第12話 とある孤児院


 ここは地下水路十二階層。寝息を立てていたメルダリアが不意に目を見開き、次の瞬間には二振の剣を抜いて戦闘態勢を取っていた。

「どうしたメルダリア。魔物か?」

 不寝番をしていたダルムも盾と戦鎚を装備している。

「何かいるわね。バルナスとルディウス起こして」

 アウル級あたりのパーティならば一匹でも苦戦するサラマンダーの群れを、鼻歌交じりに討伐するメルダリア。そのメルダリアが緊張している様子。ダルムはただ事でないと察し、パーティメンバーを起こして回った。

 地下水路といっても、十二階層ともなると岩肌がむき出しになった天然の洞窟が大部分を占める。暗闇の向こうで巨大生物のものと思われる足音が反響した。振動が伝わってくる。

「こりゃあ、かなりでかいな」

「どこかに隠れてやり過ごそうぜ。撤退するにせよ奇襲するにせよ、地の利は得られるだろ」

「高位の魔物ぽいし、感知されんじゃないか?」

「もう感知されてる。来るわよ」

 壁役ダルム、前衛メルダリアとルディウス、後衛バルナスという手堅い布陣。

 魔物の咆哮が轟く。三つ首の犬型の魔物がゆっくりと姿を現した。

「マジか……ケルベロスじゃねえか!」

「深層って、こんなんいやがるのかよ」

「メルダリア、やれそうか?」

「今気を練ってる。バルナス、時間稼いで」

「やれやれ……」

 バルナスが杖を構え、短い呪文を詠唱した。ケルベロスの三つ首に水球がまとわりつく。呼吸する魔物ならばこれで溺死を期待できるのだが。三つの水球は瞬時に沸騰して、周囲に水蒸気が濛々と立ちこめた。バルナスの舌打ち。

「やっぱ効かねえか。おい、気を付けろ、来るぞ」

 水蒸気をついて伸びてきたケルベロスの首が、盾をかまえる重戦士ダルムに噛みつく。上半身を食いちぎられたダルムがゆっくり倒れた。バリボリと、甲冑ごと骨と肉を咀嚼する生々しい音が響いた。口の端からべちゃりと臓物がこぼれ落ちる。

 前脚の一撃を躱したルディウスが、首一つの目を狙う。バルナスも凝縮した水弾で目を狙った。

「くそ、でけぇ図体して素早いなこいつ」

「魔力が膨張している。魔法使ってくるぞ」

 ケルベロスの目付近から発射された光線がバルナスを襲う。水の障壁を展開して光線を減衰させるバルナス。

 首の一つが瞑想中のメルダリアに狙いを付けた。これを察したルディウスが飛び出す。光線に胸を貫かれるルディウス。

「よぉ、メルダリア。無事にこの場を切り抜けたら、後で一発やらしてくれよ……」

 吐血しながら減らず口をたたく。

「いいわよ」

「……いいのか?」

「あたしとしたきゃ生き残れ」

「おうよ! 俄然やる気が出たわこんにゃろー」

 槍を支えになんとか立ち上がろうとするも、数条の光線が無慈悲に殺到する。眉間を貫いた光線が致命傷となり、ルディウスはこと切れた。

 ついでとばかりメルダリアにも光線が降り注いだが、残像をのこして消え失せる女剣士。二つ名の由来ともなった戦技が発動し、光を纏った細剣がケルベロスの巨大な首のひとつを斬り落とした。

 すかさずバルナスが切り札のひとつ、魔力増幅の秘薬を呷った。

「とっておきだが背に腹は代えられねえ。後でギルマスに請求書まわしてやる。くらいやがれ――『奪水』」

 八次元『魔道』に属する秘技が炸裂。傷口から吸い出される水分。ケルベロスといえども有機生命体の一種ではあるから、体組成にかなりの水を含有している。これを喪失しては、さしも強大な魔物も生命活動を維持しえない。干からびたケルベロスが遂に斃れた。

「やったか」

「やったっぽい。今の術って、『魔道』?」

「ああ」

「すごいわね。いつの間に開眼したの? 魔道師メイジつったら、宮廷の筆頭魔法使いクラスじゃないの」

「薬物でドーピングしてやっとこさ手が届く領域だ。この後しばらく副作用で悶絶する予定だし、魔力もすっからかんだぜ。――ところでダルムとルディウス、やられちまったな」

「だね……」

「あいつらも運がねえな。魔銅アダマンタイト級目前だったってのに」

「ルディウスとしそびれたわ。あたしも御無沙汰だったから、たまにはいいかーとか思ったんだけど。ああいう台詞吐く奴にかぎって、だいたい早死にするわね」

「そっちかよ」

「あたしに面と向かって口説いてくる奴、めっきり少なくなっちゃったからね」

「魔石回収して、いったん撤収だなこりゃ」

「そうだね」

 ケルベロスの死体から魔石を摘出しようとするメルダリア。背後で突如膨れ上がる殺気。振り返ろうとしたところ、光線によって腕を切断されてしまう。

「もう一匹いやがったか」

「痛いわねー……片腕じゃ【幻影双剣】の看板下ろさないといけないじゃないの」

「くそ、ちょっとやべえなコレ」

 メルダリアが脂汗を浮かべた蒼白な顔で、凄惨に笑った。

「上等じゃないの。地獄の道連れにしてやる」

 急接近してきた新手のケルベロス。メルダリアの剣の間合いに入ろうとしたその時、にわかに痙攣して倒れてしまった。三つ首はいずれも舌をだらしなく突出させ、泡を噴いて絶命していた。

