第二話

 彼の名前は高木連太郎と言った。

 今年入って来た学生で、小中高とエスカレーター式の御陵坂学園に、途中編入してきた生徒の一人だった。


 つまり――。


「リストに名前のある奴だ」


 御陵坂学園は、ベッドで横になって、大人しくしている高木くん。

 そんな彼を睨みながら、浩一こうさんが私に言った。


 外部からわざわざこの学園に進学を許可する人間。それは、つまるところ、必要があってこの学園に編入させたというのが正しい。

 必要とは、すなわち、『天眼の衛士』としての才能がある、ということ。


「属性は?」


 リストを眺めている浩一こうさんに、私は思わず尋ねていた。

 これまた偶然、と、呟いて、パイプ椅子に腰かけながら、リストを指さす浩一こうさん。そこには、彼の『天眼の衛士』としての才覚――影縛術の特性――が書かれている。


 火系――火炎を操る能力――適正なし。

 水系――水氷を操る能力――適正なし。

 風系――風気を操る能力――僅かに才能が見られる。

 土系――土石を操る能力――適正なし。

 治癒――体を回復させる能力――適正なし。


 なし、なし、と並んでいるが、大概の『天眼の衛士』はこれが普通である。

 だいたい一属性――多くて二属性――の影縛術の才能を持っている。


 彼の場合は、風系の才覚があるということだが。

 そのリストの表現がひっかかった。


 僅かに才能が見られる、というのは、『天眼の衛士』として、才能があるかどうかは分からない、という時に書かれる文言だ。

 しかし私と浩一こうさんは、先ほどの一部始終を目撃していた。


 彼が階段を蹴って大きく飛び上がり、私の背丈を越えて――そして、廊下の窓にぶつかって、蛙のようにだらしなく落下する、そんな光景を。


 あれが、才能があるかどうかは分からない、とは、いささか納得できない部分がある。


「さっきの跳躍。確かに、人並み外れたものがあったとは思うが」


「だとして、この候補者リストの所見、あっているのかとちょっと心配になりますね」


 私と浩一こうさんはそう言って顔を見合わせた。

 リストの分析内容と、彼が実際に見せた力に開きがある。


 このリストを作成するにあたって、御陵坂学園――実態は『天眼の衛士』たちが管理する養成機関――は、それなりに調査を行っているはずだ。

 だというのに、ここまで才能の開きがあるのはどうしてなのだろうか。


 調査した日から日数が経過しているから?

 それより後に彼の『天眼の衛士』としての素養が開花したというのだろうか。


 そんなことあり得るのだろうか。

 御陵坂学園の調査能力は確かなはずだ。

 それに、中等部・高等部からは全寮制になる。もし、そのような変化があったなら、すぐにリストに更新されるはずだ。


 なんにしても。


「風系の影縛術の使い手だとしたら、桝井先輩が抜けた穴を埋めるのにもってこいだ」


「ですね」


「粉をかけるか、お嬢」


「けど、彼は一般人です、いきなり『天眼の衛士』のことについて話したとして、分かってくれるでしょうか」


 お嬢、と、浩一こうさんがこちらを責めるような目で見てきた。

 そんな弱気でどうするんだ、と、でも言いたげな表情だ。


 彼の視線が告げる通りだ。

 若き『天眼の衛士』を育てるのは、私が京都守護役の姉から拝命した任務である。分かって貰える、貰えないではない。

 貰わなくてはならない。


 けれども、やはり。

 私は浩一こうさんの視線から、つい目を泳がせてしまった。


「……荷が重いわ」


「お嬢!! しっかりしてください!! そんなことでどうするんです!! ゆくゆくは、お嬢は瀬奈様の補佐について――京都守護役、ひいては『大太郎亭天目だいたろうていてんもく』の右腕として天眼の衛士を率いていく身にあるんですよ!!」


