第22話 亡者の城


 険阻なルーヤ山脈の杣道を進むクッコロとミリーナ。

「クッコロ様、すごい健脚ですね」

 道案内のミリーナは当初、クッコロが途中で音を上げることを予想していたが、案に相違して平然と追随してくる。同行者への配慮に満ちた山歩きは、次第に野生のましらの如き全力疾走へと変化していった。山岳地帯の踏破に慣れたケット・シー族のミリーナ。人間の少女たるクッコロの後塵を拝してなるものかという対抗心がなかったと言えば嘘になる。

「あー、強化魔法でズルしてるからね。普通に走ってたんじゃ、とてもミリーナちゃんについてけないよ。忍者だねまるで」

「ニンジャ?」

 知らない言葉に首を傾げる。

「日も傾いてきたし、今日はこの辺で野宿する?」

 汗だくで息も荒いミリーナに比べ、クッコロは涼しい顔だ。この娘を常識で測るのは金輪際やめようと決めたミリーナ。

「もう少し分け入った所に瀑布がありまして。滝の裏側が洞窟になってます。そこで野営しましょう」

「水場があるのか。じゃあ今夜はお風呂かな。この近くに町とか村は……ないよねやっぱ」

「廃墟ならありますが、夜になると大量のアンデッドが出ますね。ルーヤ山脈からカルムリッテ平原にかけての一帯は、その昔ゼラール帝国とフォルド連邦が激戦を繰り広げた古戦場が至る所にありますので。それはもうアンデッド天国と称してもいいくらい猖獗を極めてます。こんな山奥じゃ、野辺の屍をわざわざ供養する奇特な聖職者もおりませんから」

「なるほど……」


 野営予定地の滝裏洞窟に着くと、食事の準備は旅慣れたミリーナに任せ、クッコロは露天風呂造りに取り掛かる。

「文字通り穴場だけど、ちょっとここ寒くない? レナード効果でマイナスイオンは豊富そうだけど」

(レナード効果? マイナスイオン? 魔法学用語かしら)

「その代わり、夜間魔物に襲撃される危険性はほぼないので、不寝番の必要がありません。鼻が利く魔獣も、この場所は嗅ぎ付けられないでしょう」

「なるへそ」

 食材は、道すがらミリーナが礫打ちで仕留めた一角兎や小鹿だ。クッコロが転移魔法で血抜きしミリーナが解体した肉が、かなりの量『空間収納』に永久保存してある。

「足りない食材とか調味料あれば、リスナルまで買い出しに行くから遠慮なく言ってね。まぁ野営の醍醐味から逸脱する邪道かもだけど」

「ははは……背嚢からちょっと物を取り出すような気安い感覚ですね」

 危険で不便な旅程も、クッコロが共にいるだけで快適な物見遊山と化すようだ。いっそ宿泊の時だけあの壮麗な宮殿に帰還してはどうかと具申したこともあるのだが、そこは野営に謎のこだわりがあるらしく却下された。


(結界で浴槽成形してもいいけど、それだと風情に欠けるしな。ここはやっぱ岩で造るか)

 という訳で手水鉢のように岩を半球状に刳り抜き、滝壺の水を転移魔法で張ってみた。が、水漏れしているようで、水位がどんどん降下する。

(あちゃー、転移魔法で掘削した時割れたかな。何か目地材なるものはと)

 ふと、『空間収納』に魔物の骨や皮が大量に死蔵されている事を思い出す。

(膠って目地材に使えるかな? でも作るの手間暇かかりそうだな。いや、転移魔法でコラーゲン抽出して加熱したらいけるか?)

 あれこれ試行錯誤していると、ミリーナに声をかけられた。

「先ほどから熱心に何を拵えていらっしゃるんですか?」

「いや、お風呂造ろうかと思って。旅の垢落としたいじゃん」

「ああ、なるほど。入浴は貴族の嗜みと聞いたことがあります。やはりクッコロ様は貴族の御出身なのですね」

(貴族ってゆうか奇族だわね。異世界に転生するわ転移で里帰りするわ)

「ミリーナちゃんは普段どうしてるの? お風呂」

「あたしたちは流浪の民なので、入浴の習慣はありませんね。川や泉があれば行水する程度です」

(どうりで。海でこの子拾った時、ちょっと臭かったもんね。青の月アグネートの屋敷で療養中は、メイドさんたちの魔法で洗身してたみたいだけど)

「オータムリヴァ商会に勤務するからには、今後入浴を習慣づけてほしいかな。たぶん貴族と商談するシーンもあると思うから」

「わかりました」


 結局、結界の薄膜で岩風呂をコーティングすることで問題を解決。恒久的な施設にするわけではなく、今夜限りの仮初の野営地なので横着した。

 夕食後、遠慮するミリーナを誘って二人で湯に浸かる。

「温浴、なかなかいいものですね。貴族の贅沢とされるのも納得です。全身が弛緩して――なんだかうとうとしてきました……」

「ちょ! お風呂で寝たら危ないよ。溺れるから」

 その後のぼせたミリーナを介抱し、クッコロもまた床に就いた。滝音を聞きながら眠りに落ちる。


 深更。妙な気配を感じて目を覚ますクッコロ。すぐに周囲の結界玉と情報を共有。

(どこかの軍隊か。何かの作戦行動中かな?)