「……何が起きた?」

「さあ――急病じゃねえの?」



 辞去しようとしたクッコロにアルヴァントが言った。

「『感応の指輪』と『神剣グラム』では、明らかに天秤が釣り合わぬ。クッコロの活動資金として、妾の宮廷歳費からすこし融通しよう」

 侍女がトレーに捧げ持ってきたのは一枚の貨幣。インゴットをそのまま改鋳したかのような大きさだった。

「これは?」

神金オリハルコン貨じゃ。金貨に換算すると十万枚と等価になる。取っておくがよい」

「ほーこれが噂の最高額貨幣ですか。初めて見た。ていうか、両替できるところなさそうだね……」

「む。それもそうじゃな。市井に暮らすそなたらには使い勝手が悪いやもしれん。冒険者ならば、オーダーメイド装備品の素材として活用する機会もあろうが。金貨に両替したほうがよいかの?」

「そうしてもらえるとありがたいかも」

「かなり嵩張るが、『空間収納』を操るそなたならば問題ないか。すぐに準備させよう」

(やっぱ『空間収納』バレてるか……)


 クッコロの肌感覚による異世界為替レートは、以降の通り。なお、独断と偏見による妄想変動相場制であることを付記する。


 1リムリア鉄貨 ≒ 10日本円

 1リムリア銅貨 ≒ 100日本円

 1リムリア銀貨 ≒ 1000日本円

 1リムリア金貨 ≒ 1万日本円

 1リムリア白金貨 ≒ 10万日本円

 1リムリア霊鉄ダマスク貨 ≒ 100万日本円

 1リムリア魔銅アダマンタイト貨 ≒ 1000万日本円

 1リムリア聖銀ミスリル貨 ≒ 1億日本円

 1リムリア神金オリハルコン貨 ≒ 10億日本円


(活動資金には随分余裕できたな。素直にアルちゃんに感謝しとくか)



 宮殿を出たクッコロは、転移門の設置作業がてら皇都各所を逍遥していた。

(おや?)

 下町のゴミ捨て場を漁る数人のみすぼらしい子供たちが目に留まった。様子を見ていると、金物のゴミを掘り出して古道具屋に持ち込んでいるようだ。

(あたしも昔やったな……)

 前世のクッコロが、ネイテール侯爵に見出されて養女となる以前のことだ。戦災孤児だった彼女は糊口を凌ぐため、ゴミ漁り、担ぎ屋、靴磨きといった浮浪児定番のたつきを一通り経験したものだ。世話になっていた孤児院の院長が、十二柱神殿の修道女出身でかなり良識的な人物だったおかげで、スリや街娼といったいかがわしい仕事に手を出さずに済んだのは幸いだった。当時は、その日の食事にありつくため必死だった記憶がある。

(どこかの孤児院の子たちかな?)

 気になったので尾行してみる。これまたクッコロの気紛れだが、一時期同じ境遇にあった者としての共感が作用したのだろう。

 下町の雑踏を抜け、いつしか辺りは陰鬱な貧民窟に。手入れの行き届かない生垣に囲われた古い建物に子供たちは入っていった。所々補修の痕跡は見られるが、建物の荒廃に修繕の手が追い付かない印象だ。

(ここって……)

 押し寄せる既視感。こらえきれず敷地に踏み入り、ドアノッカーを叩く。

「はい。どちら様?」

 ドアの隙間から顔を出したのは若い修道女。クッコロの身なりを見て警戒した様子だ。

「どういった御用件でしょうか」

「突然すみません。冒険者のクッコロといいます。昔こちらの孤児院出身の人に世話になりまして。恩返しというわけではありませんが、寄付させていただこうと思い立ちまして。本日参上した次第です」

「まぁ。それはご奇特な。立ち話もなんですから、どうぞお入りください」

 寄付と聞き、うって変わった歓迎ムード。運営に困窮している様子だし、手のひら返しもむべなるかなだ。

「お邪魔しま――ぶっ」

 招じ入れられた玄関ホールに掲げられた、一枚の額縁入りの絵画。修道女が自慢そうに解説した。

「救国騎士クッコロ・ネイテール様の肖像画です。当孤児院『救国の家』は、かの救国騎士様が幼少の砌をすごされた伝説の聖地なのです」

(昔の名前憶えてないけど、改称したのか。救国の家って……なんか怪しげな政治結社か胡散臭い新興宗教みたいだな)

 頼まれもしないのに修道女は観光ガイドと化し、熱弁をふるい始めた。幼き日の救国騎士様が木登りから転落して泣きじゃくった中庭の木だの、おねしょしたベッドだのといったハートフルな逸話が披露され、クッコロは頭を抱えた。

