第13話 港湾都市エスタリス


 皇都をほぼ網羅したクッコロは、転移門設置の手を周辺地域に伸ばすことにした。顔馴染みになった冒険者ギルドの受付嬢や露店のおやじから聞いたところでは、皇都リスナルから三百公里ほど南方に大きな街があるという。マーティス沿海の港湾都市エスタリス――アルヴァント魔皇国第二の都市らしい。

(それって、昔養父上が治めていた街だよね……)

 位置的に旧ネイテール侯爵領の領都リーダルで間違いなさそうだ。忌憚なく言って、あまりいい思い出はない。戦災孤児からネイテール侯爵家の養女となったクッコロは、義兄弟姉妹に疎まれ邪険な扱いを受けていたし、陪臣たちも主家の人々の意を汲んで、クッコロへの対応は粗略だった。

(まぁ行ってみるか。三百五十年も経ってるんだ。どうせ誰も生きちゃいないだろうし)

 結界玉を先行させ転移扉で一足飛びに移動することも考えたが、街道筋の民情視察もかねて駅馬車を利用することにした。殊更急ぐ旅路でもない。また、道中ワールゼンに繋がる意外な情報や出会いが転がっていないとも限らない。



 港湾都市エスタリスは南洋諸国との重要な交易拠点で、魔皇アルヴァントの直轄領となっていた。彼女の代官としてこの地の施政にあたるのが、魔皇国の重鎮でリカントロープ族の族長たるグリード総督。

「不肖の倅めが、陛下の御不興を買ったらしいな。あの粗忽者め」

 その日、グリード総督は皇都から下向してきた来客を饗応していた。相手はアルヴァント十二魔将の一体、オーク族の族長でもあるガルシア将軍。

「御子息も血気盛んな年頃。過日魔将へ推挙され、陛下の御前で面目を施したかったのであろう」

 グリードは苦虫を嚙み潰したような顔。

「それで惨敗しておれば世話はないわ。しかも相手は素性も定かでない人間の小娘というではないか」

「それよ。陛下はその者の武勇をいたくお気に召されてな。御座所へ招いて茶を振る舞われたとか。あの方の気紛れにも困ったものだ」

「側近のおぬしがお諫めせぬか。東方の情勢が不穏な今、我が国にも多数の間者が放たれ暗躍しておろう。皇城に刺客が紛れておらぬとも言い切れぬ」

「暗殺者風情に不覚を取る陛下でもあるまいが……東方の情勢は確かに気になるな。暗殺と調略、破壊工作は東方の連中の常套手段だ。件の冒険者の身元も、洗い直した方がよいかもしれん」

「来週には陛下の行幸が控えておる。警備の手配やら宿所の普請やらで、今から頭が痛いわ」

「遺漏なきよう励むことだ。万一粗相あらば貴殿の首が飛ぶ――ことはないやもしれぬが、陛下のリカントロープ族への心証悪化は免れぬ。ほれ、先日の御子息セルド殿の失態もあるゆえ」

 グリード総督がガルシア将軍に酌をする。

「陛下が市中の視察などと言い出さぬよう、くれぐれも頼むぞ、ガルシア」

「心得ておる。おぬしも早々に臭い物に蓋をしておけ。特に奴隷市などは念入りに糊塗しておくことだ。メーベルトあたりがうるさいからな」

「その奴隷市だが、最近供給の方が滞っておるのではないか? このところ海外から奴隷貿易の引き合いが強くてな。商品不足で難儀しておる」

「租税滞納した平民どもは、どんどん奴隷に落としておるのだが。なかなか法を逸脱した奴隷狩りもできんのでな。まぁ大陸東方が風雲急を告げておる。情勢如何で大量の難民が我が国に流入してくるだろう。そうなれば、商品の供給不足も解消されようて。しばし待て」

「そうは言うがな。あまり悠長に構えていては、折角の商機を逸するぞ」

 グリードは思案した。

「皇都圏の治安維持はおぬしらオーク族の管轄であったな? 貧民窟を『浄化』してはどうか。あそこならば食い詰めたならず者や孤児なども多かろう。彼奴らが消え失せたとて、平民どもも騒ぐまい」

「ふむ、そうだな。帰京したら手配しよう」

 満足そうに頷くグリード。

「さ、もう一献きこしめされい」

「おっとっと、これはすまぬ。頂こう。よい酒だな。さすがは交易都市エスタリスといったところか」



 頬に伝わる冷たさでミリーナは目を覚ました。無理な姿勢で意識を失っていたためか、体中が痛い。

(ここは……地下牢?)

