第15話 【剣聖】と【千手拳】


 猫耳少女の治療をメアリに託したクッコロは、アグネート魔法図書館に籠って回復魔法に関する文献を濫読。回復魔法に関係しそうな魔操書ピカトリクス数冊を精読してから『アカシックレコード』に触れたところ、ようやく初歩の『治癒』を習得した。

(前世で使ってた『回復』って、術式が不完全だったのね……あんな支離滅裂な術式、よく暴走しなかったな)

 クッコロは術理の蘊奥を垣間見て戦慄を覚えた。ともかくこれで、念願の辻ヒールが可能になったわけだ。

(後で強化魔法や転移魔法と組み合わせて、いろいろ実験してみよう)


 十日ほど経って青の月アグネートからエスタリスに戻ったところ、街の警備がやたら厳重になっていた。異国人の観光客やそれ目当ての商人も増えている。街の人々の会話に聞き耳を立てると、魔皇アルヴァントが滞在中らしい。

(お、アルちゃんのお出ましか。てことは、噂の武神祭とやらが始まるのかな。見に行ってみるか)

 臨席予定のアルヴァントを襲撃するような物言いだったし、かなり腕の立つ暗殺者を雇ったという話だったので、彼女の安否が気にかかる。クッコロは武神祭の会場だという円形闘技場へ向かった。

 円形闘技場に近付くにつれ、かなりの人でごった返している。

(すごい行列……入れるかな?)

 お上りさん丸出しで周囲を見回していたところ、絶好のカモと見做されたのか、ポン引きやらダフ屋やらナンパ師やらの類が入れ食い状態で寄ってくる。さすがに辟易して、転移魔法で脱出。近くにあった鐘塔の上から円形闘技場の方を眺める。

(混んでて正規の入場は無理そうだなぁ。仕方ない、ズルさせてもらうか)


 という訳で円形闘技場の内部に転移したのだが。横着して結界玉による観測を怠り、目測による転移を行った結果、警備兵の屯所に出現してしまった。

「何奴!」

「曲者だ! 出会え!」

 リカントロープの警備兵たちに包囲され、ばつが悪そうに頭をかくクッコロ。再び転移すればいいだけなので脱出は容易なのだが、ここで騒ぎを起こすと後々行動を掣肘されかねない。そこで、近くに来ているであろうアルヴァントに通報することにした。

『クッコロか? ここ十日ばかり念話が通じぬゆえ心配しておったぞ。何処をほっつき歩いておったのじゃ』

『あー……』

 青の月アグネートの結界は、『感応の指輪』の念話も遮断するらしい。

『アルちゃんごめん。かくかくしかじかなんだけど……』

『案外迂闊なのじゃな、そなた。まあよい。完全無欠の人間など面白うない。適度に愚行をやらかすくらいが愛嬌があってよいわ』

『例の『感応の指輪』の御威光、使わせてもらってもいいかな?』

『むろん。こういう時のためにそれを渡したのじゃ。そうじゃな、思い切り権柄ずくに振る舞ってみるがよい。演技力が試されるぞ』

 アルヴァントはどこか面白がっている様子だった。

『んー……やってみる』

 クッコロは咳払いした。前世の近衛騎士時代に覚えた宮廷語や、日本の時代劇の台詞回しを思い起こす。

「控えよ、無礼者。この指輪が目に入らぬか」

 警備兵たちはあきらかに鼻白んだ。

「我は魔皇陛下の密命を帯び、特務に従事している者だ。我が任務を妨害する者は、魔皇陛下への反逆と見做して処断するぞ」

 一斉に平伏する警備兵たち。

「ご、御無礼つかまつりました」

「そのほうが隊長か。役目大義である。我が任務は国家機密に関わる極秘事項ゆえ箝口令を申し渡す。そのほうらが見聞きしたこと、すべて忘れるのだ。もし口外した場合は反逆罪に問われ、罪科は九族に及ぶと心得よ」

 はったりで恫喝し、仕上げに転移魔法で消え失せる。これで、魔皇の謎めいた側近的な演出を完遂したのではなかろうか。


『首尾は如何あいなった?』

 しばらくしてアルヴァントが問い合わせてきた。

『なんとか切り抜けたよ。ああいうの、あたしのキャラじゃないから苦手だな』

『もし妾のところまで報告が上がって来たら、適当に口裏を合わせておこう。ところで、ここへ来ぬか? 一緒に貴賓席で武神祭を観覧しようぞ』

『ありがたいけど遠慮しとくよ。アルちゃんの臣下の人たちに睨まれて居心地悪そうだし。人気のないところで寛ぎながら見物する』

『さようか。今年の武神祭は趣向を凝らしたからの。刮目して見るがよい』

『ほうほう。それは楽しみ』

『我が国の武威を示して、妾を狙う愚か者どもの心胆を寒からしめてやろうと思ってな』

 口調からアルヴァントの含み笑いが目に浮かぶようだ。


 円形闘技場外周に配置された尖塔のひとつに陣取り、アリーナを見下ろすクッコロ。

(ここなら闘技場全体見渡せるな。お、始まった)

