第18話 エスタリスの三頭会談


 妾腹の三男坊だったリュートルが、見習い水夫として交易船に乗り組んだのは十二歳の時だった。古株のたたき上げたちにどやされる日々は辛かったが、十年余にわたる下積みは、結果として部下たちの信頼を得るのにおおきく寄与したように思う。初めて自分の船を持ったのは二十五歳の時。何度目かの航海でマーティス海の沖合に無人島を発見。この島を根城に着々と力を蓄え、組織から独立する機会を虎視眈々と窺っていた。

 転機が訪れたのは三十八歳になった頃のことだ。父親と異母兄二人が相次いで殺され、思いがけず竜爪団の首領の座がリュートルに回ってきたのだ。敵対組織による暗殺であることは明白だった。組織の面目をかけた捜査の結果、実行犯はギランとドランという霊鉄ダマスク級冒険者の兄弟だと割れた。が、既にエスタリスから逃亡した後で、行方は杳としてつかめなかった。

 竜爪団はエスタリスの裏社会を牛耳る三勢力のひとつで一番の老舗だったが、同時に一番零落の著しい組織でもあった。先祖は貴族だったらしいが没落して既に久しく、時代がうつろった今、もはや御家再興を唱える者とていない。エスタリスに保持していたいくつかの権益も、新たな施政者たる魔皇国総督府や新興の海王会、ツヴァン一家らに奪取され、マーティス海に新天地を求めるしかなかった。

 リュートル自身交易と無人島の開拓に関心が向き、エスタリスの縄張り争いにはさほど興味がなかった。

「ぶっちゃけた話、俺ぁ陸のシノギにゃ未練がねぇ。エスタリスに残った縄張りもどこかに譲渡してえくらいだ。新任の総督代理のサイクロプスじじい、なかなか辣腕みたいだしな。このまま綱紀粛正が進むと、陸の商売はどんどんやりづらくなってくるぞ」

 子分の男にそう述懐する。

「譲渡といいますと、相手は海王会かツヴァン一家ですかい?」

「出来れば三竦みに持ち込みてえんだが、四番手以下の組織はどこもドングリの背比べだからな」

「三竦みですか」

 リュートルはテーブル上の燭台に顎をしゃくった。

「三竦みがいちばん安定しやすいんだ。ほれ、そこの燭台だって二本足じゃ不安定だろ」

「なるほど。けど今の情勢じゃ三竦みは難しそうですぜ」

「それなんだよ。海王会は鼻薬を利かせてた狼総督が失脚して落ち目だしな。そのうちツヴァン一家に併呑されるかもしれん。かと言って海王会のクソ野郎どもに肩入れすんのも面白くねえ。オヤジと兄貴たちを殺ったの、十中八九あいつらの差し金だろ」

 表裏の奴隷貿易を仕切る海王会と、賭博と麻薬密売の元締めツヴァン一家。そして昔気質の海賊竜爪団。エスタリス三勢力のバランスは崩壊しつつあった。

「どうしたもんかねぇ」

 その時子分の一人が書斎に駆け込んできた。

「お頭。カモメ亭から伝書鳩が来やした」

「珍しいな。なんか椿事でも勃発したのかね」

 リュートルは伝書鳩の足環を開いて舌打ち。

「ご丁寧に暗号で書いてやがる。慣れねえ事しやがって。読めるかこんなもん。おい、俺の文箱から解読表持ってこい」


「お頭。カモメ亭の密書には何て?」

 苦虫を嚙み潰したようなリュートルに恐る恐る声をかける子分。

「招集状だ。緊急の三頭会談を開くんだとよ。あの狸親父と女狐に会って丁々発止せにゃならんのか。行きたくねえ……」



 倉庫街に立ち並ぶ古い煉瓦造り倉庫のひとつに、エスタリスの裏の顔役たちが集結していた。海王会会頭にして、表の顔は奴隷商人であるガラント。ツヴァン一家棟梁にして、表の顔は置屋の女将であるターリス。竜爪団首領にして、表の顔は交易船ランザー号船長リュートル。そしてカモメ亭マスターで情報屋のバルシーズ。

