第20話 ケット・シーの娘
その日クッコロは、性懲りもなく灯台岬に釣りに来ていた。釣果は相変わらずサッパリだったが、海水浴中の猪の魔物と遭遇し、魔石核を抜き取って討伐したところだった。
(まぁ、海を眺めながらバーベキューてのも乙なもんだよね。おし、今日はナイフで解体に挑戦してみよう)
剣は何度試しても持てないが、ナイフや斧や鉈は普通に持てることをつい最近発見したクッコロ。
流木を拾い集めて火を起こし、大気から抽出した水を結界で成形した鍋で沸かす。魔物の巨体を煮て、鋼のような剛毛を丹念に剃っていく。途中臭いに吐き気をもよおし、結界玉で鼻栓するなど試行錯誤しつつ解体を進める。
(モツ好きだけど、素人だし、今日のところは内臓はやめとこう)
日本にいた頃家族で焼肉屋に出かけた際、ホルモンの皿によく箸を伸ばしては、父恭太郎に「好みがオヤジ臭い」と揶揄われたのも、今となってはひたすら懐かしい。
(確か湯引いて薄膜剥いだり、小麦粉まぶして洗浄したり、動画サイトで見たことあるな。そのうちやってみるか)
上空では肉を狙ってか、名も知らぬ猛禽類が集まってきていた。
(解体も、冒険者で食べてくなら必須の技術なんだろうなぁ。機会があれば、ギルドの講習会受講したほうがいいのかも)
転移魔法を駆使すれば、解体など瞬時に思いのままなのだが、この日はたっぷり時間をかけて作業に没頭した。
(やれやれ……昼食のつもりが夕飯なっちゃったな。本職の肉屋とか料理人のスキルって、やっぱすごいね。さ、焼くか)
結界板を鉄板代わりにしてみたが、どうも熱伝導率がよろしくない。
(そっか、網状に成形すればいいのか)
そんなこんなで野趣溢れる夕食を堪能していると、念話が入った。メイド長メアリだった。
『クッコロ様。先日保護なされたケット・シー族の娘が、意識を取り戻しました』
『お。了解です。
ミリーナが目覚めたのは水平線が一望できる部屋だった。ここが
(立派なお屋敷)
まるで高位の貴族が住まうような贅を尽くし、かつ洗練された普請。流浪の民であるミリーナには一生縁遠いと思える世界だ。
(助かったの、あたし)
確かカモメ亭とかいう場末の酒場で不用意な情報収集を敢行したところ、一服盛られて奴隷商に売られたのだ。そして剣奴選抜の殺し合いをさせられ、首に重傷を負った。もう助かる見込みはないから海へ捨てろ云々という奴隷商の部下たちの会話を、遠のく意識下で耳にした気がする。
(首の傷、治ってる。傷痕もないわ。たぶん、高度な治癒魔法が使われたのね。『隷属の呪紋』は――そのままか。あれ?)
ミリーナは魔法知識に明るいわけではなかったが、部族の調査員に選抜されるだけあって観察眼は優れていた。
(魔法文字の記述が変わってる。てことは、誰かと契約したってことだよね)
おそらくこの屋敷の主だろうと見当を付けた。
(けど、たかが奴隷にここまでの待遇するかな?)
