第21話 レグリーデ要塞の攻防


 アレク大森林の南側を迂回する街道に、ラドラスという宿場町があった。大森林を探索する冒険者たちが拠点にするなど、相応に賑わっている。その日も大森林探索を切り上げてラドラスへ帰着した一組の冒険者パーティがあった。キュープラム級冒険者ボーディルのパーティだ。

 高位冒険者を勇壮な二つ名で呼ぶように、かつてはパーティにも勇ましくもこっ恥ずかしい名前を付ける文化があったのだが、離合集散を繰り返すパーティの登記に膨大なリソースを割く羽目になった冒険者ギルドが、ある時を境にパーティ登記の管理を放棄し、この文化は廃れた。現代では、便宜的にパーティリーダーの名でパーティを呼称することが多い。合理主義の敬虔な信徒が多数派を占める冒険者業界にあっては、ある意味自然な帰結であったのかもしれない。

「はー今日は疲れた」

「スミロドン安定して狩れたな。あと二体くらい納品したらアルゲント級に昇格すんじゃね?」

 戦士ガレンが希望的観測を述べた。若手冒険者には、こうして己を鼓舞する者が多かった。

「だな。さて、晩メシどうするよ。自炊も厭きたし、『肝っ玉食堂』行くか?」

「悪かったな、メシマズで」

「まぁまぁ、アリスさん」

 女弓士アリスがへそを曲げ、治癒士の少女ユミィが宥める。

 ボーディルのパーティはメンバー同士の衝突も多かったが、死線をそれなりに越えて、適度な紐帯を見出しつつあった。


 『肝っ玉食堂』へ入店したところ、蹴躓いて給仕盆を料理ごと盛大にぶちまける若いウエイターに出くわした。

「す、すまぬ」

「ったくこの木偶の坊が。配膳もろくに出来ないとか、どんな坊ちゃん育ちしてきたんだい。セルド、ここはもういいよ。厨房で皿洗いしてな」

「分かった……」

「いらっしゃい! 空いてる卓に適当についとくれ」

「おばちゃん。新しいウエイター雇ったのか」

 ガレンが、女将のトルアに訊いた。

「ああ。無様なとこ見せちまったね。あのガキ、こないだ無銭飲食かましやがってね。代金分こき使ってるのさ」

「うへえ、よりにもよっておばちゃんの店で食い逃げかよ。勇敢つうか、無知ゆえの蛮勇つうか……」

 トルアは今でこそ『肝っ玉食堂』を一人で切り盛りする気のいい女将だが、かつては二つ名持ちの高位冒険者だったらしい。ボーディルたちが束になってかかっても、確実に瞬殺されるだろう。

「一日で放免してやるつもりだったんだけど、まかない飯が気に入ったのか居付いちまってね。使えない奴だけど根性はあるみたいだから、しばらく面倒みることにしたって訳さ。いろいろヘマやらかすと思うけど、大目にみてやっておくれ」



 レグリーデ要塞は、魔皇国の東部国境防衛の要と目されている。魔皇アルヴァントはここに二人の魔将を配置し、三万の精兵を駐屯させていた。

 駐留軍の主将はハルピュイアの女魔将ロゼル。飛翔能力を持つハルピュイア兵は数こそ少なかったが、制空権などという軍事ドクトリンの未だ存在しないこの世界にあって、数々の戦果を魔皇国にもたらしてきた。飛行偵察や敵拠点への空襲など、その有効性は論ずるまでもない。

 駐留軍副将はホブゴブリンの魔将グルファン。彼は十二魔将最弱と陰口を叩かれるほど武勇はからきしで、用兵術も微妙だったが、築城と兵站構築には天才的な手腕を発揮する男だった。脳筋揃いの軍部で長らく冷や飯を食わされてきたが、アルヴァントは年の功ゆえかグルファンの才能の有用性にいち早く気付き、魔将に取り立てた経緯がある。