 体を検めようとして、胸元に刻印された『隷属の呪紋』に気付き、状況を察する。

(あの酒場で一服盛られたのね……)

 情報収集のつもりで立ち寄った場末の酒場。あの辺りは治安がよろしくないと木賃宿のおかみから忠告を受けてはいたが、かくも直截的な拐かしに及ぶとは。自分の迂闊さを呪ったが、後の祭りだ。ミリーナは壁に背凭れて嘆いた。いつしかフードも剥ぎ取られていた。露呈した猫耳と尻尾を撫でる。

(ここも安住の地にはなりえないってことか)

 アルヴァント魔皇国は様々な魔族を糾合して建てられた国家で、亜人種などにも寛容な統治をしていると噂に聞いていたのだが。所詮は地続きのリムリア大陸。ここも東方と同じということだろう。

 ミリーナの種族を侮蔑を込めて猫獣人と呼ぶ者も多いが、正しくはケット・シー族という。元々祖先は大陸東方の高原地帯で平穏に暮らしていたらしいが、種族特性の身体能力の高さと隠密適性に目を付けた東方の雄フォルド連邦に、非対称戦の専門集団として雇われるようになった。やがてフォルド連邦の膨張とともに、ケット・シー族は暗殺者の代名詞として勇名と悪名を馳せていった。近隣諸国の為政者たちにとってその名は不吉以外の何物でもなく、死と破滅の象徴となる。長きにわたって蓄積された恐怖と憎悪は、フォルド連邦滅亡後、ケット・シー族迫害へとつながっていった。

 東方諸国による苛烈なケット・シー狩りから逃れたケット・シーたちは、先祖伝来の地を追われて離散し、各所に隠れ里を築いて逼塞した。こうしたなか中原に勃興した魔族国家の噂は、ケット・シー族に一縷の希望を懐かせた。部族を束ねる長老たちの命により、多くのケット・シー族の若者がアルヴァント魔皇国の調査に派遣される。ミリーナもまたそんな調査員の一人だった。

(ジルもマースもみんな死んでしまった。あたし一人で、これからどうすればいいの)

 一緒に里を出た同胞も、旅の途次、非業の死を遂げた。自分も異郷の地でひっそりと生涯を閉じることになるのだろうか。

(『隷属の呪紋』を刻まれたってことは……愉快な未来じゃないことは確かね)



 結論から言うと、リスナルからエスタリスまでの道中、特筆すべき情報も出会いもなかった。幾度か熊や狼の魔物が駅馬車を襲撃してきたが、用心棒のキュープラム級冒険者諸君が奮起して撃退していた。クッコロは目立たぬよう、指弾で遠くに潜む魔物を狙撃するにとどめておいた。

 やがて街道の彼方に白亜の城壁が姿を現す。

(城壁は昔のままなんだ。あ、リーダル城館もそのままだ。今はエスタリスっていうんだっけ)

 通関検査はかなりの行列で待たされたが、ギルドの冒険者証があるので難なく通過。ちなみに入市税は銀貨三枚だった。

(さて、沿海の街とくれば、やっぱ海鮮料理だよね)

 このところいかにも冒険者風の野趣あふれる食事が続いていた。秋川楓的には、そろそろ日本食が恋しい今日この頃である。

(お寿司食べたいなぁ。あと、天麩羅うどんにカレーライス。とんかつ定食に味噌ラーメンも。てゆうか、みそ汁とお新香と梅茶漬け食べたい……納豆ご飯でもいいや)

 魅惑の日本食は、今や見果てぬ夢だ。いつの日にか再び日本の御馳走の数々にありつく時を夢想すれば、魔導司ワイズマンワールゼン探索のモチベーションも向上するというもの。

(とりあえず繁華街ぶらついてみよう)

 適当に繁盛していそうな食堂に入り、旬の魚の香草焼きだの酒蒸しといった料理に舌鼓を打つ。

(これはこれで美味しいけど、やっぱ刺身とかはないのね。おし、自分で挑戦してみるか)

 日本にいた頃のことだが、ネットの動画共有サイトで、魚を捌く動画や魚を締めて血抜きする動画をよく視聴していたクッコロ。包丁は碌に扱えないが、今の彼女には伝家の宝刀『転移魔法』がある。

(鱗も内臓も血液も髄液も選別して抜けるし、仮に寄生虫いても転移で駆除できるしね。『空間収納』で鮮度管理も完璧。こりゃやらない手はないよね)

 善は急げとばかりに市場へ繰り出して、海鮮系の卸業者の店を物色してみたが、やはり鮮度に難があった。

(この世界の人たちって、食材の鮮度を保つことにあまり関心を払わないのね。魔法あるから、創意工夫次第で日本並みに食材の品質上げられるのに。勿体ない)

 かくなる上は直接漁でもするか。海に水棲の魔物たちがいる関係で、冒険者の漁業権はギルドが保証してくれるらしい。

『クッコロ。今よいか?』

 不意に『感応の指輪』が輝き、頭にアルヴァントの声が響いた。念話を返す。

『アルちゃん? どしたの?』

『今閣議の真っ最中なのだが、ちと煮詰まっておってのう。気分転換にそなたと他愛もない四方山話でもしようと思い立ったのじゃ。迷惑だったか?』

 心なしか念話の声にも疲労が色濃く滲んでいる。

『あたしはかまわないけど。お疲れだね。何かあったの?』

『よくぞ訊いてくれた。大陸の東に三人の愚か者がおっての。こやつらが好き勝手に暴れるもので、我が国にも火の粉が降りかかってきて七面倒臭いのなんの。正直辟易しておるのだ』