豪奢なベッドや清潔な衣服を見渡して困惑するミリーナ。
(ひょっとして、性奴隷としての奉仕を期待されてるのかしら? だとしたら、付け入る隙があるかも……)
彼女は自分の容姿にさほど高い評価を下してなかったが、ケット・シーは稀少な種族だ。稀少種族を愛玩動物として愛でる特殊な性癖の人間も、一定数いると聞いたことがある。
あれこれ煩悶していると靴音が聞こえ、ドアの前で停止。ミリーナに緊張がはしる。ノックの音がしてドアが開いた。黒髪の少女と両目を縫合したメイドが入ってくる。
「気分はどうですか?」
どう答えたものか逡巡していると、メイドが言った。
「この方は当屋敷の主クッコロ・メイプル様。マーティス海で漂流していたあなたを救助し、治療を施してくださったのです」
「それは……生命を救っていただき、ありがとうございます。申し遅れました。あたしはケット・シー族のミリーナと申します」
さしあたりこの謎の人物たちの機嫌を損ねないよう、ミリーナは従順に振る舞うことにした。何故か黒髪の少女――クッコロ・メイプルが感動の面持ち。
「おお、猫耳さんが喋った……語尾ににゃ! とか付けないんですね。さすがにあれは創作か」
「はあ……」
ミリーナは返答に窮し、話題を変えることにした。
「あの、不躾な質問をお許しください。あなた様が、あたしのご主人様なのでしょうか?」
「ああ、『隷属の呪紋』の事ですね。主人未設定の野良奴隷状態だと、あなたに色々不都合が起こる危険性があると助言されまして。あなたにとっては不本意でしょうが、応急措置としてあたしを主人として契約させてもらいました」
丁重に一礼するミリーナ。
「いえ、御配慮ありがとうございます」
(やった。この子、かなりのお人好しだ。なんとか丸め込んで、現状打開に持ち込めないかな)
見慣れぬ装束を纏っているが、貴族令嬢もしくは若い女貴族当人だろう。穏健で良識的な人物という印象を懐いた。命の恩人の好意に付け込むようで若干良心の呵責を覚えるが、お人好しを搾取の対象と見做すのは、この世界のごく基本的な処世術である。
(当面の方針は、この子に媚び諂って信頼を得ることかな)
そんな思索を巡らせていたミリーナだが、クッコロの次の言葉にはさすがに唖然とした。
「んじゃ、無事意識戻ったし怪我も完治したようなので、奴隷から解放しちゃいますね。よっと」
クッコロが何やら虚空に魔法文字を描くと、ミリーナの胸元の『隷属の呪紋』が薄くなって消えた。
「え……まじ?」
猫をかぶっていたが思わず素が出てしまう。
「ではメアリさん。あたし一旦エスタリスに戻ります。ミリーナちゃん連れていきますね」
「かしこまりました。いってらっしゃいませ」
体が光で包まれ軽い浮遊感を覚えた次の瞬間、視野が一変していた。
(幻術?)
「ここはあたしが泊ってるエスタリスの宿です。大丈夫、古いけど清潔ですよ。この部屋の先住生物の諸君には、旅に出てもらいましたから」
先住生物が奈辺を指すかは聞かずにおく。心なしか背中がむず痒くなったのは気のせいであろう。
「このたび、ここエスタリスで新規に事業を立ち上げることになりまして。ついては弊社、じゃない当オータムリヴァ商会では、従業員……奉公人を大募集しております。ゼラール語、じゃなかった大陸公用語の読み書き、算盤の出来る方はしかるべき待遇で雇用いたします。ミリーナちゃんどうかな?」
(この国の貴族じゃないのかな?)
言葉の端々に垣間見える齟齬で、クッコロがこの地の風習にやや疎いことを的確に見抜くミリーナ。
(異国の貴族か大商人の娘が、道楽か社会勉強の一環として事業を始めようとしてる――そんなとこかしら)
だが、慧眼のミリーナをもってしても腑に落ちない事がある。
「ひとつ伺いたいのですが、あたしを奴隷から解放なさいましたよね? 何故なんでしょうか? 普通に奴隷のままあたしを使役するほうが、どう考えても合理的だと思うんですが」
合理的に算盤を弾く商人としては、らしからぬ善意に思えて不気味だ。
「ああ。あたしの育った国では、理不尽な搾取は忌み嫌われますからねぇ。ブラックつってね」
「あたしなんかに恩恵を施しても間尺に合いませんよ」
「辞めたかったらいつでも辞めてもらってかまいませんよ。もちろん労働には正当な対価を支払います」
