第32話 新たなる苦悩の始まり 3

花恋の申し出もあり、午後は比較的ゆったりとしたアトラクションに乗った。やはり兄としては妹の希望を叶えてやれなかった事に対して大いに罪悪感があるため、また今度、何か言うことを聞くとしよう。


「ねぇ兄さん、そろそろ夕方だけど、最後に観覧車に乗っても良い?」


「別にそのくらい構わないよ」


そのくらいの言う事も聞けないようでは、そもそも話にもならない。確かにもう夕暮れ時だが、観覧車に乗るくらいの時間はあるだろう。幸いあまり並んでもいなさそうだし。


「やったぁ! 兄さんありがとう!」


そんなに嬉しいのか花恋は大袈裟に僕に向かってはしゃいで見せた。


そして、案の定、観覧車には大して待たずに乗ることが出来た。そして、僕と花恋は対面する形で座った。


「ねぇ兄さん、変な話しても良い?」


「え? あぁ」


変な話? まぁ深く考えてもよく分からないだろうし、花恋が話したいと言っているのだから、話させてやるべきだろう。


「あのね、昔の話になっちゃうんだけどね、まだお母さん達がいた頃に兄さんにやたらと絡んで来る女の子がいたでしょ?家にまで来てさ」


「そういえば……。そんな子いたような」


確かにそんな子がいた気がする。名前も顔も正直、思い出せないが、そんな女の子がいたような覚えはある。確かあの子、やたらと僕に懐いていたような……。


「私ね……。あの子がたまらなく嫌いだったんだ。だってあの子、やたらと兄さんにひっついてたんだもの。あの頃の私、兄さんを盗られないように必死だった。だから子供ながらにもあの子に嫌がらせだってした」


「え……。花恋?」


花恋が何を言いたいのか理解出来ず、僕は混乱しそうになっていた。ただ一つ、確かに理解しているのは、花恋からまたあの狂気じみた雰囲気が漂い始めているという事くらいだった。


「兄さん、まだ気づかないの?それとも必死に気づかないように取りつくろっているの?」


「一体何を言っているんだ?」


質問に対しての答えなど、まるで脳内には浮かばなかった。何せ話の本質が全く分かっていないのだから、当然と言えば当然なのだが、僕は次第に花恋から発せられる言葉に対して恐怖の念すら抱き始めている気がした。


「はぁ、ねぇ兄さん、私は兄さんの事をね、純粋に兄としてなんて最初から見てないんだよ。私は兄さんの事がね、一人の男性として好きなの。誰にも盗られたくないの」


「花恋、何を言って、僕達は血の繋がった実の兄妹なんだぞ……。お前、それを分かって……」


僕達は血の繋がった実の兄妹だ。それにも関わらず、花恋は僕の事を一人の男として好きだと言っているのだろうか?


「もちろん兄妹としての関係も大切だよ。実の兄妹っていう関係があるからこそ、私は兄さんと一緒にいられる訳だし……。でもね、私は兄さんと兄妹っていう関係を越えて互いに一人の異性として愛し合える関係になりたいの」


「……」


何も言葉が出てこなかった。僕は完全に混乱していた。花恋に考え直させるために何か言わなければいけないのに、何も言葉に出来なかった。


「それにさ、何もしなくてもその内におじいちゃん達もおばあちゃん達も死んじゃうんだし、そしたら何の邪魔も入らない。ずっと二人きりでいられるんだよ」


「……」


狂気じみた雰囲気と狂気じみた言葉の数々に僕の思考は完全に停止していた。言葉など何も浮かばないし、何かを言う気にすら最早なれなかった。それはおそらく、この狂気たる妹の前に僕の言葉など何を言おうが届かないに違いないという諦めが生じていたからであろう。


今を思えば花恋の真意には気付こうと思えば気付けていたのかもしれない。ただ僕が気付こうとしなかったのは、純粋に怖かったのだ。そんな事が生じているのではないかという考えに至った瞬間に僕は考える事を放棄し、その考えを捨て去ろうと必死になる。全くもって花恋の言う通りなのだ。僕は花恋の真意に気付かないように必死になって取りつくろっていたに過ぎない。


「それにさっき、兄さん言ったよね。私がずっと一緒にいてくれるか聞いた時、兄さんは、あぁって返してくれたよね? クスッ、嬉いしいなぁ」


「……」


嘘だとは、とても言い出せなかった。ただ、どうしようもないくらいに怖くてしょうがなかった。僕の知っている妹の姿はここにはなく、もし嘘である事を花恋が知った時、一体何を言われ、何をされるのかなど……。想像もしたくない。


「ねぇ兄さん、そっちに行っても良い?」


「え……。あぁ構わないが」


一瞬、花恋の申し出を拒みそうになった。兄として最低な事だという事は自覚しながらも、僕はそうしようとせずにはいられなかった。何とかすんでのところで踏みとどまり、僕は兄としての自身を保つ事が出来た。


「ありがとう、それじゃぁ失礼するね。」


「お、おい花恋!? 一体何をして!」


「何って?兄さんの膝の上に馬乗りになってるだけじゃん。私、別に兄さんの隣に座りたいなんて言ってないじゃん」


「そ、それはそうだが……。兄妹でこれはおかしいだろ」


花恋は席から立ち上がると、僕の目の前で立ち止まり、いきなり僕の膝の上に馬乗りになって来たのだ。


「兄さん……。いい加減にくどいよ。私だって恥づかしいんだからさ、何回も言わせないでよ。私は兄さんの事が誰よりも愛おしいの、血の繋がりがどうとかなんてどうでも良いくらいにね。だからね兄さん、私の前でもう二度とそん事言わないでね」


「……」


何が正しいのだろうか? 何が花恋をこんなふうに変えてしまったのだろう。いや花恋は誰にも変えられてはいない……。始めからこうだったのだから。僕はただ、花恋が付けていた仮面を必死になって信じ続けていただけ。正しい事など分からないが、悪いのは僕なのだろう。


「ねぇ兄さん……」


花恋は僕の首に手を回し、卑しげな笑みを浮かべ、僕の事を呼んだ。


「大好きだよ……。ん……」


「……」


花恋はそのまま静かに僕に唇を重ねた。


……もう戻れない。これまでの僕らには、もう二度と……。

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