第16話 グリード事件
武神祭は予想外に淡々と進行し、今年の優勝者が決まった。奉納奴隷に扮して暗殺者を送り込むという何者かの密談を盗聴したので、それとなく警戒していたクッコロ。
(【首狩り】とかいうコードネームの刺客、元
出場者のなかにそれらしき人物は見当たらない。優勝者も人間にしてはなかなかに非凡な剣士であったが、ラディーグや魔将メーベルトには比肩すべくもなく、常人の域をでなかった。
(どこかに隠れ潜んで機会を窺ってるのかな)
休憩所で茶を喫していたアルヴァントに、グリード総督が言上した。
「陛下。この後表彰式に御臨席いただきまして、本日の公式日程は終了となります」
「グリードか。例年通り優勝者には富と名誉を存分に下賜するがよい。ここで物惜しみしては興醒めじゃからの。して、優勝者は誰の所有闘士か」
「皇都の商業ギルド長ロラン殿でございます」
「さようか。ロランにも褒美をつかわせ。そちの所有闘士は如何であった?」
「は。準決勝にて敗退しております」
「それは残念じゃったの。また次回、腕の立つ戦闘奴隷を探すがよい」
側近を従えたアルヴァントが貴賓席に着いた。グリード総督がアルヴァントの前に進んで一礼し、おもむろに抜剣。
「何じゃ? 如何――」
己の胸に突き立てられた剣を胡乱げに見つめるアルヴァント。素手で刃を握りしめ、ゆっくりと刺さった剣を抜く。豪奢なドレスがみるみる鮮血に染まった。
「陛下!」
「グリード総督乱心!」
「ちがっ――儂じゃない! 体が勝手に」
メーベルトが一瞬で間合いを詰め、グリードを斬ろうとした。アルヴァントの命が飛ぶ。
「待て! 殺すな。捕らえよ」
高手小手に縛り上げられ必死の形相で釈明を繰り返すグリードに一瞥をくれ、踵を返す。
通路でよろめくアルヴァントをメーベルトが支えた。
「大事ない。治癒済みじゃ。血をすこしばかり失っただけよ」
メーベルトが唇を噛んだ。
「拙者がお側に侍りながら、玉体に凶刃の到達をゆるすとは……罪万死に値しまする」
「気にするな。あれは致し方あるまい。グリードに殺気はなかったしの。観客席であがった殺気に気を取られたのであろう?」
「あのような見え透いた陽動にしてやられるとは。己の不甲斐なさに憤怒を禁じ得ませぬ」
「妾も同様じゃ。看過するには鋭利すぎる殺気であったからの。おそらくは、あれが噂に名高い【首狩り】であろうよ。あの技、そちはどう見る?」
「糸使いでしょうな。『傀儡』の術と見ました」
アルヴァントは深く嘆息した。
「グリードの馬鹿者め。人目のないところで事に及べば握りつぶしてやったものを……衆人環視のなかでやらかしおって。これでは奴を処断せざるを得んではないか。泉下のラジールに申し訳がたたぬわ。――いや、傀儡となった奴に苦情を言っても始まらんな」
「陛下……」
「グリードを連れてまいれ。せめてもの情け。妾の手で引導を渡してくれよう」
グリードが引き据えられると、メーベルトのみを残して人払いを命じたアルヴァント。
「妾が何故そちの一族を厚遇してまいったのか、そちは存じておるか?」
猿轡をされたグリードは、弱々しく首を振った。
