デスギナフ(2)

「階段から落ちたんだ」

 一言目が、クラバース氏と同じで、何だか妙な気分になった。

「それは知ってる」

「ああ、あの医者のジジイに聞いたのか」

 こいつは本当に頭の回転が速い。

「お爺ちゃんと話をした?」

「いや。あんな非常事態に、俺みたいなガキは誰にも相手にされないよ」

「それじゃあ、色んな物が見られただろ」

「そういうこと」

 ネッキスが、得意気に鼻をヒクつかせる。

「事故じゃなかったのか」

「なんでそう思うんだよ」

「売るほどの情報なんだろ?」

 彼は『うーん』と悩ましげな声を出す。

「それは、ハッキリしねぇんだ」

「どういうこと?」

 男二人の会話を聞きながらヤスミンは、バーガーに添えられているフライドポテトを、モソモソと食べている。

「あのオッサン…女将の旦那だな、が死んだのは、階段から落ちたからだ。二階に続いてるあの階段のてっぺんから、真っ逆さまに落ちたんだ。首が変な方向に曲がってた」

 早口で言って、ネッキスはハンバーガーにかぶりつく。あんたも食いなよと促されて、僕も食事を始めた。あんまり気は進まなかったが。

「その言い方だと、落ちる瞬間を見てたんだな」

 忙しく口を動かしつつ、ネッキスは頷いた。よほど腹が減っていたのか、いったん食べ物を口にすると、話を中断して食事に集中し始める。ヤスミンも黙々と食べているので、僕もそれに倣った。

 普通より少し小さめのハンバーガーは、バンズや野菜はそうでもなかったが、肉がちょっとビックリするほど美味かった。

「へぇ」

 一口目を飲み込んで思わず感嘆の声を漏らすと、ネッキスは満足そうに笑った。同じハンバーグなら、昨日もここに来れば良かった。

 三人が食べ終わると、マスターはコーヒーゼリーとプリンを持ってきた。プリンはヤスミンの前に置かれる。

「ごゆっくり」

 にこりと微笑み、老人は空いた皿を片付けた。

「俺と俺の客には、いつもサービスしてくれんの。ま、遠慮なくどうぞ」

「ずいぶん可愛がられてるんだな」

「別に、そういうわけじゃねぇけどさ」

 ヤスミンはプリンを見ると、明らかにご機嫌になった。たっぷり添えられている生クリームと一緒に口に頬張り、幸せそうな顔をする。

「美味しい! インスタントじゃないのね」

「だろ。ここのオヤジ、変なコダワリあんだよな。でも、俺にはそんなにクリーム盛ってくれないけど」

「これは女の子特権なのよ」

 澄ました顔で、ヤスミンは言った。ネッキスは尖らせた口をナプキンで拭き、コーヒーゼリーにスプーンを突き立てつつ、話の続きを始める。

「俺さ、あの時、食堂から出てきたとこだったんだよ。借りてたカップを返しに行ってさ。んで、階段の上に立ってるオッサンを見た。なんだかフラついてたな」

「具合でも悪かったのかな」

「女将は、医者と警察にそんな風に言ってたね。風邪気味で偏頭痛持ちだったって」

「気付かなかったな」

 そう応えると、ネッキスはニヤッと笑う。

「あのオッサンが落ちた時、奴の後ろに女将がいたんだよ」

「え?」

「早合点すんな。俺は女将が突き飛ばしたなんて言わねぇよ。実際、そうは見えなかったからな、俺には」

「しかし…」

 言いかけて、僕は黙った。もし、ローズがザックを手にかけたとして、僕はどうするつもりなんだ。

「事故、で終わってるんだな」

「そう。あの場にいた連中は、全員それで納得してたね」

「お前を除いて、だろ」

「俺は何も考えてなかったよ」

 シレッと言われて、苦笑するしかない。

「おばさんとミゲルは悲しんでた?」

 プリンから目を上げずに、ヤスミンが訊く。

「あの息子、そんな名前なのか。悲しんで…か。つらそうな顔はしてたぜ。泣いてはいなかったけど」

「そう」

 彼女が薄く笑ったように見えたのは、たぶん気のせいだ。

「それで終わりなのかな」

「そう。な、昼メシ代が妥当だろ」

 僕は笑って答えなかった。情報の適正価格なるものを判断する術が、僕には無い。

 デザートを食べ終わり、会計をしようと立ち上がりかけた僕の耳に、店の扉が開く音が聞こえた。

「お」

 入口の方を見たネッキスが、満面の笑みを浮かべる。知った顔が来たらしい。

「僕らは先に出るよ」

「ごちそうさん。俺、たいがい公園か、ここに居るからよ」

 言外に『またの御用をお待ちしてます』と匂わせて、ネッキスはヒラヒラと手を振る。

 勘定をしながら見た彼の『友達』は、やはり少年で、こっちは黒髪で眼鏡の、いかにも真面目そうな奴だった。歳は、ネッキスより少し上かもしれない。店を出る時に振り向くと、彼はもう友達と熱心に何やら話し込んでいた。

