第17話 カモメ亭の顛末


 アルヴァントがクッコロに注意した。

「剣は佩いたほうがよいぞ。丸腰では娼婦と間違われかねん」

 アルヴァントの価値観からすると、水高女子制服はかなり煽情的なしろものらしい。

「あたし剣は持てない呪いがかかってるみたいで。なめられないように、全方位威嚇してのし歩こうか? 冒険者ぽく」

「冒険者とはそういうものなのか? というか、そなたが殺気を放って歩いたら、魂消た者どもがそのまま冥界に旅立ってしまいそうじゃの」

「アルちゃんの剣かなり目立ってるからいいんじゃない? あたし丸腰でも。てか、かなりの業物だよね、それも」

「手持ちの中からいちばん地味なのを選んでまいったのじゃが。まさか、そなたから貰った神剣グラムを佩くわけにもゆくまい。――して、行動方針はなんとする? 早速奴隷競売を覗いてみるか?」

「奴隷競売は隔週で開催されてるみたい。次のは三日後だってさ」

「一見客でも競売会場に入れるのかや」

「奴隷商会の紹介状がいるみたい。そこで顔つなぎに何軒かの奴隷商会はしごしてる最中なんだけど」

 アルヴァントが難しい顔をした。

「素見すだけでは、一筆書いてくれぬのではないか。何か買わぬ事には顔つなぎにもなるまい」

「そこはそれ、金貨を積めば柔軟に対応してくれるらしいよ。地獄の沙汰も金次第ってね」

「なるほど」

 日本の格言だが言わんとするところは通じたようだ。世界は変われどある種社会の真理なのだろう。

「競売に出品されるのは一級品の合法奴隷らしいんだけど、掘り出し物は案外各奴隷商会のドサ回りで見つかるんだってさ」

 バイリンガルにありがちなことだが、クッコロの大陸公用語には時折日本語が入り混じる。ドサ回りに首を傾げたアルヴァントだが、前後の文脈で意味は汲み取った様子だった。

「表の奴隷市場の概要は、ざっとこんな感じ」

「その言い方だと裏があるのじゃな」

「うん。非合法な奴隷を扱う地下オークションてのがあるんだって」

「短期間でその情報に辿り着くとは優秀じゃの。情報屋にかなりの金を積んだのか?」

「そんな危ない橋は渡らないよ」

 結界玉様様だ。

「手始めに港の倉庫街にあるカモメ亭って酒場行ってみたいんだけど、いいかな。奴隷買い付けに来た外国の表向き商人――まぁ海賊なんだろうけど、けっこうたむろしてるんだって。あと、件の地下オークション関係者とかも」

「よかろう。忍びで市中の探索するのは久方振りじゃ。腕が鳴る」

「荒事はほどほどにお願いね。あたしはか弱い女子なんで」

 アルヴァントのジト目。

「どの口が言うか」


 港湾地区へ移動するまでの間、夥しい数の無頼漢たちが絡んできて、いささか辟易する二人であった。

「小うるさい虫けらどもめ。エスタリスごと地上から消し去ってやろうかの」

「やめたげて。アルちゃん人目引くから覆面でもしたほういいかもね」

 同性のクッコロすら思わず見惚れる美少女だ。この界隈の男どもには目の毒だろう。

「べつだん『魅了』の術は使っておらんのじゃがの」

「アルちゃん美人だもの」

 アルヴァントは照れくさそうに頬を染めた。

「外見の美醜など所詮は主観じゃ。時代によって人々の嗜好も変遷するのをこの目で見てきたからの。空疎な阿諛追従は散々耳にしてきて、心を動かされたこととてないが……クッコロに褒められると心に響くの」

「そお?」

「いかな美辞麗句を尽くした社交辞令といえども、友達の率直な賛辞には遠く及ばぬということじゃな」

「はは、大袈裟だな。あたしの封魔の頭巾貸そうか?」

「……素顔を晒してもよいのか?」

「別に構わないよ。減るもんじゃないし」

「妾はまた、人目を憚る事情とか宗旨上の禁忌とか生国の作法とか、何らかの理由があって覆面を取らないものだとばかり。初めてそなたと会った謁見の際も、その覆面を取らずにおったからな。無礼な小娘じゃと内心不快に思ったが、おそらくやむにやまれぬ深い事情があるのだろうと忖度し、不問に付したのじゃ」

「あー、その節はごめん」

 アルヴァントの恨み節は続いた。

「友達なのだから素顔を見せてくれという言葉を何度飲み込んだことか。そなたが気を悪くしたらどうしようと、一人煩悶しておった時間は一体全体何だったのじゃ。この魔皇ともあろう者が、随分気を揉んだのじゃぞ」