「父や祖父から何も聞いておらんのか。しょうのない一族じゃ。子孫への遺訓を怠りおって。よかろう。冥途の土産に語り聞かせよう。妾が旗揚げした時、真っ先に一族を率いて妾の旗の元に馳せ参じたのが、当時のリカントロープ族長ラジールだった。そちの二十六代前の先祖に当たる男じゃ。万夫不当の勇士での、存命であればこのメーベルトと共に並び立つ妾の腹心となったであろうが、危殆に瀕した妾を救うため可惜命を散らしてしもうた」
「……」
「あの頃、妾はきわめて恐るべき敵に付け狙われておっての。さよう、彼奴に比べたら、【首狩り】など子供のおままごとの如きものじゃ。妖霧ヴァレル――あれこそまさに死神……実際神に類する存在なのであろうな。この妾が手も足も出なかったからの。瀕死の妾を逃すため強大な妖霧ヴァレルの前に立ちはだかり、ラジールは死んだ」
グリードは悄然と項垂れて、魔皇の話に耳を傾ける。
「当時のラジールは、スコル、ハティを経てマーナガルムにまで進化しておったが、あの戦いにおいて潜在能力を覚醒させ、マルコシアスを一足飛びにして一気にフェンリルへの進化を成し遂げおった。リカントロープとして生を受け、フェンリルにまで至った者は他におるまい。空前絶後の英傑であった」
「……」
「そのような偉大な祖先を持ちながら、最近のリカントロープ族の体たらくはなんとしたことじゃ。政治や商売にうつつを抜かして鍛錬を怠り、フェンリルはおろかスコルに進化する者さえ現れぬ。いや、これは妾にも責めはあろうがの。ラジールの血を引くそちらを甘やかしすぎたのじゃ」
「……」
「そちの倅セルド――あれには期待をかけておる。隔世遺伝なのやら、ラジール並みの潜在能力を秘めておる。まだまだ未熟であるがの。やはり魔族たるもの、強さに貪欲でなければならぬ。常に敵を凌駕していく飽くなき闘争心こそ、進化の端緒なのだからな。倅の育成は安んじて妾に任せるがよい」
グリードの白髪頭を撫で、猿轡を外してやる。
「そちも老けたな。初めて妾の前に伺候した折は、仔犬のような少年であったが。……最期に言い遺すことがあれば聞いてやろう」
「この期に及んで、先祖の名を穢すが如き見苦しき言い訳は致しませぬ。ただひとつ……もし、許されるのであれば、愚息のこと、お頼み申し上げまする。魔皇陛下万歳」
アルヴァントは僅かな一瞬、泣きそうな顔をした。
「馬鹿者め。創業の功臣の末裔をこの手に掛けねばならぬとは……しかし妾は帝王じゃ。いかに操られていたとはいえ、大逆を不問に付すわけにはゆかぬ。冥界にてラジールに教育し直してもらうがよい」
魔力を込めた手刀を一閃。グリードの首を刎ねた。
「魔将ルディート。そちをエスタリス総督臨時代理に任命する。エスタリスの仕置きはそちに一任する。よきにはからえ」
「御意」
宰相ゼノンが問うた。
「魔将セルドの処遇は如何取り計らいましょう?」
「大逆人の係累だ。無罪放免で家督相続とはゆくまい。が、祖先の大功に免じて死一等を減ずる。官位を褫奪の上奴隷階級に落とし、皇都より追放とする」
アルヴァントにはひとつの腹案があった。
(セルドの小童、クッコロに預けて武者修行させてみたらどうだろう。うん、いい考えじゃ。それでいこう)
武神祭表彰式。観客席の一隅であがった剣呑な殺気に気を取られたクッコロは、貴賓席で起こった騒動を見そびれていた。アルヴァントの側近と思われる魔法使いが間髪入れず白い結界を展開し、貴賓席の周囲一帯を遮断したためだ。
(なんかあったのかな?)
