第一章 天眼の衛士
第一話
平成三十年四月三十日。晴れ。
「お嬢。今年の新入生で、衛士として素養のありそうな奴らのリストができた。悪いが目を通してくれないか」
「ありがとう
夕日に暮れる教室の中。
授業終了を告げる鐘の音と共に、二年生のクラスに駆け込んできた影があった。
赤い髪に紅顔、そして、鼻筋の通った顔。
筋肉質な体つきに高身長。少し気崩した制服の襟元からは、鎖骨が覗けている。
彼の登場に、同級生がきゃぁ、と、黄色い声を上げた。
気持ちは分からないでもない。
そして、このくらいの年頃の娘たちが憧れる、ちょっと悪っぽい――いや、ワイルドな雰囲気を、これでもかと醸し出している人でもある。
けれども、本人はそんなことなど少しも気にしていないらしい。
同級生の女の子たちが向けている視線になぞ気づきもせず、私に、握りしめたプリントを差し出して、早く見てくれと、見てくれと、目を輝かせている。
分かったから。
そんな、食い入るように見ないで欲しい。
苦笑いがうっかりと口から漏れ出していた。
あれはね天然という奴よ――と、瀬奈姉の言葉を思い返す。
確かに、
こうと決めたら一直線。まるでドーベルマンのように、一途に対象を追いかける、物事をやらなくては気の済まない性格。
それは、こと天眼の衛士としては頼りになる性格なのだけれど。
「けど
「えっ、あぁ、そうだな」
「
「あ、いや。リストが出来上がったから、つい。居ても立ってもいられなくってだな」
「もう、
「すまねえ。迂闊だった、気をつけるよ」
日常生活を送る上では、ちょっとばかり難儀な性格をしている。
ほんと、衛士としては優秀であり、火系の影縛術の教師としての腕前も一流なのに。
もったいない人。
年上だというのに、時々抜けている。それが、
さて。
「文学部へ行きながら、確認しますね」
「あぁ。馬崎の奴も今日は顔を出すって言ってた。勧誘をかけなくちゃならないからな。そういや、氷室の奴は、どうする」
「氷室さんは特進クラスですから、まだ、授業が残っていますよね。後から合流してもらうことにしましょう」
「だな」
そう言って、私は席から立ち上がると、机の横にぶら下げていた革鞄を手に取った。
机の中身をそこに移して――その間も、まるで主人の支度を待つ飼い犬のように、私のことを見つめている
同じように、教室を出た生徒たちで廊下はごった返していた。
しかし、私が歩くと、すっとその人だかりが、横に避けていく。
原因ははっきりとしている。
私の後ろにぴったりとついて歩く浩一さんだ。
同年代の中でもそこそこ背が高く、また、学年も一つ上――三年生――である。
そんな彼を目にすると、たむろしていた生徒たちは、驚いて道を譲った。
この年頃は何といっても上下関係に厳しい。
先輩に対して、失礼な態度をとるまいと、自然とそういう行動を取ってしまうのだ。
しかたない、が、ちょっと罪悪感である。
いや、なにも悪いことなんて、していないのだけれど。
「いや、なかなか今年は素養のある奴が居ないな。香奈くらいだな、衛士として使い物になるのは」
「香奈ちゃん。そういえば、入学してからこっち、まだ挨拶してなかったわね」
「えっ、そうなのか? はやく行ってやれよ、お嬢。香奈の奴ってば、昔からお嬢にべったりだったじゃないか」
「……まぁ、それは知っているけれど」
「お嬢LOVEだろう。お姉さま、お姉さまなんて、呼んじゃってさ。そんなだってのに、なんだか可哀想だぜ、それって」
それって、と、言われても、困る。
普通、上級生が下級生の教室に顔を出すなんて、そう気軽にしていいものではない。
私が香奈ちゃんの居るクラスに顔を出したら、またそれはそれで、ちょっとした騒ぎになってしまうだろう。