『アルちゃんにそこまで言わせるなんて、よっぽどだね』

『妾は彼奴らを東方の三馬鹿と呼んでおる』

 東方の三賢者ならぬ三馬鹿か。

『一国の王様やってるとストレスがたいへんそうだね。あたしだったら胃に穴開いちゃう』

 だいぶ鬱憤をため込んでいる様子だったので、しばしの間アルヴァントの愚痴に付き合ってやった。


『そなたと雑談して気がまぎれたわ。不思議なものよ。友達とのおしゃべりがかくも心の浮き立つものとは。恥ずかしながら、この齢になるまで知らなんだ。無駄に馬齢を重ねるとはこのことじゃな』

『あたしでよければ、いつでも話し相手になるよ』

 いずれ魔皇と恋バナなどしたりするのだろうか。クッコロは、埒もない空想を頭の隅に追いやった。

『それはそうと、クッコロは今どこにおるのじゃ?』

『ええとね、マーティス沿海のエスタリスって港町』

『それは奇遇だの。妾も来週にはエスタリスを訪問する予定だったのだが……国際情勢が緊迫しておるゆえ、おそらくは順延か。ううむ、時間が合えばそなたと会食でもしたかったのう。残念じゃ』

『ありゃー残念。また今度ね』

 アルヴァントは何事か思索に耽る様子で、しばし念話が途切れた。

『ふむ、今クッコロはエスタリスに滞在中か。そなた、冒険者なのであったな?』

『うん』

『ひとつ、妾の直接指名依頼を受けてみぬか?』

 思案するクッコロ。

『指名依頼って白金プラチナ級以上じゃないと受けられないって、ギルドから貰った手引書に書いてあったような』

『それはギルドを通す場合だな。依頼者との直接交渉ではこの限りでない。依頼に一枚噛まぬとピンハネできぬ故ギルドは嫌がるが、いちおう黙認されておる。当然ながら依頼失敗時にギルドの庇護はないので、すべからく冒険者の自己責任というわけだ』

 アルヴァントの話によると、この手の直接指名依頼には後ろ暗い背景のものが多いらしく、依頼料と違約金の相場も跳ね上がるのだとか。結果、依頼失敗時に借金奴隷に身を落とすリスクも高い。実際元冒険者という経歴の奴隷は、直接指名依頼で下手を打った者が大多数なのだそうな。

『あたしアルボー級だから、あまり難しい依頼は出来ないよ? 危ない橋渡りたくもないしね』

『差し詰めクッコロは、ギルドの貢献ポイントを積極的に稼ぐ心積もりがないのであろ。さもなくば、そなたほどの者がアルボー級でくすぶっている理由がない』

『まぁ依頼云々は抜きにして、友達の頼みってことであれば、請け負うのもやぶさかじゃないけどさ』

『好意に甘えるようで心苦しいが、頼めるかの。無論謝礼ははずませてもらうぞ。違約金もなしじゃ。破格の好条件であろう』

『それで、頼みごとの内容は?』

『我が国で奴隷売買が合法なのは存じておるか?』

『……うん。まぁなんとなく』

『港湾都市エスタリスの裏社会に巣くう闇商人どもが、奴隷売買にかこつけて、違法な人身売買を行っているという情報が妾の元に上がってきておる』

 クッコロは首を傾げた。

『合法と違法の線引きがよく分かんないんですけど』

『分かりやすく言うと、『隷属の呪紋』の恣意的な運用だな』

(分かりにくいよアルちゃん……)

『つまり、奴隷身分に落ちるべき正当な根拠のない無辜の者を、無理矢理奴隷に落とすのだ。脅したり騙したりはまだ可愛げのあるほうで、暴力や薬物を用いたり、人質を取ったり、洗脳することさえある。ありとあらゆる悪辣な手を使う奴らじゃ』

『そりゃまた非道な』

『我が政府の官吏たちも手を拱いているわけではない。かなりの数の内偵を放ったのじゃが、悉く消されてしもうた。闇商人どもはとにかく用心深くての、なかなか尻尾を掴めぬときた』

『ふむふむ』

『そなた、異国から来た忍びの貴族という設定で、しばらく奴隷競売に出入りしてみてくれぬか。彼奴らが接触してくるやもしれん』

『なんか、けっこう危なそうな仕事だね……』

『問題なかろう。エスタリスくんだりにクッコロを害せる者など存在せぬわ。ちなみに奴隷は何人でも買ってかまわぬぞ。経費で落とすゆえ。好みの美少年でも出品されておれば、従者として買い求めるのもよかろう』

『いやいや! 買いませんから!』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る