「ロゼル将軍。先ほど早馬による注進があったよ。皇都の援軍は総兵力三万。総大将はカルマリウス将軍だってさ」

「私、あの女嫌いだ」

「まぁまぁ。お仕事だから。協調してやろうよ」

 サキュバスの女魔将カルマリウスは、仮面のメーベルトやサイクロプスのルディートに比肩する魔皇国軍の驍将で、その雷名はリムリア諸国に轟いている。

「この情報、敵さんは掴んでいるかね?」

「把握しているだろうな。あいつらの諜報網、仕事熱心らしいから」

 溜息をつくグルファン将軍。

「空気読んでカルマリウス将軍の到着まで待ってくれると助かるんだけど。あのおっさん、そんな殊勝なタマじゃないしなぁ」

「うむ。アルベレス大公は、我が国への嫌がらせが大好きな男だ。我が国の災禍で飯が美味くなるらしい困った御仁だからな」

「いちいち相手してらんないね。ひたすら要塞に籠ってやりすごすか」

「私は哨戒を密にしておく。カルマリウスに文句を言われるのは癪だからな」

 グルファンが眉を顰めた。

「部下にやらせなよ。あんたが直接出ることもないだろ」

「籠城が続いて体が鈍っていたところだ。なに、深入りはせんよ」



 ゴルト・リーア大公国軍本陣の天幕。アルベレス大公と総参謀長ドルティーバが、フォルド将棋に興じていた。

「魔将カルマリウスはちと厄介ですな。あれが到着する前に、なんとかレグリーデ要塞を抜きたいところですが」

「カルマリウスの参戦まで如何ほどの猶予を見積もっておるか」

「三万の軍勢ですから。夜を日に継いだとて三ヶ月はかかりましょう。諜報網を使って遅滞工作を仕掛ける段取りですが」

「諜報網は温存しておけ。長年の投資をふいにするほどの局面でもあるまい」

「御意」

「そちは、十二魔将のうち誰を排除すると、魔皇国軍への打撃が最も大きいと考えるか?」

「さようですなぁ。順当に筆頭魔将メーベルトか、サイクロプスのルディート、サキュバスのカルマリウス辺りかと愚考いたします」

「彼奴らの武勇は確かに脅威だ。だが、余人をもって替えがたいというほどではない。余はな、魔将グルファンこそ最も目障りな敵将と考えておる。武断的な魔皇国のバカ共は、グルファンを弱将と侮って冷遇しておるがな。奴を消せば向後数年、魔皇国の軍事行動はおおきく掣肘されることになるだろう」

「ならば今は、邪魔者を排除する千載一遇の好機となりますが」

「表向き戦略目標はレグリーデ要塞攻略ということで、諸将に触れを回せ。真の狙いは、魔将グルファンの首級」

 アルベレス大公は駒を将棋盤に打ち付けた。

「これで王手。ふふふ、余の勝ちだな」

「む、詰みましたか。参りました。殿下の勝ちでございます」

 アルベレス大公は西の方角をねめつけた。

(魔皇国め。長年煮え湯を飲まされてきたが、こたびこそ目に物見せてくれる。中原を人間の手に取り戻すのだ)

 高々二、三百年前まで全裸に腰布一丁で石斧を振り回していたような蛮族が、傲岸不遜にも文明国家の真似事をし、中原を占拠している。人間こそリムリア大陸の支配者に相応しいという信条を懐くアルベレス大公には、到底容認できるものではなかった。



 レグリーデ要塞を遠巻きに包囲したのち、総掛かりに出るでもなく、堅牢な陣地を構築し始めたゴルト・リーア軍。局地的かつ散発的な小競り合いはあったものの、戦局は概ね膠着していた。

「威力偵察がてら、アルベレス大公の感情を逆撫でして反応を見たいんだが。どんな手がいいと思う?」

「あんたもいい性格してるね。まぁ常道だけど、退路を扼すとか、兵糧の集積地を叩くとかかな。外連味はないけど、敵は大軍だからこの手の策を嫌がるんでない」

「さすがに対策を打ってるんじゃないか。老練なドルティーバが付いているしな」

「魔皇国軍でいちばん戦下手な俺に訊かれてもねぇ。あとはそうだな、空から一撃離脱の夜襲を連日繰り返して、睡眠を阻害するとか」

「地味だが効果ありそうだな。よし、それでやってみよう」


 ロゼル将軍率いるハルピュイア兵が、夜陰に乗じてゴルト・リーア軍にちょっかいを出す。空中散歩の途中、木樽に爆薬と金属片を充填した即席榴弾の導火線に火を点け、上空から自由落下に任せて適当にばら撒くという簡単なお仕事。