 三頭会談という通知だったが、円卓の席は五つ用意されていた。バルシーズは部屋の端に控えていたので、空席が二つ。

「で、海王会の。本日の招集の趣旨を教えてくんねえか」

「私は知らん。ターリスに聞け。ったく、このくそ忙しい時に招集をかけおって」

「あら、私じゃないわよ。あなたが発起人ではないの? リュートル」

 リュートルは頭を振った。

「俺も違うぞ。どういうことだ? バルシーズ」

 カモメ亭のマスターがひどく怯えた顔で言った。

「招集状を出したのは俺だ。あんたたちに会わせたい方々がいる……」

 三頭目から発せられる威圧感が増す。

「貴様、どういうつもりだ。事と次第によってはマーティス海に沈んでもらうぞ」

「……すまん。だが、あんたたちもあの方々に会えば分かる」

「あの方々とやらはどこにいるのかしら? 私も暇じゃないの。早く連れてきなさい。下らない用件だったら、あなた殺すわよ」

「間もなくおみえになるだろう――いらしたようだ」

 バルシーズの言葉が終らぬうち、床に出現する魔法陣の光輝。次の瞬間、異国の踊り子のような装束の少女が二人、その場に立っていた。見た瞬間、リュートルの背筋に怖気が走る。

(鳥肌だと……この俺が、年端もいかねえガキにびびってるっつうのか)

 見事な剣を佩いた白覆面と、徒手空拳の黒覆面の少女二人組。背格好からして、十代半ばくらいだろう。だが、その佇まいは圧倒的な強者の威風に溢れている。

(……ありゃ敵に回したらヤバいやつだ。参ったな、生きた心地がしねえや)

「こちらへどうぞ」

 バルシーズはもはや召し使いのような甲斐甲斐しさで、二人を席に案内している。

 円卓を囲んで五人が着席し、場に沈黙が下りた。しわぶき一つない。

(なんだ? 黒覆面のやつ、メンチ切ってんのか。喧嘩上等――と言いてえとこだが、ここは自重だな)

 黒覆面の少女が、先程からリュートルを凝視してくる。リュートルは針の筵に耐えた。


 転移扉で部屋に降り立った瞬間、クッコロは一人の男に刮目した。

(え? 養父上にそっくりだ……)

 アルヴァントから念話。

『交渉は妾に任せておけ』

『了解っす』

「さて、本日は面談の機会を設けていただき感謝する。まずは名乗ろう。わらわ……私の名はアルヴァ――アル・チャンと申す。以後お見知りおき願いたい」

 アルヴァントが本名を名乗ろうとしたので、クッコロは咳払いで遮った。その偽名はどうなのよと思ったが、黙っておく。

「あたしはクッコロ・メイプルです。よろしく」

 バルシーズに促されて、渋々ながら三頭目も名乗った。

「俺はリュートル・ネイテール。交易船ランザー号の船長をやっている。つうのは表向きで、竜爪団というしがない海賊団を率いているケチな野郎だ」

 クッコロはさもありなんと頷いた。

(やっぱネイテール侯爵家の子孫なんだろうなぁ。竜爪の意匠って、確かネイテール家の紋章だし。この人は、養父上を若くしてもっと精悍にした感じ。いるんだなぁ、子孫って。アルちゃんとこにメーベルト大将軍の子孫ぽい人もいたし。陛下の子孫も、どこかにいるのかな……)

「我々は平常遠国で商売をしているのだが、この度この街に進出し拠点を構えたいと考えている。ついてはこの街の裏を取り仕切る諸賢にご挨拶をと思った次第」

 ターリスが挙手した。

「いいかしら。率直に訊くのだけれど、お嬢さん方は堅気なのかしら? それとも私たちの業界の人? 私としては、異国の得体のしれない同業者は、あまり歓迎できないのだけれど」

「ターリスと同意見というのは業腹だが、私も拠点設置は容認しかねるな。まぁ取引の内容次第では、客分として便宜を図るのもやぶさかではないが」

 高価そうな円卓に亀裂が走る。柱や梁が軋んだ。

(アルちゃんキレるの早いよ……いや、これも交渉術の手管なのかな)

「お前たちの意向などどうでもよい。我が組織の総帥、クッコロ・メイプル様がこうして直々に出向いておられるのだ。大人しく我らが傘下に入り、慈悲を乞うのが筋ではないのかね?」

 俄かにクッコロへ注目が集まった。

『ちょっ! 聞いてないよ! そこはアルちゃんが適役でしょう?』

 念話の苦情は無視される。クッコロは懸念を深めた。

(この人、悪ノリして遊んでるんじゃ……)

「つまりなんだ、俺たちゃ今宣戦布告されているわけだ」

 剣の柄にさりげなく手を置いているリュートル。

「宣戦布告などしておらん。降伏を勧告しているのだ」

「舐めやがって……んじゃ、今から開戦ってことで」

 電光石火の抜剣。リュートルが円卓を飛び越えてクッコロに躍りかかる。頸動脈に迫る白刃を、片手の指で摘まんで受け止めるクッコロ。万力に挟まれたようにびくともしない剣。

(ドキドキ……つか、なんであたしが標的)