 ゴブリンの男が一人、アリーナ中央に進み出て宣言した。

「皆様。たいへん長らくお待たせいたしました。武神祭に先立ちまして、試合形式による模範演武が挙行されます」

 距離はあったが、明朗な声が聞こえた。この世界は、マイクロフォンに類似した道具を実用化する技術水準に達しているとも思えないので、風魔法あたりを応用した魔法具の類を使っているのだろう。

「なおこの模範演武は、畏れ多くも魔皇陛下肝入りの趣向でございます」

 司会者ゴブリンの披露により、魔皇を称える大歓声が上がった。貴賓席のアルヴァントが観客たちに手を振るのが見える。

(模範演武ちゅうと、所謂エキシビションマッチみたいなやつかな)

「それでは模範演武を行う両闘士にご登場いただきましょう」

 アリーナ東西の入場門が開き、それぞれから男が歩いてきた。

「ご紹介いたします。東門の闘士――魔皇国軍最強の剣士にして十二魔将筆頭、メーベルト殿。対する西門の闘士――リスナル冒険者ギルド所属の聖銀ミスリル級冒険者、【千手拳】の異名を持つラディーグ殿」

(仮面の魔将さんとラディーグさんか。これは確かに見応えありそう。こりゃアルちゃん仕組んだな。建前で示威行為的なこと言ってたけど、本音は彼女の興味だろうな……)

「まさに我が国の双璧と言っても過言ではない御両所。世紀の対決がここに実現だ。審判は、サイクロプスの魔将ルディート殿に務めていただきます」

 巨漢のラディーグより更に一回り大きな一つ目の老将が、両者の間に立った。


「おうおう、世紀の対決ときたか。司会のゴブリン野郎、煽りやがる」

「かねてから貴殿とは立ち会ってみたいと思っていた」

「立ち合いもなにも、この狭っ苦しい闘技場じゃ、互いに本気出せんじゃろ。じゃれ合いみたいなもんじゃい」

「じゃれ合いでも楽しみではある。拙者と対峙して、正気を保てる者は稀少ゆえ」

「儂ゃ気が進まんかったがのう。ルディートめに拝み倒されて渋々承諾したんじゃ」

 サイクロプスのルディートがジト目でラディーグを見た。

「報酬に釣られたのはおぬしだろ。ワシの秘蔵の蒸留酒によう」

「貴殿らは知己であったのか」

「なに、この飲んだくれの一つ目爺とは、時々飲み屋で一緒になるだけじゃよ」

「どの口が言うか、この酒浸りドワーフが。ほれ、支度せい。始めるぞ」


 両者の闘気が膨張し、激突した。アリーナ周囲にはかなり堅牢な結界が幾重にも敷設されているようだったが、波動がクッコロの所まで伝播してくる。

(速い。二人とも化け物すぎる……あれでもまだ全然本気じゃないんだろうな)

 メーベルトとラディーグは闘いながらも、審判役のサイクロプスを交えて和気藹々と雑談に興じていた。

(仮面の魔将さんの剣筋、昔どこかで見たような気がするな……)


 一進一退の攻防が続くなか、ラディーグの拳骨がメーベルトの顔面を捉え、鉄仮面を砕いた。

「素晴らしいぞ、【千手拳】。拙者は歓喜を禁じ得ぬ」

「そうかい。ありがとうよ」

「何故貴殿ほどの男が、聖銀ミスリル級にとどまっておるのだ? 冒険者ギルドの目は節穴か」

 サイクロプスのルディートが笑いだした。

「実はこやつな、八十年も前に神金オリハルコン級への昇格が内定しておったのだ。ところが当時のギルマスを酔っ払ってボコりおっての。昇格の話もあえなく立ち消えになったのよ」

「若気の至りじゃ」

「何が若気の至りだ。おぬし、当時既に爺だったではないか」

「ち。でけえ図体して細けえ事憶えとるのう。ありゃギルマスの野郎が悪いんじゃ。儂の敬愛してやまぬ救国騎士殿を侮辱したんじゃからな」

「まったく難儀な爺だ。途中まで仲良く飲んどったのになぁ。なんつったっけ、あのギルマスの名前。確か十代くらい前のギルド長だよな、あいつ」

「昔の事じゃ。もう忘れたわ」

 歓談しつつも激闘は止まらない。メーベルトが、ラディーグとルディートのやりとりに興味を惹かれた様子。

「救国騎士? 貴殿はクッコロ・ネイテール卿所縁の者なのか?」

「些かの」

「あの令嬢もまた傑出した剣士であった。夭折したのが惜しまれる」

「なんじゃい。会ったことがあるような口振りじゃの」

「会ったことがあるも何も。遠い昔、拙者とクッコロ・ネイテール卿は、同じ主君に仕える僚友であった」

「そうか……合点がいった。おぬし、【剣聖】メーベルトであろう? 同名なのが却って盲点であったわ。道理で手練れなわけじゃ。しかし、人間にしては長生きじゃのう。或いは、人間をやめたのか?」