  外に出たはいいが、大通りまでの道がどうも判然としない。突っ立ったままの僕のズボンを、ヤスミンが引っ張る。

「こっちよ」

 頼もしく言い、先に立って歩き出した。

「よく覚えてるなぁ」

「一度歩いた道は忘れないもの」

「頼りにしてるよ」

 入り組んだ路地を一瞬も迷わず進んでいく彼女の後に従っているうちに、なんだか犬の散歩でもしているような気分になった。でも、こんなこと言ったら、きっとえらく怒られる。

「特に新しい情報は無かったわね」

 僕の方を見もしないで、ヤスミンが言う。

「君は、女将さんを疑っていたからね」

「決定的な証拠でもあるのかと思ってたけど」

 ヤスミンの声には、別段なんの感情もこもっていないように思えた。

「事故だったんだ。もう忘れよう」

 我ながら、つまらない事を言ってしまったが、彼女は何も言わなかった。ヤスミンもネッキスも、女将さんを相変わらず疑っているのは分かっていたけど、それを確認したってしょうがない。それに、僕だってちょっとは疑ってるんだ。ただ、口にする勇気が無いだけで。

「帽子を買いに行かないか」

 胸に湧き出してくる黒い塊を払拭したくて、無理に明るい声を出した。

「それより、ワンピースが欲しい」

 ヤスミンが今度は応えてくれて、僕はホッとした。



 マイロンの百貨店の中には高級店しか無かったけれど、この街のファッションビルには様々なランクの店がある。

 小さい店舗がゴチャゴチャと入っていて、客層も若者ばかりだ。少々うるさいが、肩が凝らなくていい。その分、ヤスミンが声をかけられる機会も多いが、年寄りと違って、彼らは皆あっさりしていて面倒がない。僕の事は殆ど無視だが、それが却って有難い。

 ヤスミンは、気に入ったデザインの服に子供用が無いのに文句を言い通しだった。それでも、ようやく見つけた麻のワンピースを購入して、やっと機嫌を直した。黄色とオレンジ色のグラデーション模様のそれは、この子によく似合うだろう。他にも色々と店を見て回ったが、結局、買い物はそれだけだった。

 歩き疲れた僕が、夕食はテイクアウトしたいと言うと、ヤスミンも同意してくれた。ホテルの部屋でフライドチキンやポテトを食べながら、此処での宿泊を延長するか二人で話し合う。

「そういえば、良さそうなホテルを探してなかったわね」

 ヤスミンは暢気そうに言い

「まぁいいわ。また、あの案内所で紹介してもらいましょ」

 と、ケーキの箱を開ける。

「洗濯を頼める宿がいいんだけどな」

「そうね。本当はコンドミニアムを半月くらい借りるのが気楽なんだけど」

「君、そんな所に泊まったことあるの?」

 僕が驚いてみせると、ヤスミンは目を丸くする。

「ジードは無いの?」

「うん。どんな所かくらいは知ってるけどね」

「ふぅん、そうなの」

 この件について、彼女はそれ以上何も言わなかった。相変わらず食事らしい食事はせず、甘い物を食べるのに専念している。

「君、本当は服なんかより、お菓子の食べ歩きがしたいんじゃないか?」

 ふと思いついた事を言うと、ヤスミンはモグモグと口を動かしつつ、こちらを見る。

「どっちも好きよ。服や靴は綺麗だし、お菓子は美味しいし」

 当然といった顔をするので、少し笑ってしまった。女の子ってのは誰でもそうなんだろうな、きっと。

「じゃあ、僕は先にシャワーを浴びてくるよ」

「いってらっしゃい」

 ヤスミンは、大きなシュークリームから目を離さずに言った。



 これは夢だと分かっている。悪夢をみるのは久しぶりだが、昼間に聞いたネッキスの話が原因だろう。受け流すようにしていたが、やはり、おどろおどろしい話は僕の神経を苛立たせるらしい。

 ただ今回の夢は、今までとは違う。得体の知れない化け物に追われたり、ただひたすらに落下したりはしないんだ。

 僕は水の上に立っている。とても広い水面だが、たぶん海ではないな、ということが、なんとなく分かる。

 天からは色とりどりの花が降ってきていて、この間の夢の続きだと思った。でも、あの時は、花だと思ったのは赤い血だったんじゃ? 僕は、自分の顔を掌で撫でてみる。生温かい感触もなく、手は鮮血に染まってもいない。

