第19話 進化


「結界ごと抉られたわ」

 アルヴァントの防御創は痛々しく、右腕の前腕部が千切れかけて血塗れだった。

 クッコロの意思とは裏腹に、なおも手負いのアルヴァントに蹴撃を畳み掛けようとする身体。クッコロは最高強度の結界を成形して手枷と足枷を創り出し、自らを拘束した。呆れ顔のアルヴァント。

「器用じゃな。結界魔法をそのように使う者は初めて見た」

「手、大丈夫?」

「さすがの一撃だったぞ。久方振りに死を意識したわ」

「ごめんね。今治癒魔法を」

「妾の身体は治癒魔法とは相性が悪いのじゃ。なに、放っておけばじき再生が始まる」

 なんとも摩訶不思議な体だ。アルヴァントの細胞は、きっと再生医療の研究者あたりには垂涎物のサンプルだろう。

「じゃあ強化魔法かけたげる」

「それは助かる」

 一通り関節を動かして、再生した右腕の具合を確かめるアルヴァント。

「敵は糸使いじゃ。魔力糸に搦めとられると傀儡となって操られてしまうのじゃが……よもやクッコロほどの者をも操るとはな」

「あたしはまぁ大したもんじゃないけど……手強そうだね」

「賞金首と堕したが、元神金オリハルコン級冒険者じゃ。実力は折り紙付き。気を付けよ」

 クッコロは目を閉じて魔力走査に集中したが、影も形も見当たらない。脳細胞が焼き切れそうなほど強化魔法を重ね掛けしたところ、『隠形』の結界でコーティングされた極細の魔力糸を検知。鼻血が零れおちて、セーラー服に赤い滲みをつくった。

「なるほど、この糸か」

「見えるのか?」

(これ、逆探知できるんじゃない?)

 四肢に絡み付く魔力糸を魔力走査で辿っていく。

「術者見っけ」

「何? まことか!」

 転移魔法を発動して拉致。目の前に標的を引き寄せる。褐色肌の男が驚愕の表情でクッコロを見据えた。実体のある鋼糸で攻撃してきたが、アルヴァントが迎え撃つ。剣と鋼糸が立て続けに火花を散らした。