 クッコロが封魔の頭巾を脱いだ。

「はい。これがあたしの素顔です。……そんなまじまじと見詰められると恥ずかしいんですが」

「友達の素顔を目に焼き付けておるのじゃ。そなたも美人ではないか。か、可愛いぞ、クッコロ」

「てへへ、ありがと。なるほど、友達に褒められると、お世辞でも嬉しいもんだね」

「何故妾が世辞を言わねばならぬ。まあ良い。その覆面は、そなたが使うがよい。妾は浴布でも顔に巻いておくわ」

「いいの?」

「妾が顔を隠しても、そなたが素顔を晒して闊歩すれば、今度はそなたが魚どもを誘引する漁り火になるであろ」


 カモメ亭の看板を発見して、いざ入店。ドアベルが鳴って店内の喧騒が一瞬止んだ。凶悪な人相の男たちが舐めるような視線で、クッコロとアルヴァントを品定めしている。

(うわぁ……ガラ悪そうなのがうじゃうじゃいるな)

 水煙管を吸って陶酔している男や、頭頂に林檎を載せた娼婦を的にナイフ投げに興じる男、半裸の娼婦と戯れる男――まさに頽廃と悪徳の見本市会場であった。

「珍しい酒を取り揃えておるの。さすがは交易の街じゃ。店主、このフィリーム産の黒糖酒を貰おうか」

 アルヴァントは堂に入ったもので、カウンター席につくやマスターにあれこれ注文している。勝手がわからないクッコロは、借りてきた猫状態。

「そなたは何にする?」

「あたしお酒は……果実水何かある?」

 前世では同僚の近衛騎士たちに付き合って嗜んだものだが、秋川楓に転生して以来、酒は口にしていない。

「けっ。酒場に来て果実水とか飲んでんじゃねえよ、ダセー」

「お子ちゃまはけえれけえれ」

 店内の喧騒に紛れて、聞こえよがしの野次が飛んできた。アルヴァントはこの状況を楽しんでいる様子。

『念話で話すとするか。いやあ、微行は楽しいのう。普段はなし得ぬ体験が出来る。新鮮な気分じゃ。これは癖になるな』

『さすがアルちゃんは場慣れしてるねぇ』

『長く生きておるからの。人生経験だけは豊富なのじゃ。国主をやる前は、傭兵やメイドなんかもやっておったのだぞ』

『へーそうなんだ。ちょっと見てみたいかも、アルちゃんのメイドさん』

 お上品な貴族街の料理店ではないので、飲み物もグラスや陶器ではなく木樽ジョッキで供される。カウンターに鎮座する大容量ジョッキに閉口したが、アルヴァントに促されて乾杯した。

『さて、この店に地下オークション関係者がおるのじゃな。あの店主など怪しくないか? なにか合図の符牒でもあるのかの』

『んー、どうだろ』

 クッコロが結界玉諜報網を駆使して調べ上げたところによると、ここエスタリスの裏社会には三つの勢力が鼎立しており、互いに角逐を繰り広げているらしい。『海王会』、『ツヴァン一家』、『竜爪団』の三組織がこれに該当する。

『三つとも聞き覚えがあるの。エスタリス総督府発行の年次報告書に記述があった気がする』

『この酒場は三勢力の緩衝地帯らしくて、不戦の紳士協定があるんだってさ』

 この協定の存在を知らない余所者が三組織の関係者と喧嘩沙汰に及び、数日後マーティス沿海の砂浜に水死体が打ち上げられるというような事が間々あるらしい。

『どうするかの? 適当に暴れてみるかや?』

 アルヴァントが物騒な提案をしたその時、耳を劈く悲鳴があがった。


「ディアーナ! しっかりして!」

 ナイフ投げの的になっていた若い娼婦を、男と戯れていた半裸の娼婦が介抱している。咽喉にナイフが突き立ち、血の泡をふいていた。

「すまんすまん。余所見してたら手元が狂っちまった」

「冗談じゃないよ! この娘は一家の生計を支える屋台骨なんだ。この子に何かあったら幼い兄弟たちが路頭に迷っちまう」

「おい、おめえは俺の相手してりゃいいんだよ。きちっと仕事しろや淫売が。おめえらにゃそれしか能がねえんだからよ」

「けど! 後生だから医薬神殿に使いをだしとくれ。治癒士を呼んどくれよ。こんな仕打ちはあんまりじゃないか」

「可哀そうだが、そいつぁもう手遅れだ。俺たちに出来ることつったら、そいつの冥福を祈ってしっぽりやる事だけだ。さ、奥へ行こうぜ」

「放して! ディアーナ!」 

「ち。めんどくせえアマだな」

 なおもディアーナに縋ろうとする半裸の娼婦の顔面を、容赦なく殴る男。さらに殴りつけようとしたところ、華奢な手が止めに入った。

「なんだ、ねえちゃん。異国の踊り子か何かか。エロいべべ着やがって。おめえが俺の相手してくれんのか?」

「あたしが治癒しますよ、その子」

 治癒魔法覚えたてホヤホヤのクッコロ。辻ヒールの欲求を我慢できなかったようだ。

「あんた、治癒士様なのかい?」

「冒険者です。大丈夫、治癒魔法使えますよ」

 クッコロは、ディアーナの咽喉からナイフを抜いた。盛大に吐血して痙攣。心配顔の娼婦を制し、ディアーナに手をかざす。ディアーナの全身が治癒の光に包まれ、一瞬にして治癒は完了。血色もよく、安らかな寝息をたて始めた。