 際限なく降ってくる花々は、次々と水の中に沈んでいく。とても静かだ。あまりに静かなので、耳が聞こえなくなったのかと思うほどだ。

 ここは、どこなのかな。呟くと、冷たい風が吹き、水の表面が細かく波打つ。沈んでいく花たちも震えている。

 目を凝らしてよく見ると、水の底にたくさんの花が積もっている。それのどれもがキラキラと光っていて、よく出来た工芸品のようだった。

 今度は空を見上げる。降り注ぐ花を掻き分けるように、白と黒の鳥が飛んでいた。美しいシルエットの彼らは、優雅で、それでいて力強い。

 そして、その更に上空を、驚くほど大きな魚が泳いでいた。ここからは白い腹しか見えないが、ということは、僕が居る場所は実は水中で、あの鳥たちは鳥ではなく海獣なのかもしれない。もしかしたら、僕だって、あんな風に泳げるのかも。

 そう思って、天に手を伸ばした時、足元でパシャリと音がした。目を向けると、ヤスミンが水面に顔を出している。

「そんな所で、何してるの?」

 揚げていた腕を、彼女の方に差し伸べる。ヤスミンは僕の手を取り、唇の端を上げて笑った。

「あなたは、こっちよ」

 無邪気にそう言うなり恐ろしい力で、僕を水中に引きずり込んだ。かろうじて、声は上げなかった。でも、布団を跳ね除けて飛び起きてしまった。ずっと夢だって意識していたのに。

 隣のベッドで眠っていたはずのヤスミンが、僕のすぐ横で寝ていて、その可愛らしい姿に、僕は微笑もうとした。でも、うまく笑えなかった。ヤスミンの手が、夢の中と同じように僕の腕を掴んでいたから。



 翌朝は、朝食を食べずに宿をチェックアウトした。僕もヤスミンも、テイクアウトの夕食を食べ過ぎて、腹が減っていなかった。

 宿の案内所は朝っぱらから混んでいて、僕らは公園で時間を潰すことにした。モールには早朝から開いている店もあるが、大きな荷物を持ってウロつきたくはない。重たいからとか邪魔だからというより、ヤスミンがあまり好まないのだ。つまり、見苦しい、ということで。

「あのベンチに行かない?」

 そう提案するヤスミンは、どうやら、あの噴水が気に入っているらしい。あんな趣味の悪い物もないと思うんだけど、何事も極めれば、人の心に響くということなんだろうか。

 自動販売機でコーヒーとアイスココアを買って、ベンチに座った。

「ここの自動販売機のお茶は美味しいわ」

 ココアを一口飲んで、ヤスミンは感心したように言った。僕も同感だ。前回のジュースも、かなり奢った味だった。

「観光地だからかな」

「だったら、噴水にも、もうちょっと気を使ったらいいのにねぇ」

 ヤスミンはクスクス笑い、両脚をブラつかせる。

 今朝も、街には心地よい風が吹いていた。あんな夢をみたのに、今の僕の心は平穏で、のんびりした気分だ。 

「あ」

 ヤスミンが小さく声を上げる。その視線の先を見ると、ネッキスがいた。畳んだダンボールを両手いっぱいに抱え、急ぎ足でモール街の方向に歩いていく。僕らには全く気付いていないようだ。

「忙しそうだな」

「働き者よね、彼」

 せかせかと去っていくネッキスの姿は、みるみる遠のいていった。あいつ、あんなに足が速かったんだなぁ。

「どこに住んでるんだろ」

「気になる?」

「ちょっと興味はあるな」

「彼のこと、気に入ったのね」

「え、そう見える?」

「見えるわ」

「そうかなぁ…」

 そんな自覚は無いんだけど。

「お昼は、どこで食べようかしら」

 特に食べたい物が無いせいか、僕らはその議題についてダラダラと話し続けた。思いついた食べ物を、お互いに次々と挙げていく。ヤスミンがお菓子の名を出さないのは、本気で決めようと思ってないからだろう。僕もそうだ。また、あの飲食店しか入っていないビルに行って、適当に選べばいいと思っている。相手が候補に出したメニューに、なんだかんだと難癖をつけていくのが意外と楽しい。

 ときどき笑い声など上げながら無駄話を続けている僕らのすぐ近くを、作業服を着た老人が通りかかった。蓋付きの塵取りを持っているところを見ると、この公園を清掃しているらしい。痩身で背が高く、バーガーショップのマスターとどことなく雰囲気が似ている。長く伸ばした白髪を後で束ねているのが、なんとなく芸術家のように見えた。癖がある人物なのは見ただけで分かったので目を逸らそうとしたが、間に合わなかった。僕と目を合わせ、老人は僕らに近づいてくる。