(もう勘弁して! なんでそんな黒歴史が後世に伝わってるのよ……)


「こちら些少ですが寄付金です」

 金貨百枚が入った袋をテーブルの上に置いた。

「これはこれは。あなた様に運命神の御加護があらんことを。失礼して検めさせていただきます。え? こんなにたくさん……よろしいのでしょうか?」

「気持ちですのでご笑納ください」

「正直とても助かります。近年は不景気で寄付も細り、大きな声じゃ言えませんが、魔皇国の治世になってからお上の補助金も打ち切られてしまいまして」

(むう。後でアルちゃんに善処をお願いしてみるか)

「それで、当孤児院を巣立った方と知己であられるとか。差し支えなければ、なんという方かお名前をお聞かせください」

「いえ、本名は存じません。あたしらの渡世じゃ、素性をあれこれ詮索するのは御法度でして。もうだいぶ昔に亡くなったと風の便りに聞きました」

「そうですか……」


 来客が珍しいのか、鈴なりになって物陰から応接間の様子を覗っていた子供たち。修道女とクッコロの対談が一段落ついたと見るや、わらわらと部屋に乱入してきた。

「院長先生。このねえちゃんなにー?」

「あやしいやつだ。マスクを取れ!」

 魔皇の御前ですら晒されることのなかったクッコロの素顔が、今孤児たち手によって白日の下に晒された。

「お、なかなか美人じゃん。ねえちゃん将来オレとけっこんすっか?」

「お前ずりいぞ、ぬけがけすんな! おいねえちゃん! オレのヨメにしてやるぜ」

「ダメー! スーくんのお嫁さんはあたしがなりゅの!」

 自分には収拾不可能と早々に匙を投げたクッコロ。諦観のにじむ顔つきで、されるがままちびっ子たちの攻勢に身を委ね、翻弄された。やがてクッコロの胸を揉んだり、ミニスカートをめくったり、露出した太腿を撫でまわす猛者が出現するに及んで、とうとう修道女の雷が落ちた。

「こらぁ! いい加減にしなさいこのエロガキども! お客様に失礼でしょうが」

(地が出てますよシスター)

 蜘蛛の子を散らすようにいなくなる子供たち。無邪気なセクハラの嵐から解放されたクッコロは苦笑い。

「ははは……元気な子たちですね」

「申し訳ありません。私の監督不行き届きです。後できつく叱っておきますので」

「失礼ですが、その若さで院長先生を?」

「前任者が去年流行り病で亡くなりまして。補佐役だった私がそのまま赴任いたしました。人員の補充もありませんので、一人で切り盛りしております。まぁ年長の子供たちがいろいろ手伝ってくれるのですが」

「たいへんですね」

 修道女が自嘲気味に言った。

「孤児院運営は、有り体に申しますと十二柱教団の左遷部署でして。なかなか担い手もいないのだとか。今は中原の情勢も落ち着いているので、難民や戦災孤児もひと頃より少ないそうですよ。ただ、大陸の東の方で大きな戦争が起きたらしいので、今後こちらにどう波及してくるか分かりませんが」

 十二柱神殿はリムリア大陸各所に根を張る最大宗教だ。独自の情報網があるのだろう。

「さて、すっかり長居してしまいました。この後ちょっと野暮用がありますので、そろそろお暇します」

「そうですか。なんのお構いもできませんで。また近くにお越しの際は、茶飲み話にお立ち寄りください」


 孤児院『救国の家』を辞したクッコロは、転移門設置作業を再開した。

(ちゅうても、皇都の目ぼしい場所には粗方設置し終えたからなぁ。そだ、地下水路にもいちおう設置しとくか)

 善は急げとばかり適地探索のための結界玉多数を、そのあたりの下水溝に放った。ふと、魔皇の忠告を思い出す。

(アルちゃんなんてったっけ? 十階層から下は危険地帯だから気を付けろとかなんとか。ふむ、どんな魔物がいるのかな……)

 危険だと脅かされると、ついつい恐いもの見たさが喚起される――これが人情というものだ。早速結界玉を深層へと急行させた。

(この辺までくると、もう普通の洞窟って感じなのね。あ、冒険者パーティいる。へぇ、けっこう深くまで潜ってるんだ)

 きっと高ランクパーティなのだろう。そう思っていたのだが。

(二人やられた。なんかヤバそう。敵はなんだろ、あれ。でっかい三つ首犬――ケルベロスか。お、倒した。あの二人強いなぁ。あ! 後方にもう一匹潜んでますよ。ああ、奇襲された……)

 クッコロは迷った。助けにいくべきか。しかし、ベテラン冒険者はプライドが高いらしいし、権利意識などでいろいろとうるさそうだ。

(ここから結界玉経由で、転移魔法発動できないかな。ケルベロスの魔石こっそり抜き取っちゃえば気付かれないだろうし。おし、いっちょやってみよう)

 けっこうな魔力を消費したが、次の瞬間、クッコロは血まみれの巨大な魔石を腕に抱えていた。

(おー、上手くいったみたい)

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