第五話
食堂に戻ると、既に皆は食事を終えていた。
がらんとした食堂の間中に、私が残していったパスタが、ラップをかけて残してある。
きっと馬崎さんがそうしておいてくれたのだろう。
瀬奈姉との話が終わったら、レンジで温めて食べろ、ということに違いない。
ありがたいなと思いつつ、私はそれを手にしてキッチンへと戻った。
その時――。
「話は終わったのか?」
後ろから不意に声をかけられて、私は思わず手にしていたパスタの皿を落とした。
何をやっているんだ、と、背中に浴びせかけられる冷たい罵倒で、私は、振り返るまでもなく、その言葉の主が誰であるか気が付いた。
「氷室くん」
「まったく。そんなそそっかしいことでは困るな、天崎。お前は、僕たち御陵坂学園の『天眼の衛士』のリーダーだろう。なのに、そんなぼんやりとしていてどうする」
「……ごめん」
はぁ、と、氷室くんが、面倒くさそうに溜息を吐き出したのが聞こえた。
そんな態度をとることもないだろう、と、そこはかとなく傷ついた。
どうして彼ってば、いつもこう冷たいのだろうか。
同級生なのだし、もう少し、打ち解けてくれてもいいような気がする。
気が付けば、いつも本ばかり読んでいるし。
文学部だから本を読むのは当たり前かもしれないけれど、もう少し、私たちのことに目を向けてくれてもいいんじゃないだろうか。
なんて、そんなことを思うのは、やはり筋違いだろうか。
床に落ちて、割れてしまった皿とスパゲティを眺める。
ぼんやりとしていると、しょうがないな、と、いつの間にか私の隣に立っていた、氷室くんが呟いた。
今日はその手に、文庫本を持ってはいない。
代わりに、塵取りと箒を手にして、彼は私を押しのけるようにして、タイルの床の上に散らばっている、パスタの前へと歩み出た。
「疲れているんだろう、休んでいろ。掃除は僕がやる」
「……え?」
「どうせ『
ほら、早く、食堂のテーブルにでも戻っていろ。
そう言って、いつもの不機嫌で冷徹な視線を向けて、氷室くんは私を睨んできた。
どうしてだろう。
そんないつもの憮然とした表情なのに、向けられて悪い気はしなかった。
心配してくれているのだろうか。
だとしたら、なんてぶっきらぼうな心配の仕方なのだろう。
これが彼なりの私への好意なのだと感じてしまうと、その言葉に逆らう気にもなれず、私は、言われるままに食堂のテーブルへと戻った。
現実問題として、ちょっと落ち着きたかった。
テーブルに戻って現状を少し整理する。
瀬奈姉の話によれば、例の、青林女学院主催による学生ボランティア活動は、五月五日に行われると言う。それまでに、文学部としてはそれに参加するための準備をしなくてはいけない。
また、万が一にも、青林女学院内にカゲナシが居た場合、それと戦うだけの備えも必要になってくる。
私の
しかし、高木くんの刀や、
というか、高木くんと氷室くんはともかくとして、
二人はちょっと、ボランティアって言葉があまりしっくりとこない面相をしている。
なんといってもお嬢様学校の青林女学院と、その声によって集まった学校だ。女生徒が多いのは想像に難くない。
そんなところに、あの二人の猛獣を解き放って、騒ぎにならなければいいのだが。
「まぁ、馬崎さんは紳士だから、話せばきっと分かってもらえるとは思うけど。問題は
女性にも意外と容赦のない対応をする
万が一にも、失礼なことをしないでくれるといいのだけれど。
いやいや自分の影縛術の師匠を疑ってどうするのか、と、かぶりを振ってみる。
しかし、ちょっとした諍いから、口喧嘩をはじめ、周りを怯えさせる
……どうしよう、かしら。
はぁ、というため息が、ふと、物音にかき消された。
じゅう、と、何かが焦げる音だ。
同時に鼻先を、焦げ臭い匂いがくすぐる。
これはいったい、どうしたんだろう。
「あぁ、くそっ!! どうして米を炒めるだけなのに、こんな焦げつくんだ!? 火の加減が間違っているのか――あぁ、これだから火は嫌なんだよ!!」
「……氷室くん? 何をしているの?」
ふと見ると、なぜか氷室くんがキッチンに立ち、中華鍋を手に悪戦苦闘していた。
本当に苦戦中らしく、鍋からは出るはずのない、黒い煙が立ち込めている。
これ、まずいんじゃないかな。
すぐに私はキッチンへと駆け込む。
そして、火が燃え移り、炒めるどころか、直火焼きとなったお米を見て、ひっと悲鳴を上げてしまった。
すぐさま、どうしていいか分からないという感じに、中華鍋を握りしめている氷室くんの前に割り込んで、私はコンロの火を消した。はぁ、と、また、溜息。今日はもう、五月分の幸せを全部逃すような勢いで、溜息を吐き出しているような気がする。
それはさておき。
「氷室くん!! なにやってるの!! もう少しで火事になるところよ!!」
私はどうしてこんなことをしたのかと、氷室くんに少し強い口調で言った。
寮長として、リーダーとして、彼が危ない行動を取ったのであれば、それをいさめる必要がある。そう感じたからだ。
もちろん普段なにかとお世話になっている氷室くんだ。
わざわざ気比学園から転校までして、この御陵坂学園に来てくれた彼に、そんなことを言うのは正直に心苦しかった。
けれども、火事など起こされてはたまったものではない。
みんなの命がかかったことだ。
私の問いに対して、氷室くんは少しだけ面食らったあと――。
「別に、チャーハンでも作ろうかな、と、思っただけだ」
「……チャーハン?」
思いがけない言葉と、思いがけないバツの悪い表情をして、私からついと顔ごと視線を逸らしたのだった。
なんだろう、チャーハンって。
そんな夜食とかよく食べるタイプにも、思えないのだけれど、氷室くんって。
というか、こうしてお米を焦がしている時点で、料理が得意じゃないのは明らかだよね。
なのに、なんでそんなものを作ろうとしたのか。
「別に、夜食を食べるのはいいけれど、周りに迷惑だけはかけないようにして。今回は私がいたから火事になる前に止められたけど、もしあのままだったら、入寮初日で火事になっていたわ。お願いだから、それだけは約束してくれるかな?」
「……ふん」
「氷室くん」
「分かったよ。もう余計なことはしない」
余計なこと、って。
それはいったいどういう意味なんだろうか。
彼の言葉の真意を測りかねている私の前で、焦げた中華鍋をシンクの中に放り込む。べこり、と、音を立てるシンクの横を、興味なさげに通り抜けると、氷室くんはキッチンを出て、そのまま食堂からも出て行こうとした。
なんだろう、ちょっと、感じが悪い。
というか、後味が悪い。
氷室くんの辛辣さは今に始まったことではないけれど、こんな風に、悪態を吐いて出て行くなんてのは、ちょっと初めてだ。
注意の仕方を間違ったかもしれない。
リカバリしようと思って、とっさに、待ってよ、と、私は彼の背中に声をかけた。
「お腹が空いてるなら、私も何か食べようと思ってたところだから。チャーハンでよければ、二人前、作るよ?」
「……それじゃ意味がないだろう」
足は止めてくれた。けれど、それだけ言い残すと、氷室くんは食堂から出て行った。
もう五月分は使い切ったと思った溜息が、また、口を吐いた。
憂鬱だ。
こんな調子で、これからの寮生活、本当にやっていけるのだろうか。
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