「おはよう、いい朝だね」

 愛想の良い声と笑顔で、挨拶してきた。こうやって、ことさら人畜無害に振舞う奴ほど信用ならない。

「おはようございます。掃除ですか、大変ですね」

「いやなに、これが俺の仕事だからな」

「この公園の管理人さんですか?」

「まぁな、そういうことだ」

 老人はニヤッと笑うと、ヤスミンに顔を向けた。

「お嬢ちゃん、お父さんと旅行かい?」

「違うわ、兄さんよ」

 ヤスミンも、にっこり微笑み返す。

「きょうだい、か。似てないね」

「よく言われます」

 僕はもう、こういう受け答えをスムーズに出来るようになっていた。

「そうかい。そりゃ失礼」

 おどけるように謝られて、僕は曖昧に笑った。

「ところで、あんたら昨日、スラムのガキと一緒に居ただろう」

「スラム?」

 僕が訊き返すと、老人は軽く肩をすくめる。

「なんだ知らなかったのか。あのガキは、スラム街に住んでる浮浪児だぜ」

「いや、彼がそういう子供だってのは見れば分かりますが…スラムって、この街に、そんな所があるんですか」

 ちょっと驚きだった。こんな綺麗な観光地に、そんな地区があるなんて。

「そりゃ、どんな所にだって、下町ってのはあるもんだよ」

 老人は、僕の世間知らずを哀れむような顔をする。

「で、どうなんだい? 小銭をせびられたりしたんじゃねぇのか? なんだったら、俺からキツく言っといてやろうか」

 僕に話しかけながら、老人の視線は時折ヤスミンを盗み見ている。この男、やはり危険な種類の人間らしい。

「心配には及びませんよ。特に問題ないです。ほんの少し、立ち話をしただけなんですから」

「ふぅん…そうかい」

 僕の返事が不満らしく、彼は疑い深そうな目つきで僕の顔色を探ってきて、それが酷く不愉快だった。

 ヤスミンは、とうとう一度も老人を見なかった。



 再び宿泊案内所を覗いたが混雑は相変わらずだったので、僕らは駅前のコインロッカーに荷物を預け、モールへと向かった。

 ヤスミンの手には、駅で手に入れたこの街のパンフレットがある。

「初めから、これを貰っておけば良かった」

 彼女の言う通り、最初からこのパンフに目を通しておけば、効率良く街を見物出来たんだ。

「観光地にパンフレットが無いわけないもんな。どうも、僕はこういうのに慣れてなくて」

「私も、どういうわけか思いつかなかったわ」

 僕らの目的地は決まっている。パンフを覗いて面白そうだった屋台村に行くのだ。それはモールの奥まった所にあるらしく、写真を見るに、アミューズメントパークに隣接しているようだった。

「屋台なんて楽しみね」

「僕はけっこう好きだ」

 仕事の帰りに、よく独りで立ち寄った。例の事件が起き始めてから、ご無沙汰だけど。そういえば、あの殺人鬼はどうなったんだろう。まだ、あの街で事件を重ねてるんだろうか。

「私は、あまり利用したことが無いのよ」

「へえ、意外だね」

 この子は確かに子供だけど、僕より色々な経験をしているらしいのは、何となく分かっていた。

 ワクワクしながら人混みを歩き、やっと着いた屋台村は、思ったより小ぢんまりしていた。けど、それが却って居心地良さそうな印象を僕に与えた。街頭テレビがあるのも、いい感じだ。その周囲を、簡単な椅子やテーブルが囲んでいる。午前中だからか、観光客はまだ少ない。こういう場所は夕方から賑わうんだ。