 全身甲冑の兵士たちが、川の浅瀬を渡渉している。

(え? まじか……あのプレートアーマー、なんか見覚えあると思ったらゼラール帝国のだ)

 クッコロが身を起こすのを察知したのか、ミリーナも目を覚ました。

「魔物の襲撃ですか?」

「そんなんじゃないんだけど。ちょっと気になるんで見てくるね」

「あたしも行きます」

 謝絶すべきか迷ったが、転移で逃げるにせよ一緒に行動したほうがいいかもしれない。


 謎兵団の追跡を開始する二人。

「アンデッドですね、あれ」

「分かるの?」

「昔何回か討伐依頼こなしたことありますので」

「へー、ミリーナちゃん冒険者だったんだ」

「冒険者証目当てのなんちゃって冒険者ですけどね。ある程度戦闘の心得さえあれば登録は容易ですし、身元の詮索もされませんので。異国間の往来する人は、身分証代わりにたいてい取得してるんじゃないですか、冒険者証」

 クッコロは『空間収納』から冒険者証を取り出した。

「実はあたしも持ってるんだ。アルボー級のぺーぺーだけどね」

アルボー級? うそ……てっきり有名な二つ名持ちかと」

「ミリーナちゃんのランクは?」

「あたしはアウル級ですね。同郷の仲間二人とパーティ組んで依頼こなしまくったので」

「おー! んじゃ冒険者業界の先達だね。今後はミリーナ先輩と呼ぼうかな。お仲間はどこかで冒険者活動頑張ってるの?」

 ミリーナの表情が翳った。

「二人とも死にました」

「そっか」

 クッコロは賢明に深入りを避けた。


「警邏でもしてるのかな」

「案外肯綮に中っているのかもしれません。アンデッドの行動は、生前の習慣の影響を受けるらしいので」

 クッコロは夜空を見上げ、二つの月といくつかの星の位置を確認した。前世の記憶が徐々に甦る。

「この辺りに、レグリーデ要塞の支城がひとつあったはず」

 ミリーナは首をかしげた。

「この辺に城なんてあったかな……お詳しいんですね」

 しばし謎兵団を追尾しているとやがて森が途切れ、二重の城壁を備えるなかなかの規模の城が忽然と姿を現した。

「本当にあった……」

 青白い篝火がそこかしこに揺らめき、骸骨の兵士たちが巡回している。息苦しいほどに濃密な妖気が、城の周囲一帯に漂っていた。

(位置的にトルーゼン城だよね、ここ)

 前世のクッコロ・ネイテールが十八歳だった折参陣した、第三次カルムリッテ会戦。ゼラール帝国とフォルド連邦が干戈を交えた一大決戦の、前哨戦の舞台となったのが、今まさに目前に佇むトルーゼン城だった。

 連邦軍に包囲されて籠城する事三ヶ月。結局救援が間に合わず落城。城将以下兵士二千、全員城を枕に壮絶な討死を遂げたという。

(ここの城将、ナーヴィンだったっけ……)

 帝国軍幼年学校の同期だった男だ。ナーヴィンはなんとか子爵家の五男坊という微妙な出自だったが、飛竜交感適性が判明して騎士団配属になる。見習い騎士時代は同じ兵舎で寝泊まりし、鬼教官タルガット・カルロ男爵のしごきを一緒に受けるなど苦楽を共にした仲だ。互いに騎士叙勲を受けた後も、帝都下町の飲み屋に繰り出して剣術談義に花を咲かせたり、初陣の武勇伝を自慢し合って気炎を上げたりしたものだ。

 彼との再会は、第五軍に配属されたクッコロがレグリーデ要塞に着任した時。偶然廊下ですれ違い、久闊を叙したのだ。人懐こい笑顔で、トルーゼン城の城将に抜擢されたと喜び勇んでいたナーヴィン。思えばあれが今生の別れであった。


「ゼラール軍かフォルド軍、どちらかのアンデッドなんだろうなぁ。いずれにしても厄介ですね」

 ミリーナの言葉が、クッコロを追憶から引き戻した。

「厄介というと?」

「アンデッドは年を経るごとに怨念が深まってより強力になるんですよ。千年物のアンデッドになると、ワイトに進化する個体も現れるそうで」



 セルドは『肝っ玉食堂』での住み込みアルバイトを未だに続けていた。当座の活動資金を得るためだの、情報収集のためだの、それっぽい理由を付けて自分を納得させていたが、要はトルアのまかない飯に胃袋を掴まれていたのだ。

