食事を終えた私は、自室に駆け足で戻ると瀬奈姉に折り返して電話をした。


 忙しい姉だ。いつ捕まるとも分からない。

 きっと電話についても、忙しい学業と仕事の合間を縫って、かけてきてくれたに違いなかった。

 そして、その内容も、わざわざ電話を使う辺り、緊急を要するものに違いなかった。


 さっそく、一人前の戦力単位として格上げされた、若き『天眼の衛士』たちが活躍する場面が現れた――そう考えて間違いないだろう。

 そう考えてしまうと、自然、スマートフォンを握りしめる手に力が入った。


 そんな力みを察したように、電話の向こうで、ふふふ、と、瀬奈姉が唐突に笑った。


「心配して電話をしただけですよ、何をそんなにかしこまっているのです」


「……へ?」


「なんて、冗談です。仕事です、美紀。貴方たち、若き『天眼の衛士』たちにしか行うことができない、重要な任務になります」


 姉のこちらの心根を見透かすような言動に、目をぱちくりとさせてしまう。

 面と向かっての話でなかったとは思う。


 しかし、あの真面目な瀬奈姉さんが、冗談なんて言うこともあるのか。

 そんなことを思いながらも、耳から流れてくる情報に、今は神経を尖らせた。


「私立青林女学院については知っていますね」


「太秦の方にある女学院でしたよね。御陵坂学園うちと同じで、中高一貫のお嬢様学校」


「そうです」


「それがいったいどうしたというのでしょう」


 言わなければ分かりませんか、と、瀬奈姉が、少し勿体つけた感じに言う。

 もちろん、言わなくても分かる部分は多々ある。


 こうして瀬奈姉――『大太郎亭天目』が、自ら指令を出しているのだ。

 カゲナシに関する問題が起きている。これはまず間違いない。


 問題は、それがいったいどういう問題なのか、分からないという所だ。


「例の、土偶のカゲナシについて、身元を調査しているうちに、ある可能性が見えてきました」


「高木くんの友人だった、浦津久美さんでしたっけ」


 彼女は、市内にある県立高校の普通科に通う生徒だった。

 バンド活動こそしているが、中学校までの成績は優秀。

 入学してさっそく、クラス委員として選出され、四月の前半は、その業務でいろいろと振り回されていた――と、以前高木くんから聞いた覚えがある。


 話を聞いた限りの様子ではあるが、彼女は春先まで――高校入学までの間は、カゲナシになった兆候は感じられなかった。


「彼女のカゲナシ化の原因について、調査の結果ある可能性が見えてきました」


「……本当ですか?」


「彼女はクラス委員に選出され、四月初旬に行われた、京都市内の学生合同で行われている学生ボランティアに参加しています。その帰りから、どうも、ご家族に話を聞く限り、様子がおかしくなったとのこと」


 京都府警内にも、『天眼の衛士』の息がかかった刑事や警察官は多い。

 彼らは、何でもない失踪事件の調査を装って、カゲナシの動向などを調査している。また、市井に紛れ込み情報を収集している『天眼の衛士』や、力を持たずとも情報を提供してくれる一般人の協力者も多い。


 瀬奈姉のところまで情報が上がってきているということは、かなりの確度の情報なのだろう。


 なるほど、話のさわりを聞くだけでも、その学生ボランティアというのの調査に、私たち若い『天眼の衛士』がうってつけだというのは分かる。

 ただ――。


「それが青林女学院といったいなんの関係が?」


「ボランティアの主幹をしていたのが、青林女学院の生徒会なのです」


「その中に、カゲナシが居るかもしれない、と、疑っておられるのですね」


 おそらく、と、瀬奈姉は落ち着いた声色で言った。

 ふむ。


 事実として分かっているのは、そのボランティアで何かがあったということだけのようだ。そこから先、誰が、本当の浦津久美を襲う機会を用意し、彼女をカゲナシと入れ替わらせたのか、そこまでは分からない――ということらしい。


 なんにしても、もう少し、近い距離での接触が必要になってくる。

 もう、言われなくても、次に私たちがやらなくてはならないことは見えていた。


「美紀。今週末のGWに、また、青林女学院主催でのボランティアが開催されます」


「はい」


「御陵坂学園の生徒会執行部にも話は来ていたのですが、人員が集まらないということで話を断っていました。そこで、貴方たちの出番と言うことです」


「文学部が、そこに名乗りを上げて、急遽参加するということですね」


 間に合うのですか、と、尋ねると、間に合わせます、と、瀬奈姉。

 きっと理事長やら生徒会長やらを顎で使って、無理くりにでも話を通させるのだろう。

 なんと言っても、瀬奈姉もまた、元、御陵坂学園うちの生徒であり、過去に生徒会長を務めていた人間である。


 卒業から三年が経ったが、未だに、その頃の人脈は生きている。

 なんとかしてくれるだろう。


 ただ、学園のことをまるっきり、姉に任せてしまうというのが、なんとも情けない。

 こういうのは、本来、御陵坂学園に籍を置いている私がするべき仕事ではないのか。


「また、何か弱気を起こしていますね、美紀」


「……え!? あ、はい。すみません、瀬奈姉」


「貴方のそういう、うじうじとした所は、あまり見ていて気持ちの良いものではありません。もはや、御陵坂学園の若き『天眼の衛士』は、立派な戦力として内外に認知されています。そのリーダーとして、もう少し、自覚と自信を持ちなさい」


「……そう、言われても」


「でなければ、貴方を御陵坂学園の『天眼の衛士』のリーダーとして、推挙した私の顔をもたたないというもの」


 そんな言い方って、と、少し憂鬱な気分になる。

 瀬奈姉にとって私は、自分の力を誇示するための道具に過ぎないということだろうか。


 と、そんな私の耳元で、また、瀬奈姉の笑い声が聞こえる。


「冗談。ですよ。今度は本当に」


「……瀬奈姉」


「姉として、私は貴方のことを信頼しています。頑張りなさい、美紀。貴方ならば、きっと若き『天眼の衛士』たちをまとめることができます」


 なにせ、あの問題児の火男かなんが、貴方にべったりなのですから、と、また笑いを堪えるような感じで瀬奈姉は言った。

 浩一こうさんは、確かにいろいろと私の世話を焼いてくれるが。

 それがいったい私のリーダーとしての資質に、なんの影響があるというのだろう。


「放っておけない、そういう魅力が貴方にはある、と言うことですよ、美紀。もっと、自分のことを客観視してみなさい」


「……そうでしょうか」


「まぁ、そういう控えめな所も、ある意味では、好かれる要因なのかも知れませんが」


 そんなよく分からない言葉を残すと、瀬奈姉は、では用事はこれでと私に言い放って電話を切った。


 やれやれ。

 それにしても、女学院との合同ボランティア、か。


「……男子学生が多いけれど、問題にならないのかしら」


 ふと、そんなことを気にしてしまった。

 問題に考える所が違う気がする。問題はカゲナシの存在の有無の確認だ。

 ボランティアの帰り道にたまたま襲われたなら話は通じるが――。


 もし、青林女学院がこの一件を裏で操っているとなると、話はまた変わってくる。

 背筋がぞっとする感覚に襲われた。

 まさかとは思うが、青林女学院内の生徒たちの多くが、カゲナシの餌食になっているということであれば。


「これは大変な話になるわね」

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