「何を食べようかな」

 立ち並ぶ屋台を眺めて迷うヤスミンに、僕は汁ソバを勧めた。

「たぶん気に入ると思うよ」

 香草と鶏肉が入った塩味のソバを、ヤスミンはけっこう美味しそうに平らげた。

「私たち、味の好みが似てるのかもね」

 食後のソフトクリームも、彼女のお気に召したようだ。

「僕は、お菓子マニアじゃないよ」

「マニアじゃないわ。大好きなだけ」

「なるほど」

 軽口をききながら街頭テレビに目をやった。テレビなんて、ずいぶん見ていなかったような気がする。

 ちょうどニュースをやっていたので、例の連続殺人犯の情報を流さないかと思っていたのだが、キャスターはそんなこと全く言わない。

「なにか気になる?」

 ヤスミンは、僕の気持ちに敏感だ。

「いや、ちょっと…」

「あの殺人犯のことね」

 ズバリ言い当てられて、苦笑するしかない。

「捕まったかなぁと思ってね」

「そしたら大ニュースでしょうね」

 ヤスミンはソフトクリームのコーンを齧って、気のない調子で言う。

「僕が街を出た時は毎日のように話題になってたんだ、いくらここが遠い街だからって、ニュースにならないなんて…」

 そこまで言った時、僕らのテーブルに、ピザとコーラが乗ったトレイがドンと置かれた。

「アイツ、ここんとこバッタリ殺しを止めてんだよな。だから世の中が飽きちゃってんだよ。もっと新しいニュースネタあるしね」

 したり顔でそう言うのは、ネッキスだった。

「あら、おはよう」

 急に現れた彼に全く動じず、ヤスミンが朝の挨拶をする。

「おはよう。ま。もうそんな時刻じゃねぇけどな。あんたら何食ったの? 汁ソバか? 美味いよな、あれ」

 ネッキスはベラベラ喋りながら、僕らのテーブルに同席する。図々しいヤツだ。

「今朝、公園で君を見たよ」

「なんだ、声かけてくれりゃよかったのに」

「忙しそうだったからさ」

「そ、俺いつも忙しいんだ。なんせ食ってかなきゃなんねぇだろ? でもま、あんたらなら、いつでもどうぞ」

「どうして?」

 ヤスミンが訊く。

「俺が、あんたらを割と気に入ってるから。で、なに? あの殺人鬼に興味あり?」

 ネッキスがまた商売っ気を出しそうになったので、僕は慌てて制する。

「いや、僕はあの街に住んでたから、成り行きが気になって…」

「えっ、そうなのか!」

「でも、私たちは何も知らないわよ。兄さんは用心深いから、余計な事には関わらないことにしてるの。もちろん私も」

 ネッキスの『取材』をヤスミンはピシャリと跳ね除け、ネッキスも不満顔をしながら引き下がる。そのタイミングがあまりに見事だったので、吹き出しそうになる。

「あんた達さ、何か俺に頼みたいことない? この街で出来ることなら何でも引き受けるよ。もちろん、手数料はいただくけど」

 ネッキスは、ピザを頬張りつつ営業に余念がない。ここまであからさまな態度だと、いっそ清清しい。それじゃあ良い宿の情報でも貰おうかと思っていると、ヤスミンが小さく手を打った。

「そうだ! アレ売ってるところ、知らない?」

「アレって? まぁ、俺くらいになると多少ヤバい物でも手に入るけど…」

「ジュースよ! オレンジジュース」

「はあ?」

 勢い込むヤスミンに、ネッキスがキョトンとした。



「GSOってジュースでしょ? 王冠の裏蓋に絵の付いてる。けっこうコレクターがいるんですよね。確かに古いジュースですけど、まだ少しは生産されてますよ」

 ちょっと待ってろ、と言ってネッキスが呼んできたチェットという少年は、当然のようにGSOを知っていた。歳はネッキスとあまり変わらないようだ。十三、四才くらいかな。黒髪をキチンと切り揃え、四角ばった口調は、ネッキスと対照的にお堅く見える。

「おまえ、なんでそんなこと知ってんの」

 自分で呼んだくせに、ネッキスは呆れた顔をする。

「常識だ。情報とも呼べない」

「それで、そのジュースはこの街で手に入るかしら」

 僕のコレクションの話なのに、僕を抜きにして話は進んでいく。

「手に入るなんて言い回しをしなくても、普通に買える。そこで」

 チェットはつまらなそうに、ここから見える観覧車を指差した。

「遊園地で売ってるのか」

「アミューズメントパークって言えば聞こえはいいけど、俺らは集金箱って呼んでるよ」

「露骨ねぇ」

「だって、あそこの乗り物料金知ってるか? ジェットコースター一回で、俺の何食分だと思う」

「それ以前に入場料が高過ぎるだろ。俺たちはそれも払えないんだから、余計な心配しなくていい」

 ネッキスが憤慨し、チェットが冷静に突っ込んだ。このふたり、ちょっと面白い。

「入ったことがないのに、なぜ知ってるの?」

 ヤスミンの、もっともな疑問。

「仕事で入れるやつがいて、たまに内緒で入れてもらってるんだ」

「私、あんな所ちっとも面白くないと思うわ」

 相変わらず、ヤスミンは遊園地が気に入らないようだ。

「別に俺たち、遊びに行くんじゃねぇよ」

「仕事の種を探しに行くのさ」

 ネッキスたちは、心外というように口を尖らせた。

「へえ、そうなの。どんなお仕事?」

「困ってる人を探す。それを助ける」

「迷子とか、結構いるんだよ。落し物届けたりな」

「そんなんで日銭が稼げるか?」

 ヘタしたら警察を呼ばれるんじゃないか?