 最初の三日間、愛嬌の欠片もない贈り物にゴルト・リーア軍はなすすべなく右往左往していたが、四日目にして邀撃の態勢を整えてきた。

 今宵も日課の空爆に勤しもうと木樽を抱えてレグリーデ要塞を飛び立ったハルピュイア兵の部隊。ゴルト・リーア軍の陣地上空に達したところで奇襲を受け、四肢を引き裂かれて墜落していく者が続出した。

「ち。グリフォン騎兵か。者ども撤収!」


 一際大きな黄金色のグリフォンに騎乗したアルベレス大公が、悦に入った笑みを浮かべた。

「空中戦は貴様らの専売特許ではないわ。敵指揮官を識別できたか」

「魔将ロゼルがいるもよう」

「ほう、それはそれは。血祭りの供物に丁度よい。退路を断て。逃がすなよ。余自ら討ち取ってくれよう」



 人目を避けて森林の中を移動中のクッコロとミリーナだったが、ある日の野営中ゴルト・リーア軍の斥候部隊と遭遇しそうになり、転移で避難することになった。避難先で一息ついていると、ハルピュイアの成れの果ての肉片が空から降ってくる。

「うわっと。何事?」

「上空で戦闘が行われていますね」

 暗闇の中でミリーナの目が光っていた。

「さすがはケット・シー。夜目がきくんだね」

 クッコロも強化魔法をかけて目を凝らしてみたが、光量が乏しいためかよく見えない。思い付きで魔力感知を重ねてみたところ、視野が鮮明になった。上空でグリフォンとハルピュイアが、今まさに激烈な一騎打ちを展開中だった。

(軍服の紋章からして、ハルピュイアが魔皇国側かな。だいぶ押されてるな。グリフォンが相手じゃ旗色もよくないか。うーん……アルちゃんの家来だろうし、少しだけ助太刀しようかな)

 クッコロは黄金色のグリフォンを魔力波走査すると、魔石核を抜き取ろうと転移魔法を発動。が、耐性が高めなのか、阻害されてしまう。

(さすがに高位の魔物は簡単にいかないか。しからば)

 地面の石ころを無造作に拾うと、高強度の結界で包む。

(出力10パーセント身体強化)

 クッコロから滲み出す膨大な魔力が、渦を巻いて流動する。霄壤がまるで呼応するかのように鳴動。上空を飛翔する騎獣グリフォンやハルピュイア兵たちは、訳も分からず恐慌状態に陥った。

(命中させると問題になりそうだよね。牽制にとどめとこっと。うりゃ!)

 野球の投球のような動作で振りかぶり、夜空へ向けて石ころを投擲。石ころは彗星のように光の尾をひいて夜空をまっすぐに進み、すぐに見えなくなった。衝撃波に煽られて体勢を崩しかける黄金グリフォンの騎手。地上からの謎の狙撃を警戒したのか、一騎打ちはそのまま休戦となった。

 唖然としてクッコロを見詰めるミリーナに声をかける。

「これでよしっと。さあ、面倒事に巻き込まれる前にとっととずらかりましょ。道草食っちゃったね。はやく隠れ里行こ」


 クッコロはこの時、知る由もなかった。偶々空に向けて放った石ころが、遥か上空を浮遊する古代遺跡『天空城』の不可視結界に、大きな穴を穿ったことを。



「魔将ロゼルを取り逃したか……」

 一騎打ちは終始アルベレス大公が優勢だった。片足をグリフォンに食いちぎられ覚悟を定めたロゼルは、乾坤一擲の勝負に出ようとしていた。あのまま斬り結んでいれば、確実にロゼルの首を挙げられただろう。

(まあよい。どの道あの深手では、戦線復帰もままなるまい。問題は、地上から横槍を入れた奴だ。いったい何者か)

 グリフォンが怯えるほどの尋常ならざる闘気。十二魔将屈指の実力者と囁かれるカルマリウス将軍の名が、アルベレス大公の脳裏に浮かんだ。

(だがあの女は、ここから遠い征旅の途上にある。誰かほかの魔将を密かに派遣してきたのか? 謀略に長けた魔皇のことだ。ありうるな)

 今一度情報を吟味し、戦略を練り直す必要があるかもしれない。

(だが、不確定だからこそ面白い。これだから戦争はやめられん)

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