「化け物め……」

「いきなり総帥を的にかけるとは豪胆だな。しかし、蛮勇は早死にするぞ」

「知っとるわ! だがこの稼業、舐められたらおしまいなんだよ。日和るくれえなら、派手に玉砕したるわ」

 先祖は冷徹な政治家だったが、この子孫氏はなかなかの熱血漢らしい。アルヴァントも少し関心を寄せたようだ。

「なかなか見上げた気概。おみそれした。名を聞いておこう」

「いや、さっき名乗ったじゃねえか。竜爪団のリュートル・ネイテールだよ」

「有象無象の名など、いちいち記憶しておれん。しかし、貴様の名は憶えておこう。死ね」

 手刀に魔力を込めるアルヴァントを見て、クッコロが慌てて止めた。

「待ってアルちゃ――アル・チャン。取引相手はこういう気合の入った人がいいと思うよ。排除はもったいないよ。あたしは彼が気に入った」

 架空の組織の総帥に祭り上げられたクッコロは、がんばってそれっぽく振る舞ってみる。

「ふむ、うちの総帥がこのように仰せだ。命拾いしたな、若造」

「いやいや、ガキに若造と言われても……」



 港の夜景を堪能しつつ、夜の歓楽街を散策する少女二人組。

「三組織との協定が纏まって重畳じゃの」

「あたしはすごい気疲れしたよ」

「意外な展開で、妾は面白かったぞ。そなたを親分とする適当な組織をでっちあげねばの。クッコロ連合とかメイプル一家とかどうじゃ?」

「やだよ、かっこわるい……」

「妾のところから一人、若い衆を付けよう。そなたの下で修行させてやってくれ。そなたも知ってる顔じゃ。ほれ、以前そなたと試合して捻られたリカントロープの小童がおったじゃろ」

「あーはいはい、アルヴァント十二魔将の一人で狼牙将軍とか名乗ってた人ね。セルドさんだっけ」

「そのセルドじゃ。ちと甘やかしすぎて育成をしくじっての。『隷属の呪紋』を施してそなたに預けるゆえ、性根を叩き直してやってくれぬか」

「じゃあ商売のお手伝いお願いしようかな。人手いりそうだし。狼の手だけど。……人の手作業できるよね?」

「リカントロープは人狼じゃからの。完全な人化も可能なはずじゃ」

「そっか。じゃあオッケー」

(狼の手で思い出したけど、猫の手もあったな……あの子、どうなったかな。メアリさんから連絡ないけど。アルちゃん宮城に送ったら見に行ってみよう)

「商売と言えば、メイプル一家は何をシノギにするのじゃ?」

「うーん、やっぱ交易かなぁ。転移魔法と空間収納を駆使してさ」

「時空魔法の遣い手が営む交易商か。無双じゃの。ほどほどにしておかぬと、世界経済が覆りそうじゃ」

 深く考えてなかったが、確かにアルヴァントの指摘は一理ある。諸国の関税を完璧に回避できるうえ、造船や物流にまつわる関連産業に壊滅的な打撃を与えかねない。各方面からの怨嗟がすごいことになりそうだ。

「分かった。ほどほどにやるよ。別にお金稼ぎたいわけじゃないし」

「ではメイプル一家の門出を祝って、どこかで祝杯をあげようぞ」

「ちょっとアルちゃん……さらっとメイプル一家に確定しないでよ」

「すまんすまん。そなたは商いをやるんだったな。しからばメイプル商会かの」

 クッコロは思案した。

(うーん、秋川商事、秋川商店は某異世界と商標かぶりそうだし。ベタだけど和製英語にするか)

「オータムリヴァ商会」

「異国の言葉じゃな。如何なる意味じゃ?」

「秋の川、かな」

「ふむ。清涼感のある印象じゃの。詩的でよいではないか。名前も決まったところで飲みに繰り出すか」

「アルちゃん酒豪だよね。――あれ?」

「どうした?」

「いや、なんか体が変つうか、違和感が……うわ、勝手に動く! 気持ちわるっ」

「む? これは……傀儡の術か!」

 腰を落として構えるクッコロの拳骨に、空間が歪曲するほどの巨大な魔力が収束してゆく。まるで火山雷のように、摩擦で帯電したなにかの粒子がさかんに放電。

「避けて!」

 アルヴァント目がけて無造作に放たれる正拳突き。アルヴァントは顔を引き攣らせ、咄嗟に幾重もの結界を展開して衝撃波を逸らした。衝撃波は港の倉庫をいくつか粉砕し、海を割って進み、湾内に停泊する不運な大型帆船を真っ二つにした。

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