「貴様が【首狩り】か」

「いかにも。二度も下手を打つとはな。俺も焼きが回ったか」

「暗殺者にしては饒舌ではないか。もう引退したほうがよいのではないか」

「かもな。しかし、さすがは魔皇と言うべきか。魔将メーベルト以外にも、とんでもない怪物を飼っていやがる」

「口を閉じよ。彼女は妾の無二の親友ぞ。侮辱は許さぬ」

 会話しつつ、じわじわと位置取りを変える【首狩り】。明らかに遁走の機会を窺っている。

「逃げちゃダメです」

 手枷足枷を解除したクッコロが【首狩り】の背後に転移。肩に手を置いた。金縛りに遭ったかの如く硬直する【首狩り】。微かな身じろぎも出来ない。汗が頬をつたった。

「相手が悪かったの。観念せよ」

「おっと」

 奥歯に仕込んだ毒を呑んだようだ。気付いたクッコロが転移魔法で毒素を抽出。

「くっ、殺せ」

「勝手に死んでもらっては困る。背後関係を洗い浚い吐いてもらわねばの」

「俺が口を割る訳がなかろう」

「貴様の意思など問題ではないのじゃ」

 アルヴァントの鋭い犬歯が【首狩り】の首筋に食い込んだ。【首狩り】の目が徐々に焦点を失い、やがて恍惚とした表情を浮かべて気絶した。

「うわ、血ィ吸ってる……」

「言ってなかったかの。妾はエルダーヴァンパイアじゃ」

 【首狩り】が身を起こしてアルヴァントへ拝跪した。

「もう襲ってこない?」

「警戒せずともよい。この者はもはや妾の眷属となった。そなたのおかげで良い手駒が手に入ったわ。――これ、そこな下僕よ。そちの名はなんじゃ?」

「ドリュースと申します、我が君。我が永遠の忠誠を、あなた様に捧げたてまつります」

 クッコロに得意気な笑顔を向けるアルヴァント。

「ざっとこんなもんじゃ」

 クッコロは周囲を見回した。

「大騒ぎになってるね。あ、警備兵集まってきた」

「飲みに行く気分ではなくなったの。一旦リスナルへ帰還するか。手数をかけるが転移で送ってくりゃれ」

「了解。この人も?」

「頼む。下僕として調教せねばならんからの」


 宮殿の庭園に転移で降り立った三人。解散の間際、アルヴァントが言った。

「そうじゃ失念しておった。そなたの血を少し分けてくれぬか。二、三滴でよい」

「いいけど……あたしの血も飲むの?」

「魅力的な案じゃがさにあらず。ほれ、さっき話したセルドの件じゃ。『隷属の呪紋』でそなたを主人に設定する故。契約の儀式でそなたの血が必要なのじゃ」

「なるへそ」

 渡された親指ほどの小瓶に、数滴血を垂らす。アルヴァントが唾を飲み込んだ。

「う、美味そうじゃな……い、いや冗談! 冗談だとも」

 ジト目でアルヴァントを見る。

「あたしそろそろエスタリスに戻るよ。セルドさん連れてけばいいのかな?」

「そこまで懇切丁寧に御膳立てしては、彼奴の修行にならんのでな。身一つで世間の荒波に放り出す。己の才覚で路銀を稼ぎ、自ら情報を集めてそなたを捜索する旅になる。あの甘ったれにはよい経験となろう。これも愛の鞭といやつじゃ」

「あまり困窮すると、犯罪に走るんじゃない?」

「あれにも祖先の名声を穢さぬ程度の道徳心はそなわっておろう」


「じゃあまたね。おやすみ」

「またな。今日は楽しかったぞ。いい気分転換になったわ」

 クッコロを見送りつつ考える。

(妾もアル・チャンの名で冒険者登録してみようかの。クッコロと一緒に冒険するのも面白そうじゃ)

 しかし、アルヴァントの道楽を許容するほど魔皇国の置かれた状況は芳しくなかった。

(大陸東方の情勢が予断を許さぬか。ままならぬものじゃな)



 謀反人の子としてセルドに沙汰を申し渡し、クッコロを主とする『隷属の呪紋』を施したアルヴァントは、最後に言った。

「帰参の条件は唯一つ。先祖ラジールと同じくマーナガルムへの三段階進化を成し遂げてみせよ。さすれば改めて魔将の称号を授け、そなたと父グリードの名誉も回復してやろう」

 リカントロープの青年は絶望に打ちひしがれ、床に這いつくばっていた。アルヴァントは想いを断ち切るかのように左右に命じた。

「疾く城門よりつまみ出せ」


 装備や武器、所持金など一切合切を剥ぎ取られ、皇都リスナル外廓の不浄門からたたき出されたセルド。

「くそ……なんだって俺がこんな目に」

 将来を嘱望される若手将校として魔皇国宮廷に颯爽とデビューを果たし、魔皇アルヴァントにも目をかけられて、最年少で十二魔将の一人に抜擢された。まさに輝かしい未来が待ち受けていたはずなのに。どこで道を誤った。

(あの御前試合か。冒険者のガキに無様に敗北したあの時から、陛下の信望も失ってしまった気がする。そうだ、全てのケチの付き始めはあの時からだ)

 魔皇は非情にも、あの冒険者の少女に師事して薫陶を受けろと言う。しかも、まるで奴隷であるかのように『隷属の呪紋』を施された。栄えあるリカントロープの族長惣領たるこの自分がだ。セルドは屈辱に震えた。

(クッコロ・メイプル……貴様を探し出し、必ずや雪辱せずにはおかぬ。首を洗って待っていろ)

 不意に腹の虫が鳴った。

「その前にメシ……」



 私室に引き上げて寛いでいる時のことだ。アルヴァントはキャビネットの上に置かれた小瓶に目を留めた。

(クッコロの血がまだ少し残っておるな)

 時間経過で凝固した残滓とはいえ、親友からせっかく貰った血を破棄するのも忍びない。それは、クッコロの誠意への冒涜に思えたのだ。

 小瓶の樹皮栓を抜く。吸血鬼にとってはこの上なく芳醇な香りが鼻腔をくすぐった。脳髄が痺れるような感覚。唾液がとめどなく溢れてくる。

(捨てるくらいならば、妾が飲み干してしもうても問題あるまい。我が友よ、頂きますじゃ)

 アルヴァントは一思いに小瓶を呷った。

(む、魔力が増えた?)