「まぁ、そこはやり方次第ってことで」

 その辺は独自のノウハウだから教えるわけにはいかない、とネッキスは言い、ヤスミンは理解不能という顔をしてから、少し笑った。

「ね、みんなで遊園地に行かない? 兄さんがジュースの王冠を集めてるの。あるだけ買いたいわ。荷物持ちしてくれると助かるんだけど」

「一時間いくらで?」

 チェットが抜け目なく訊いてくる。ヤスミンが僕に目配せをした。分かったよ。せっかく僕の為を思ってくれたんだ。

「日給で。一日貸切りでどうだ。君らの他に、もう一人くらい人手があるといいな」

 僕の返事に、ネッキスとチェットは顔を見合わせニッと笑って頷いた。いいカモを見つけたって顔だった。

 僕は明日でも良かったんだが、連中は瞬く間に段取りをつけてしまった。新たな人手として呼ばれたのは、この前、バーガーショップで会った少年だ。名前はボーボーという。彼とチェットは顔立ちも雰囲気もよく似ていて、ボーボーが眼鏡をかけていなければ、一見見間違うかもしれない。

「別に双子じゃねぇよ。歳も違うしな」

 僕の内心を見透かしたのか、ネッキスが注釈をくれる。

「兄弟でもないんだろ?」

 先回りして言ってやると、彼らは当然といった風に頷く。

「一緒に暮らしてると似てくるヤツもいるんだよな。こいつら揃ってインテリだから、尚更だよ」

 チェットが博識なら、ボーボーは計算が得意なんだそうだ。

「なんたって、こいつら字が読めるしな」

「おまえは読めないのか」

「ちょっとだけだよ。知らない言葉もたくさんあるしな」

 図々しいくせに、ネッキスには謙虚な所もあった。

 ボーボーは自己紹介の後は黙っていたが、ヤスミンが気になるようでチラチラと見ていた。ヤスミンもそれに気付いているんだろうが、いつものごとく澄ました顔をしている。

「混んでる時間帯に入った方がいい。その方が目立たないから」

 チェットが言う。たかだかジュースを買うだけで、僕としてはどうでもいいのだが、彼らは何事も静かに遂行したいらしいのだ。

「街のおこぼれを頂いて生きるってのは、そういうことなんですよ」

 ボーボーがボソリと呟いて、僕らは遊園地へと向かった。

 同じ道を行くのはカップルと家族連ればかりで、彼らからすると、僕はどう見えるのかな。まさか親子とは思われないだろう。親戚の兄ちゃんが、チビたちを遊びに連れてくってとこか。実際はそんなのしたこと無かったし、経験するとも思っていなかったけど、なかなか照れくさい。しかも、僕が連れてる子供たちは、どいつもこいつも、ちっとも楽しそうじゃない。余計な注目を集めてしまうんじゃないかと、ネッキスたちの為に危惧したが、レジャーに浮かれる観光客にとって、他人なんて気にならないらしい。

 チケット販売の長い列から、ネッキスとチェットが離れる。彼らは、抜け穴的な場所からこっそり侵入するからだ。職員のパスを持っているというボーボーと、僕らは列に並ぶ。会話は無かった。やっと料金を払って入場すると、人混みからネッキスたちが現れる。

 ヤスミンが僕の手を握った。『僕が』はぐれない為の配慮だろう。

「あんた、デカいから見失わなくていいな」

 ネッキスは、ヤスミンと同じことを言う。彼女が笑ったのを、僕は聞き逃さなかった。

 少年三人は人の波など物ともせず、泳ぐように目的地へと歩いて行く。僕らを置いていかないように、替わるがわるこっちを振り向いて、ちゃんと付いて来ているか確認していた。彼らは、それぞれに気が回る質のようだ。この五人の中で、僕が一番ボンヤリしているのは確実だ。

 人気アトラクションの地域を抜け、レストラン街を通り過ぎると、そこにはゲームセンターがあった。まるっきり人が居ないわけではないが、やはり乗り物ゾーンに比べると客が少ない。

「この先のボーリング場は混雑してるんですけどね」

 ボーボーは、そこで靴の貸し出し係とポップコーン売りをやっているという。今日は休みなんだそうだ。

 ゲームセンターの片隅の昔ながらの売店が、GSOを置いてある店だった。店番をしている中年男は因業そうな感じだったが、ネッキスたちが用件を告げると、渋面を崩して店の奥からありったけのGSOを出してきた。多分そうとう古いものも混ざっているそれを、僕は定価で買った。全部で五十本ほどあった。