 メーベルトの剣気が俄然膨れ上がり、ラディーグは刃創を増やしていく。

「おいおい……熱くなりなさんな。お遊びの模範演武なんじゃろうが」

「貴殿の真の力が見たくなった。本気を出してみろ、【千手拳】」

「結界が持たんじゃろ。観客に死人が出るぞ」

「意気地なしめ」

「ふん。煽ろうったって、その手にゃ乗らんぞ。儂ぁ老練で冷静沈着な大人じゃからの」

「……救国騎士だかなんだか知らぬが、所詮青臭い小娘に熱を上げるような奴は、性根も軟弱よ」

 ルディートが苦笑い。

「メーベルト殿、そんな見え透いた挑発……」

 突如ラディーグの闘気がこれまでの数倍に膨張。双眸が爛々と輝き、額には縦横に青筋が浮き上がっていた。まさに鬼の形相。アリーナ周囲のいくつかの結界が、ラディーグの闘気に耐えきれず砕け散る。

 ルディートは眉を顰めた。

「ありゃりゃ、ブチ切れまくっとるな。相変わらず沸点低い奴だ。年甲斐のない」

「ぶち殺すぞ小僧」

 冷笑を浮かべるメーベルト。

「拙者の方が年長かもしれぬぞ」

「すかしてんじゃねえ、チョビ髭野郎」

「御託はいい。来い」

 これまでの戦闘が児戯に思える激しさで、剣と拳が火花を散らす。衝撃波が四方八方に飛び散り、残る結界をずたずたに切り裂いた。


 鉄仮面を破砕され素顔が露わになった魔将を凝視するクッコロ。

(あの剣技にあの顔――どう見てもメーベルト大将軍なんですけど。閣下の子孫なのかな? 名前も一緒だし。けど、本当に瓜二つ。まさか本人じゃないよね……三百年以上経ってるんだし、ありえないか)

 ラディーグの拳撃でアリーナにクレーターが穿たれ、メーベルトの斬撃で外壁の塔が倒壊する。当初は喝采をあげて熱戦を喜んでいた観客たちも、今や恐慌をきたして逃げまどっていた。

(どう収拾つけるのかな、これ。アルちゃんまで気が昂ってる……主従揃って脳筋すぎ)

 アリーナの二人に呼応するかのように、貴賓席のアルヴァントまで巨大な闘気を周囲に撒き散らしていた。滅多にお目にかかれない実力拮抗の好勝負を目の当たりにして、血が騒いでいるのにちがいない。

 観客に負傷者続出している様子なので、お節介ながら注意喚起することにした。

『アルちゃん。そろそろ止めた方いいんじゃないかな? 観客に死人でちゃうよ』

『今佳境なんじゃがなぁ』

『ああいう超人たちを街中で戦わせちゃダメだと思うよ。どうしてもってんなら、無人の荒野とか砂漠で立ち会わせなきゃ』

『ううむ、友達の諫言じゃ。聞き入れぬ訳にもゆくまい。ここらで止めるとするか。妾を付け狙う馬鹿どもも肝を冷やしたことであろうしの』

 クッコロは安堵の吐息をついた。



 アリーナの復旧作業と負傷者の救助作業のため、しばしのインターバルを挟む。二時間ほどを経て、武神祭本番が始まった。本来前座的な位置づけの模範演武の印象があまりに強烈すぎて、奉納奴隷たちの殺し合いという殺伐たる神事も、どこか淡々と進行しているように見える。

(人様の国の文化にアヤ付けるつもりはないけど、奴隷たち、可哀そうだな……)

 クッコロは奴隷たちに刻印された『隷属の呪紋』をぼんやりと眺めた。

(先日助けた猫耳さんにもあったな、『隷属の呪紋』)

 理不尽な呪縛から逃れるすべは、奇特な主人による解放か当人の死亡しかないと聞く。クッコロは物思いに耽った。

(アルちゃんから貰ったお金で、奴隷いっぱい買ってみようかな)



「観客の中に潜ませていた狙撃手が全滅した。まるで狙い澄ましたかのように、模範演武のとばっちりをくらっておる」

「まさか感付かれておるのか」

「おのれ……魔将メーベルトに【千手拳】ラディーグ。目障りな奴らだ」

「武神祭本番が始まってからというもの、魔将メーベルトが魔皇の後ろにぴったり張り付いておる。これでは手が出せんではないか」

「むう、後は【首狩り】に託すしかないか。吉報を待つとしよう、諸君」

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