 初めは気のせいかと思ったが、内在魔力が加速度的に膨張している。

(いかん……制御せねば)

 苦悶するアルヴァントは室内で七転八倒。高価そうな調度品が無惨に破壊される。異常を察知した侍女や衛兵が集まってきた。

「そのほうら下がれ! 妾に近寄るでない!」

 怒涛のような魔力の奔流にかき消されそうになる理性。アルヴァントは臣民を護るためなけなしの理性を掻き集め、己の周囲に結界を展開した。

(この感覚、憶えがあるぞ。まさか、進化するのか)


 アルヴァントは、この世界とは異なる世界で誕生した。この地の暦に換算して、おそらく千五百年は昔のことだろう。文明の程度もここリムリア大陸と似たり寄ったりの封建社会で、生家は辺鄙な田舎の領主だった。

 虚弱な人間の少女だったアルヴァントは、十歳になった頃不治の病を患い、余命は幾許もないかと思われた。一人娘を溺愛していた両親は、八方手を尽くしたがアルヴァントの治癒は叶わず、ついに禁断の秘術に手を出す。かくして一人のヴァンパイアが生まれ、覇道を歩み始めた。

 蠱毒の如き血塗れの生存競争を勝ち抜き、エルダーヴァンパイアへと進化したのが五百年前――この世界に召喚される少し前のことだ。アルヴァント自身は、あの進化によって観星ギルドに目を付けられたと考えていたが。


(エルダーヴァンパイアの上位存在というと、古文書に記されたエンシェントヴァンパイアしか思い当たらぬが。妾の魂の器が、進化の負荷に耐えきれるのか……)

 肩甲骨の辺りが盛り上がって蝙蝠のような翼が生え、端麗な額は裂けて第三の眼が出現。腕や脚には摩訶不思議な紋様が浮かび上がって明滅している。

(ダメじゃ……もう駄目じゃ、限界じゃ……自我が、呑み込まれる――クッコロ、すまぬ、どうやら今生の別れのようだ――)

 両親の顔は遥か遠い記憶の彼方で、よく思い出せない。アルヴァントがこの窮地で縋ったのは、最近できたばかりの友の面影だった。

『ん? 呼んだ?』

 クッコロののほほんとした念話が届いた。無意識のうちに、彼女に念を飛ばしたのかもしれない。

 クッコロの声を聞いた途端、あれほど荒れ狂っていた魔力の激流が、凪いで滔々と流れだした。その変化はあまりに劇的で、空恐ろしいほどだった。

『……夜分すまんな。寝言で呼びかけたかもしれん』

『夜更かしは美容の大敵って言うよ。――あ、アルちゃんはヴァンパイアなんだっけ。やっぱ夜行性で、夜の方が活性化するの?』

 空気も読まず、天真爛漫な雑談を開始するクッコロ。携帯電話で友達と駄弁る日本の女子高生そのままであった。

 アルヴァントは何やら拍子抜けして、笑いだしてしまった。

『どうかのう。夜の方が魔力が高まる感じはするが』

『そういやさ、日光浴びても平気なんだね。朝とか昼でも普通に野外活動してたし』

『灰になるとでも思ったか? 確かにヴァンパイアになりたての頃は、陽光が苦手だったが、エルダーに進化してからは、たいして気にならなくなったの』

『睡眠取らなくても大丈夫だったりする?』

『そなたの吸血鬼知識の出典が気になるのう。まぁおそらく不眠不休でも妾は死なぬが、夜は普通に寝るぞ。妾とて遠い昔は、ごく平凡な人間だったのじゃ。人間時代の生活習慣は、可能な限り続けるように心がけておる』

『ふーん、そうなんだ。おっと、もう寝なきゃ。おやすみ』

『うむ。よい夢をの』


 念話が途切れ、しばしの茫然自失。

(どうやら進化に成功したようじゃな。内在魔力が飛躍的に……というか、桁違いに増えとるの)

 体感だが、おそらくはエルダーヴァンパイアの軽く十倍以上の強大な魔力。

(この新しい体、十全に使いこなすにはかなりの期間、慣熟訓練が必要かの。うーむ……どう考察しても、クッコロの血が進化の発端じゃな)

 アルヴァントはぽつりと呟いた。

「クッコロ・メイプル。一体何者なのじゃ、そなたは……」

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