 店の親父は恵比寿顔でジュースをいくつかの袋に分けて詰め、射的のタダ券をくれた。僕はそれを三人にあげて『有効活用』してくれと言った。僕の言葉の意味を理解した彼らは唇だけで笑って、ペコリと頭を下げる。

 男連中でジュースの袋を手分けして持ち、ゲームセンターを後にした。

 しかし、遊園地の売店とは盲点だったな。これから行く先々でチェックしてみようか…などと考えながら歩いていると、子供たちが喉が渇いたと言い始める。

「ちょっと休んでいきましょう」

 と、ヤスミンも言うので、僕らは自動販売機で各々好きな飲み物を買った。僕のおごりだ。彼らの日当の中に、そのくらい入れてやってもいいだろう。

「どこまで持っていけばいいですか? 宿は何処をとってあります?」

 チェットに訊かれて、まだ宿を決めていないと言うと、ゲンナリした顔をされてしまった。申し訳ない。

「僕が欲しいのは王冠だけだから、どこかで詮を抜いてしまえば、ジュースは君たちが飲んでくれると助かるな」

「あ、そうなの?」

 ネッキスが、こっちに目を向ける。

「うん。だけど、賞味期限切れのがかなりあると思うんだ。後で確かめてみないと」

「ジードさんは、嫌いですか、ジュースは」

 ボーボーが、眼鏡越しに僕を責めるような目で見る。決まりが悪いな。

「子供の頃は飲めたんだけど…すごく甘いんだよ、これ。捨てるのは気が咎めるし、実はそれも頼もうと思ってたんだ」

 ヤスミンの視線が気になったが、僕はシレッと嘘をついた。

「それじゃあ、僕らの家に来ませんか」

 チェットがそう提案すると、他の二人も、それは良い考えだと同意する。

「面白そう」

 僕が返事をする前に、ヤスミンが応えて、それで僕らの行き先は決定した。

 スラムなるものに行ったことはないし、話を聞くと危険な場所のようだが、なんとなく、ネッキスは僕らには酷い扱いはしないんじゃないかな、と思える。それに、もしもの事があっても、ヤスミンを抱えて逃げ出すぐらいは出来るだろう。荷物を駅に預けておいたのは正解だったと思った。

「で、このまま帰る? せっかくだから何か乗ってけば?」

 ネッキスが、僕らに勧めてきた。

「うーん…そうだなぁ」

 どうする? とヤスミンに視線を送る。彼女は眉間に薄く皺を寄せていて、何に乗りたい? などと訊ける顔つきではない。

「あの…」

 短い沈黙の後、ボーボーが思い切った様子で言った。

「良かったら、俺とメリーゴーラウンドに乗らない?」

 ヤスミンの方に手を出し、頬を染めて。

 あまりにストレートな誘いにヤスミンは少し驚いて、それから口許だけで笑った。ネッキスとチェットは、ニヤニヤとお互いを小突き合っている。僕はといえば、こんな時にどんな顔をしていいか分からない。ヤスミンが、ボーボーの手を取って優雅にお辞儀をするのを、ただ見ていた。



 ネッキスが栓抜きを持っていたのは幸いだった。なにしろ、傷も歪みもつけずに王冠を手に入れるのには必要不可欠だからな。

 スラムは公園のすぐ隣にあった。いや、隣というより、公園の片隅といった方が正しい。例の悪趣味噴水の傍に、フェイクの茂みで巧みに隠された小道があって、そこを抜けると古い街跡に出た。跡といってもごく一部の、だが。

 崩れかけたコンクリート製の三階建ての最上階を、彼らはネグラにしていた。屋根があれば何でもいいと少年たちは言うが、打ちっ放しの広いフロアに、簡易ベッドや椅子、テーブル等を置いており、意外と住み心地が良さそうだ。しかも小型の発電機もあって、電気も使えるという。天候が管理されているので寒さに凍えることも無く、贅沢を言わなければ、この街でのホームレス生活はかなり気楽なものらしい。あくまで、他の土地と比べて、なんだろうが。

 ジュースの瓶を並べて、全員で消費期限をチェックするところから始めた。期限が切れて一ヶ月以上経っているものは廃棄処分にする。腹は壊したくないと言って、ネッキスたちもそれに賛成した。

「健康第一だからね。たかが腹下しと思ってると命取りになりかねないからさ」

 チェットとボーボーが深刻な顔で頷くところをみると、実際そんな事があったんだろう。気の毒に。

 案の定、飲める分は数本しかなくて、ネッキスたちはガッカリしたようだが、GSOをひとくち飲んで、考えを改めたようだ。

「歯が溶ける…」

 ボーボーが、子供の頃の僕と同じ感想を言うので、ちょっと可笑しかった。

 僕は、ネッキスに借りた栓抜きで、慎重に蓋を開け続ける。傍からすると変な光景だろうに、彼らは僕の作業を熱心に見てる。ほとんど口もきかない。ヤスミンは、ハンカチを広げて王冠を置く場所を作ってくれた。けっこう世話好きなのだ。