(逐電は何時でも可能なんだ。もう少しここに滞在してみよう。ラドラスは冒険者が多い。クッコロ・メイプルの情報を持ってるやつがいるかもしれん。……ひもじい思いもしなくてすむしな)

 早朝の薪割りを終えて一息ついていたところ、トルアに声をかけられた。

「おはようセルド」

「ああ。おかみさん、おはようございます」

 斜に構えて周囲を見下す態度をとっていたセルドも、アルバイトを通じて海千山千の冒険者たちに揉まれるうち、美味い飯を提供してくれる雇用主に敬語で接する程度には険が取れてきていた。

「ところで、人化が解けてるよ」

「うわっと」

 トルアがにやりと笑った。

「やっぱり魔族だったか。人間にしちゃ身体能力が高すぎると思ってたんだよ。そう構えなさんな。ここはアルヴァント魔皇国――あんたら魔族の国だ。この国に、魔族を迫害しようなんて命知らずの人間はいやしないさ」

「はあ」

「あたしがリグラト王国で冒険者やってた時分とは隔世の感があるよ。オークやゴブリン、リカントロープなんて討伐の対象でしかなかったからね。昔の魔族は、あんたみたいに流暢に人語を話すやつもいなかった。今じゃ国を建てて、大陸列強の一角を占めている。たいしたもんだよ。あんたら魔族が、魔皇を神のごとく敬慕するのも分かる気がする」

「そうだな。あの御方は我々にとって、まさに救世の女神そのもの」

「まぁあんたもいろいろ訳ありなんだろうから、詮索なんて野暮なことはしないさ。ウエイター続けるなら、従来通り人間の振りしとくれ。今のご時世、まだまだ魔族に隔意を懐く人間も多いからねえ」

 人化にさほどの肉体的負担はない。が、ずっと人間の姿でいると、魔皇国貴族から奴隷へと零落した事実を否が応でも思い起こし、セルド的にいたく矜持が傷つくのだ。しかし、逆賊の血縁者として追放された身の上だ。リカントロープの姿で国内をほっつき歩くのは、向こう見ずなセルドといえどもさすがに憚られた。

「それにしても、リカントロープの姿だと迫力が段違いだねぇ。さぞかし腕に覚えもあるんだろう」

 久々に自尊心を擽られたセルドは得意満面。

「最初にこの形態で手合わせしていれば、おかみさんに不覚を取ることもなかったと思うぞ」

「ふーん、じゃあすこし肉体言語対話オハナシしてみるかい?」


 数分後。顔を腫らして地面に突っ伏すセルドと、セルドの背に腰かけて寛ぐトルアの姿があった。

「ま、まひりまひゅた……」

「弱すぎる。闘気の使い方がてんでなっちゃいない。あんた、それじゃあ宝の持ち腐れだね。なまじ並外れた身体能力持ってるもんだから、それに頼り切ってるんだよ、あんたの闘い方は。もっと闘気を練り上げにゃ」

「闘気を、練り上げる?」

「魔法使いたちは身体の魔力回路に魔力を循環させるとか小難しい理屈を唱えてるけどね、あれとまったく一緒さ。業界が変われば用語も変わるだろ? そして闘気を自在に操れない戦士は、どんなに優れた素質を持っていようとも、上のステージには進めない。絶対にね。――見ててごらん」

 腕まくりするトルア。

「十分に練った闘気を纏えば、あたしみたいな非力な婆ちゃんの細腕でも、岩を砕くくらい朝飯前なのさ」

「いや、岩を砕くくらい、俺でも出来るんだが……」

 微光を発するトルアの手。野原に鎮座する巨岩に軽く手を触れた次の瞬間、将棋盤の目のような縦横の線が浮き上がり、堆い立方体の山に変わった。

「なっ……」

「あたしゃどんな食材も手刀で微塵切りに出来るよ。包丁いらずさ」

 そう嘯いて笑うトルア。セルドは唖然としていたが、やがて居ずまいを正して手をついた。

「……おかみさん、いや、師匠。俺を弟子にしてくれ。貴女の技を、俺に授けてもらえませんか」

「まぁ、別に構やしないけど。あたしも長年かけて編み出したレシピの数々を廃れさすのは忍びないと思ってたんだ。けど、料理人修行は厳しいよ?」

「いや、料理人じゃなくて! 格闘技のほうです。何卒!」

 トルアはかなり残念そうな顔をした。

「なんだい、そっちかい。あたしゃ料理が現役で、武闘家は引退した身なんだけどねぇ。まぁいい。そうだ――ついでに料理の技術も仕込んでやるよ。サービスだ」

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