「そうかもしれません。けれど」


 煮え切らない私の返事に、あぁあぁ、と、浩一こうさんが髪の毛を掻き毟った。


 姉と違って、ここで頭ごなしに、やれ、とは浩一こうさんは言わない。


 燃えるような真っ赤な髪に高身長。

 どう見ても体育会系、ちょい悪系の雰囲気を外観からは醸し出しているのに、この人は、何かにつけて言葉や態度が私に優しい。

 いつだって私のことを気遣ってくれる。


 それは私の『天眼の衛士』の指南役として、中等部の頃から火系の影縛術を長らく教えてきてくれた、ということもあるのかもしれない。

 それでなくても歳が近い。

 幼い頃から、お嬢、お嬢と、彼は私のことを何かと面倒見てくれた。


 そういう所が、抜けきってないように思う。

 私も、浩一こうさんも。


 私は、はぁ、と、溜息を吐き出した。

 そうだ、お役目を果たさなければ。

 私もいつまでも、子供ではいられないのだ。


 カゲナシから、京都の夜を守る。人類の安寧を守る。それが、生まれ持って私が背負っている宿命であり、カゲナシと戦う力を持つ『天眼の衛士』の使命である。


「……すみません、浩一こうさん。私が弱気でした」


「お嬢」


「私から説明してみようと思います。それに、なんだか彼は、話せば分かってくれるような、そんな雰囲気がします」


 そう言って、私はベッドに横たわる、彼――高木くんに近づいた。


 鼻の穴につめていたガーゼを抜くと、ふぅ、と、溜息と共にそれをベッド横のゴミ箱へと落とした高木くん。そんな彼の前に、パイプ椅子を置くと、いいかしら、と、声をかけた。


「鼻血、止まったみたいね」


「えぇ、おかげさまで。というか、おおげさなんですよ、これくらいのことで」


「駄目だよ、親から貰った体なんだから大切にしなくっちゃ」


 面を喰らった顔をして、私の方を見る高木くん。

 なんだろう、変なことを私は言っただろうか。


「そういうのが大げさだなって思うんですけど」


「どうして?」


「どうしてって……。生きてれば、鼻血くらい、幾らでも出すでしょう。僕は、小学生の頃、それこそやんちゃだったから、膝小僧なんて数えられないほどすりむきましたし、草葉で腕を切ったりしましたよ。別に、このくらいなんてことないです」


「そのくらいが命とりになることだってあるの」


 カゲナシとの争いにおいて、流血沙汰は日常茶飯事だ。もちろん、高位の『天眼の衛士』は、湧いて出たような木っ端なカゲナシに後れをとることはない。

 けれども、京都十二影のような強大な力を相手にすれば――。


 と、ここで、私はふと気が付く。

 自分が『天眼の衛士』としての常識で物を語っていることに。


「え、なに、鼻血が命とりとか、怖い」


「……あ、いや。鼻血でもほら、血には代りないじゃない。きっと、出し続ければ」


「出血多量で死ぬ? 鼻血で?」


「……あ、ありえない、ことも、ないんじゃ、ない、かな」


 歯切れがどんどん悪くなる。

 自分の言い出したこととはいえ、あまりに一般人の感覚からは遠い発想だ。


 いけないな、と、心の中で自嘲してしまった。

 まったく『天眼の衛士』として、また、彼らを率いる者として、自覚が足りていないというのに、どうして考え方だけはすっかりとそっちに染まり切っている。

 この考えの歪さは、いったいどこから来ているのだろうか。


 そうだ、一般人の感覚からすれば、それくらいのことで死ぬなんて、あり得ない話である。流血沙汰をさんざ見てきた、これは『天眼の衛士』だからこその発想だ。


 それは、怖いと高木くんも言うだろう――。


 ついぞ視線を床に落とす。

 リノリウムの床に、黒縁眼鏡をかけた私の顔が映る。

 頬は、羞恥によって赤く染めあがっていた。


 と、そんな私の耳の横で。


「……ぷっ、ははっ、先輩、面白い人ですね」


 突然、高木くんが笑い声をあげた。

 何故だろうか、その反応にちょっとだけ、私は救われた気分になった。

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