 ボーボーはさりげなく彼女の隣に陣取っているが、話しかけられずにいる。一緒にメリーゴーラウンドに乗って距離が縮まったかと思いきや、ヤスミンが態度を和らげないので戸惑っているように見えた。これまた気の毒に。

 長い時間をかけて全てのジュースを開栓し終わった時、僕らはすっかり腹を減らしていた。男たちの腹が鳴るので、ヤスミンがケラケラと笑う。

「何か買っておけば良かったな」

 僕がボヤくと

「ケーキが食べたい」

 ヤスミンもそれに続く。

「買ってくるよ」

 彼女にいいところを見せたいボーボーが、即座にお使いを買って出る。五人分の食料なので、チェットもそれに付いて行くことになった。皆で店に食べに行こうと言ったのだが、彼らはここで食事をする方が気兼ねがなくていいらしい。

「私はケーキとパイだけでいい。とにかく甘そうなの」

 僕が金を渡している横で、ヤスミンは注文をつけている。チェットは几帳面な性格らしく全員分のオーダーをきっちりメモして、ボーボーと住処を出て行った。

 二人が居ない間に僕は、今日の駄賃を決めようと、ネッキスに希望を訊いた。三人をまとめているのが彼だと、雰囲気で察しているからだ。

「あんた、金持ちなんだなぁ」

 彼は、ちょっと皮肉っぽく言った。僕の金払いが良いからだろう。でも、食事代も遊園地の入場料も、彼らが言うほど高額じゃない。安くはないが、ごく一般的な値段だ。今まで働いてばかりで王冠集め以外に趣味も無い僕は、自分で言うのもなんだがそれなりに貯め込んでいたし、そこまで痛い出費ではない。

「僕は大人だからね」

 そう応じると、ネッキスは肩を竦めてみせる。

「俺も早くオトナになりてぇよ」

 子供は不便だ、と悩ましげな顔をして彼は、現金じゃなくて現物支給にしてくれ、と言う。

「俺らの靴、そろそろ限界なんだ」

 確かに、ネッキスの靴はかなりのボロだ。

「分かったよ。おすすめの店があるんだろ? 明日にでも連れてってくれ」

「…俺は、あんたが心配だよ」

 僕が言いなりなので、ネッキスは呆気に取られたようだった。大丈夫だよ、僕はただ、お前たちが何となく好きなだけだ。誰にでもカモられるわけじゃない。

「ねえ、兄さん。今日は此処に泊まらせてもらいましょうよ」

 王冠をハンカチに包みながらヤスミンが言う。王冠の絵柄を確かめたいが、ここでは落ち着かないので我慢した。

「そうか、宿とってないんだっけ。んじゃ、そうしなよ。客が来るのは初めてだ」

 ボーボーのヤツ喜ぶだろうな、というネッキスの一言を、ヤスミンは冷たい目つきで訊いていた。この顔を見たら、あの子、傷付くだろうな。

「明日の朝は、皆で屋台に飯を食いに行こうか」

「あのおソバ、美味しかったわね」

「マジか。あんた、気前が良過ぎるぜ」

 ネッキスに呆れられながら、僕は大きく開いた窓の傍に立った。

 何の気なしに下を見ると、誰かが立っていた。ワンピースのような服を着ているところをみると、少女らしい。伸ばし放題になっている髪がバサついているのが、ここからでも分かる。しかも、どうやら裸足だ。

 彼女の顔は髪で隠れて見えないが、こちらを見上げているのは確かだ。

「なあ、ここには女の子もいるのか?」

 ネッキスに訊くと、すぐに『いいや』と返事がきた。

「女だったら、もっといい生活できるテがあるからな」

 ハッキリとは言わないが、どういう事なのかは分かる。

「じゃあ、アレは?」

 僕の言葉に窓の外を見たネッキスは、短く舌打ちをする。

「クージョだ。このへんウロつくなって言ってんだがな」

「知ってるのか?」

「ああ、でも仲間じゃねぇよ。ちょっと追い払ってくるわ」

「追い払うって…」

 同じ浮浪児じゃないのか?

「いいから、任せろ。あ、妹さんは絶対顔出すんじゃねぇぞ。アイツ、おかしくなるからな」

 言い捨てて、ネッキスはすごい勢いで階段を駆け下りていった。

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