けれど、香奈ちゃん、か。
思い起こせばそう――あまりいい思い出のない相手である。
できることなら会いたくない。
慕ってくれている手前、申し訳なく思うけれど。本音には違いなかった。
それはさておき。
影縛術の方は彼女も私と同じでさっぱりだったけれど、こと治癒術については、香奈ちゃんにはその家系もあってか並々ならぬ才能があった。
中等部では、まだ若すぎて、『天眼の衛士』として実戦に出ることはないが、しかるべき訓練は積んでいるはずだ。
この一年で、どれだけ成長しているのか。
それについては今から会うのが楽しみだった。
ただ、できれば、やっぱり、会いたくないけれど。
「文学部のことは知ってるみたいだからよ。誘わなくてもそのうち来るだろうけどよ」
「……そうですね」
「まぁ、治癒術使える人材ってのは貴重だよな。先輩の抜けた穴が、これで一つは埋まった訳だ。あとは――風系の影縛術の素養のある奴がいてくれればいいんだが」
「そう都合よく見つかるといいのだけれど」
先輩たちを見つけるのにだって、さんざんと苦労したのだ。
ようやく、『天眼の衛士』として、カゲナシを狩ることができるようになったのは、梅雨を過ぎてからのことだった。
今年もまた、それくらいには時間がかかることだろう。
「なんにしても、事を急いでも仕方ないと思います。気長にやりましょう、
そう、
「っととと!! アブねえ、どいてくれ、そこの先輩!!」
突然、私の背中に声がかかった。
二階と三階の中間にある階段の踊り場。
そこからを颯爽と駆け下りてくる人の姿が見えた。
背中に学校指定のモノとは違う、帆布で出来たナップザックを背負っている。
茶けた髪を揺らしたスポーツ刈りの青年は、二段飛ばしで階段を駆け下りるその勢いのまま、二階の廊下を歩いている、私の方へと突っ込んできそうになっていた。
いけない、激突する。
そう思った。
けれども。
「――だぁ、っせい!!」
彼は、最後の階段を、思い切り踏み抜くと、高く高くその場で跳躍した。
そして、私の頭上を飛び越えて――廊下の壁、というか、窓の格子にぶつかって、びったんと、蛙のようなポーズを取った。
そのまま、ずるり、ずるり、と、床へと落ちる彼。
大丈夫、と、思わず叫ぶ。
手に持っていたプリントも投げ出して、私は一二もなく、彼に駆け寄っていた。
「君、ちょっと、慌て過ぎだよ」
「イタタタ。いや、ちょっと、急いでたもんで。それより、怪我はないですか、先輩?」
「……え、あぁ、うん」
「そう、それはよかった」
窓枠にしたたか打ち付けた額を赤く腫れあがらせながらも、にっと笑う彼。
どこか、
とくり、と、胸が高鳴ったのは何故だろう。
「……っと、それじゃ俺は、これで。って、あ、あれ」
立ち上がり、再び階段に向かおうとした彼だったが、たらり、と、その鼻から紅い液体がこぼれ落ちる。
あぁ。
私は急いでポケットの中からハンカチを取り出すと、それで彼の鼻を押さえた。
慌てて、私から距離を取ろうとする彼を、ぐい、と、こちらに引っ張る。
「駄目だよ、じっとしてて。血が止まらない」
「いや、これくらいなんとも。というか、悪いですよ先輩」
「私を避けようとしてこうなったのよね。だったら、悪いなんておもうことはないわ」
「いやけど、俺が、余計なことをしていたから」
「私だって余所見を」
と、問答をしている場合じゃない。
ハンカチで抑えられる量じゃない血が、彼の鼻からは滴り落ちて来ていた。
「とりあえず、保健室に行きましょうか」
そう、私は、なんだかそそっかしくて、それでいて危なっかしくて、どうにも放っておけない後輩に声をかけたのだった。
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