念話でアルヴァントに呼びかけるも応答がない。
戸惑いが観客たちに伝播していくなか、ゴブリンの司会者が唐突に閉会を宣言した。尻切れトンボな幕引きではあったが、三々五々帰途に就く人々。
(賭けも負けたし、あたしも退散するか)
闘技場の熱気に中てられて、クッコロも武神祭賭博に一口乗ってみたのだ。出場者をざっと見渡して、一番腕の立ちそうな褐色肌の男の投票券を一点買いしてみたのだが、準決勝で敗退してしまった。リュストガルトの運命神は、ビギナーズラックの安売りはしないらしい。
(さてと、どこかで夕飯食べてこっと。ちょっと怖いけど、繁華街のほう行ってみようかな)
結界玉散歩で、旧ネイテール侯爵領都リーダルの時代にもあった老舗食堂をいくつか見つけていたのだ。
武神祭から旬日が過ぎた。クッコロは未だにエスタリス滞在中で、転移門設置作業と並行して、奴隷競売の情報収集に励んでいた。
(そういやアルちゃん、どうしてるかな)
巷の噂では、魔皇は既に皇都リスナルへ還御したらしいが。
(念話入れてみよう)
念話で余人を交えず気安くコミュニケーションできるので、今やすっかり気の置けない親友になりつつある二人。
『おう、久方ぶりじゃな。グリード事件の後始末で忙殺されておったわ。連絡が遅れてすまぬ』
『グリード事件?』
『まぁ身内のごたごたじゃ。そなたはまだエスタリスにおるのか?』
『うん。前にアルちゃんから聞いた奴隷競売に興味があって。いろいろ情報集めてるところ』
『なんじゃ。美少年奴隷を身辺に侍らせる心境にでもなったのか?』
『違いますから!』
『ふむ、奴隷競売か……妾も微行で参加してみるかの』
『アルちゃんもう皇都に帰っちゃったんじゃないの』
『クッコロが送迎してくれるのであろう?』
『え?』
『使えるのであろう? 転移魔法』
『……さすがはアルちゃん。バレバレか』
アルヴァントは呆れたように言った。
『もしや手の内を隠しているつもりだったのか? メーベルトの目の前で、地下水路のドラゴンをどこやらへ転移させたりしておったそうではないか。隠す気などさらさらないのかと思っておったぞ』
『てへへ――前にお茶ご相伴させてもらった東屋あったでしょ。宮城の庭園の。あそこに集合でいいかな?』
『承知した』
しばしの後。魔皇アルヴァントの姿は、港湾都市エスタリスの安宿の一室にあった。感嘆の面持ちで言う。
「素晴らしいの、転移魔法は。やはりそなたの力、是非とも欲しくなるわ。妾とそなたが組めば、満天下あまねく我等が掌中に帰するであろうな」
「なかなか殺伐とした人生になりそうでやだな」
「そういえば、魔将の席にひとつ空きができたのじゃ。そなたどうじゃ? 魔将クッコロ・メイプル――古代の叙事詩のような甘美な語感でよいではないか」
「はは、遠慮しとくよ。アルちゃんなら、ちょっと練習すれば会得すんじゃないの? 転移魔法」
アルヴァントは腕組みして考え込んだ。
「時空魔法系はなぁ。天賦の資質が物を言うからの。まぁそなたの術式を参考に、気長に研究してみるかの。さて、それより早く街へ行ってみようぞ。支度せい」
「ちょっと待った。アルちゃんの恰好じゃ、高貴な人のお忍びだってすぐバレちゃうよ」
「ふうむ。侍女の衣装でも持ってくればよかったか。抜かったわ」
「露店で適当に古着買ってこようか? 平民ぽく見えるやつ。まぁ、街角の露店で王侯貴族の衣服なんて売ってないだろうけど」
「では頼むとするかの」
「けどなぁ……アルちゃん美形だから、田舎娘の服装してたら却って違和感満点かもね」
「しからば冒険者にでも扮するかの。クッコロは何か持っておらんのか?」
「今着てる服なら、予備いっぱいあるけど」
「それでよい。異国情緒があっておもしろい」
そんな訳で、魔皇陛下におかせられては、メイド・イン・アグネートの水丘高校女子制服をお召しあそばされた。半袖セーラー服にプリーツミニスカートに白ハイソックス。着方を指南しているうちに興が乗ってツインテールを結わえてしまう。
(か、可愛い……)
クッコロが見惚れていると、アルヴァントが辛辣な感想を述べた。
「露出が多くていたく羞恥心を喚起する装束じゃの。そなたの国の学徒は、このような装束で暮らしておるのか」
「あー、なんちゅうかその、はい」
「いやしかし、これはこれで理に適った配慮と言えなくもない。とかく学究の徒というのは学問に一途なあまり、婚期を逃しがちだと聞く。優秀な人材の血統が絶えるは国家の存亡にも関わる一大事。この破廉恥な衣装で異性を誑し込み、若いうちに選良たちの伴侶を得やすくしてやろうという深慮遠謀なのやもしれぬな」
(うーん……そうなのかな? 違うと思うけど)
文化の違いとしか言いようがない。
「では、いざ街へ繰り出そうぞ」
「おー」
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