クッコロはそう言って、あっけらかんと笑った。よく分からない人というのが正直な感想だ。
(たぶんこの人は、あたしが途中で逃げだしても笑って許容してくれる気がする。とてもおおらかで、つかみどころのない人。だけど……)
ミリーナの勘が頻りと囁く。この娘だけは、絶対に敵に回してはならない。
(根拠なんてないけど、この不思議な子は、ケット・シー族を庇護する力を持っているんじゃないかな。しばらく仕えてみて、人となり観察してみるのもありかもね)
ミリーナは熟慮するふりをした。
「分かりました。これも運命神のお導き。クッコロ様のオータムリヴァ商会で雇ってください。よろしくお願いいたします」
「おお、そうですか! よかった。起業したてで人手はいくらでも欲しかったので助かります」
「人手……商業ギルドで募集をかけるのですか?」
「まだ商業ギルドには未登録なんですよ。まぁこの国の上層部にはちょっとした伝手があるので、申請さえすればすんなり通ると思います。人手に関しては、奴隷の大量購入を考えてました」
ミリーナが考え込む。
「あの、クッコロ様。差し出がましい提案をお許しください。もし人手がご入用でしたら、あたしの部族の者を呼び寄せましょうか? 遠方なので、連絡にかなりの時間を要しますが……」
「どれくらい?」
「順調に事が進んだと仮定しまして、商業ギルドの早飛脚を利用して連絡員に書簡が届くまで一ヶ月。連絡員から部族の隠れ里まで更に半月。準備と身辺整理に半月。隠れ里からエスタリスへの移動に三ヶ月。〆て五ヶ月は必要かと。あたしが直接出向けば、一ヶ月程度短縮できるかもしれませんが」
「隠れ里?」
やはりそこを聞き咎めるか。ミリーナはすこしばかり胸襟を開いてみることにした。
「ケット・シー族は大陸東方で迫害されておりまして。人里離れた山奥に隠れ里を築いて、部族ごと隠遁しているんです」
クッコロは頭を掻いた。
「大陸東方の地理はよく分かんないからなぁ。レグリーデ要塞ってまだあるのかな? 昔、ゼラール帝国の第五軍が駐屯してたお城なんだけど」
「ありますよ。今は魔皇国のなんとかって将軍が駐留していたと思います」
「レグリーデ要塞からだと、ミリーナちゃんの部族の隠れ里までどれくらい? 移動時間換算で」
「そうですね……十日前後でしょうか」
「ふむふむ。じゃあレグリーデ要塞でいいか。他に目印なりそうな場所知らないし」
クッコロは瞑目して、なにやらよく分からない事を呟き始めた。
「外気圏周回中の結界玉を向かわせてっと。高度あるから解像度よくないな……確かこの辺がカルムリッテ平原で、あれがルーヤ山脈。山麓のどこだったかな、場所。ワイバーンに騎乗してよく偵察に出てたんだけど、昔の事だからうろ覚えだな。お、あった!」
「クッコロ様?」
クッコロがミリーナの手を握ってきた。
「善は急げ。今からレグリーデ要塞へ跳びます」
「はい――え?」
(何言ってんの、この子)
先ほど同様体が光で包まれ、浮遊感にとらわれる。光が収まった時、ミリーナの眼前に広がるのは寂寞たる荒野だった。吹きすさぶ砂塵混じりの風。
「レグリーデ要塞、昔のまんまだなぁ」
(そんな馬鹿な……エスタリスからレグリーデ要塞まで一瞬で移動したっていうの? 何千公里もの距離を? なんなのこの子……)
ミリーナは愕然としてクッコロを見つめた。
「なんか、お取込み中みたいなんだけど」
クッコロが砂塵の彼方に霞む城を指さした。
「……戦の真っ最中みたいですね」
「城を包囲してる軍勢の旗幟、どこの国のだろ。見たことないな」
「あれは――ゴルト・リーア大公国の紋章です。昨今、東方三梟雄の一人と言われるアルベレス大公の国ですね」
クッコロは首を捻った。
「聞いたことあるようなないような。たぶん、アルちゃんがぼやいてた三馬鹿の一人なんだろな」
「元はフォルド連邦を構成していた国の一つですね。近隣諸国を併呑して、今最も暴れ回ってるならず者国家です」
「あれが演習の可能性は?」
「ありません。アルヴァント魔皇国とゴルト・リーア大公国は、それこそ年中行事みたいにしょっちゅうやり合ってまして、犬猿の仲なんです」
「さて、どうしたもんか」
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