「ついでにあなたもほい」

 鼻血を流していた半裸の娼婦も治癒してやる。

「すごい……もう痛くない……こんなすぐ効くもんなんだ」

「コラくそガキャ! テメェなに勝手してくれてんだ、あぁん。おい無視してんじゃねえぞ」

「うるさいなもー、ちょっと黙っててください」

 クッコロのデコピンが炸裂。男の頭部が破裂し、ゆっくりと倒れる。血と脳漿が床に拡がった。静まり返る店内。

「え? あ、ごめ――あれ? おかしいな、手加減したのに……」

 空気が変わった。無言で席を立つ男たち。銘々シミターやカットラスを抜き放つ。

「ねえちゃん。表出ろ」

 カウンター席でニヤニヤしながら強酒精のフィリーム酒を呷っていたアルヴァントが、男たちの前にゆらりと立った。

「そのほうらは、妾が相手してやろう」

 半裸の娼婦が震える手でクッコロの服の裾を引っ張った。

「あんたたち、逃げたほうがいいって。あいつら悪名高い海王会の連中だよ」

「彼女なら大丈夫だと思いますよ。てゆうか、あたしは相手のおっちゃんたちが心配……」

 地獄耳のアルヴァントが聞きつけて振り向いた。

「これこれ、派手に戦端開いておいて何をぬかすか」

「いやぁ、今のはあたしも想定外ちゅうか何ちゅうか」

 全身刺青の大男が舌舐めずりして言った。

「逃げようったって、逃がしゃしねえよ。俺たち海王会に上等こいたんだ。地の果てまで追いかけてケジメ取ったるわ」

「それは鬱陶しそうじゃの。しからば海王会とやら丸ごと殲滅してくりょうぞ」

「なめやがってこのメスガキ。四の五の言ってねえで、とっとと表出ろや」

 アルヴァントはかぶりを振った。

「面倒じゃ。ここでよい」

 アルヴァントの体から猛烈な妖気が漂いはじめ、紅眼が妖しく輝いた。刹那――アルヴァントを包囲していた三十人ばかりの男たちが灰の塊のようなものに変貌を遂げ、人間の形状を維持できずに崩れ落ちて、白い粉末の山となった。

「妾の国に、そのほうらの如きゴミは必要ない。失せよ」


 先刻までの喧騒が嘘のように、しんと静まり返ったカモメ亭。僅かに残っていた客たちも、蜘蛛の子を散らすように退散した。

「さて、静かになったところで飲み直すかの。そなたもやらぬか?」

「うーん……じゃあ一杯だけ」

 クッコロは異世界の両親に向けて懺悔した。

(お父さん、お母さん、ごめんなさい。楓は不良行為に手を染めます)

 しかし、どうしても酒に逃避したい気分だったのだ。

(とうとう秋川楓でも殺人のロストバージンか……)

 前世で散々人を手にかけた自分だ。今更人を殺めたところで特別な感慨を懐くことなどないだろうと高を括っていたが、案に相違して精神にダメージを負ったことに戸惑う。

(当然か。あたし――秋川楓は、日本の倫理観で育ってきたんだもの。けど、ここは日本みたいな優しい世界じゃない。食うか食われるかの世界。前世を思い出さなきゃな)

 クッコロはいろいろな想念とともに、一気に酒杯を飲み干した。

(ん?)

 舌に感じる微かな違和感。アルヴァントに念話で呼びかけた。

『アルちゃん、このお酒』

『そなたも気付いたか。一服盛られておるの。妾の解析では、致死の毒ではないようじゃが。昏睡薬か麻痺薬か……愚かじゃのう。我等にこのようなもの効かぬというに』

『どうしようか? 薬効いたふりして様子見る?』

『一芝居打って、敢えて敵の術中に嵌るのか。それも面白そうではあるが、この店主を締め上げた方が手っ取り早くないかの』

『じゃあアルちゃんにお任せ』

『了解じゃ』

 アルヴァントはカウンターに頬杖つくと、鋭い眼光でマスターを見据えた。ただそれだけで初老のマスターは蒼白になり、脂汗を流し始めた。

「のう、店主。変わった配合のカクテルじゃの。なかなか刺激的で美味じゃが、我等以外には提供せぬほうがよいぞ。理由は存じておろう?」

 人差し指を立てるアルヴァント。その指先に膨大な魔力が凝集してゆき、眩い光球が生まれる。

「海王会にツヴァン一家、それと竜爪団。これらの頭目に会いたいのじゃ。そなた、紹介してくれぬか」

 こくこくと壊れた人形のように点頭するマスター。

「仲介の労を取ってくれるそうじゃ。祝着じゃの」

 アルヴァントはクッコロにウインクを寄越した。

『恐いよアルちゃん……まさに魔皇の面目躍如って感じ』

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